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Zimbabwe.NET 青年海外協力隊体験記
from アフリカ ジンバブエ
 ■ 文化・習慣 (Culture and Customs)

 「文化」の定義は辞書に書いてありますが、定義が非常に広範囲に及ぶことや定義のある事象に対してどこからが文化なのか?というように境界線が曖昧なことでなにげなく使っている言葉なのだけれど、言及すると悩んでしまう言葉です。思い切って、文化を簡単に説明してみると、ある人々の集団にある、共通したものの見方・感じ方です。

 ここではジンバブエに大多数いるショナ人(全体の約75%)の文化や習慣を、実際の生活を通し、外国人の視線として感じたことや調べたことを元にわかりやすく書けたら良いと思います。

 ■ 目 次

右手で食事手を叩く挨拶尊敬断るとき「シャマリ」(友達)ショナ社会と牛結婚家族信仰トーテム敬称否定形の質問Pleaseがない

伝統的な生活から現代の生活へ! new


 ■ ショナ文化・習慣
 ■ 右手で食事

 世界中で右手を使い食事をする文化はたくさんあります。ジンバブエでも右手を使い食事をします。主食はサザといってトウモロコシの粉を熱湯で捏ねたものです。人によりサザを右手の手の平で一度握ってから食べまが、基本的には指先だけを使い食べます。最近は西洋の影響を受けてフォークとナイフを使って食事をする人が増えきています。
 手が直接料理に触れるだけあって、食事前には必ず手を洗います。ゲストとしてジンバブエ人の家に招かれた時には、水の入ったフィンガーボールを手に注いでもらい、手を洗います。その水は空のボールで受取ります。 
 北東アジアは箸を使って料理を食べる文化です。よくジンバブエ人に、箸を使って食べているところを見てみたいと言われます。

右手を使い食事
↑右手を使い食事(学食にて)
白いものが主食のサザ





食事前の手洗い
↑特にお客さんには
食事前、その場で手を洗うのが習慣です




 ■ 手を叩く

 伝統的に人と人の挨拶、特に初対面の時には手を叩きながら(3回以上)挨拶をします。田舎では必ずとっいっていいほどこの挨拶が行われています。現在、都市部では握手が挨拶の主流ですが、それと合わせて、この伝統的な手を叩く挨拶も使われます。

手の叩き方
 男性:手の向きは同じ方向で。手の平を少しくぼませて叩きます
 女性:手の向きは片方を90度ずらします。手の平をくぼませて叩きます。良い音がするはずです。

 初対面の挨拶の他にも手を叩きます
  • プレゼントなど何かを頂く時、受取る時
  • 感謝の言葉と一緒に感謝を表す時
  • 食事前に食べ物に感謝して、いただきますの時
  • 食後のごちそうさまの時

余談ですが、日本人にもこれと似たように手を合わせて行う意思表示があります。誰かにどうしても願い事を叶えてもらいたい時に、「お願い!」「頼む!」って時や「いただきます」「ごちそうさま」の時など。




 ■ 挨 拶

 ジンバブエにおいて、挨拶は社会生活上、非常に大切です。また、彼らはいつでも、どこでも、誰にでもでも挨拶をします。この「誰にでも」というのはとても素晴らしいことです。なぜなら、身分の隔たりを感じさないからです。基本的な挨拶は形式ばっています。こう言われたら、こう返答すると言うのがだいたい決まっています。初対面の人には「マカディー」(丁寧にこんにちわ、始めましての意味)と言いながら手を叩くのが礼を持った挨拶です。さらに、俗語を含めて非常に数多くの挨拶の言い方があります。

 日本では挨拶時、お辞儀(会釈)をするのが文化ですが、ジンバブエでは握手や手を叩くことがが体を使った挨拶表現として使われますです。僕は初対面のみならず、いつもの生徒や講師に会っただけで彼らと握手しています。というか手を差し出されるので握手しています。「Hello!!!! How are you?」とショナ語で言いながら。握手での挨拶時、右手に何かを持っていたり、その手が汚れていたら手首を差出します。そして、手首と手で握手をします。最初の頃、僕は手首を差し出すなんて、握手を嫌がっているのかと思ってしたのでしたが、誤解でした。

 個人的に挨拶を大切にするというのは、非常に良い文化だと思います。コミュニケーションは挨拶からもちろん始まりますが、なんの気兼ねもなく、アイコンタクトをするかのごとく挨拶を交し、無意識に相手との距離が縮まります。

 また、右手を胸に当てて挨拶をしても尊敬を表します。握手にはいろいろな表現や意味があります。まず、握手をする時に左手を右ひじに軽く当てると、尊敬を表すことができます。親しい仲や初対面でも強い絆を感じる時などは、何回も握り方を変えて握手します。その他、お互いのこぶしをぶつけたり、手の平をすり合わせながら引き、親指同士で音を鳴らしたり、などなどたくさんのバリュエーションがあるようです。




 ■ 尊敬

 日本のように、お年寄りや社会的に地位が高い人は敬われます。特に年配者に対してジンバブエ人は、決してぞんざいに扱ったりしません。尊敬するべき人に対して挨拶や話をするときは、位置的にその人より低い位置であることが礼儀です。もしも尊敬すべき人が椅子に座っていたら、こちらはそれより低くなるようにしゃがんだり、床に膝を着いて挨拶や会話をします。この習慣は都会ではあまり見られませんが、田舎に行くとまだ根強残っている習慣です。

 食事の順序は、お客さんや尊敬すべき人が最初です。女性は男性の次に食べ始めます。子供は一番最後です。

 また、尊敬すべき人が何かおかしなことを言った場合、周りの人はそれを指摘しにくいみたいです。人々は何事もなかったかのように黙って見過ごします。尊敬すべき人の意見を人々の前で覆してしまうことは、その人に対して非常に失礼なことなのです。また、彼も屈辱的に感じるでしょう。

 女性は何かを受取るとき、右手で受け取ります。その際、左手を右腕の二の腕に当てます。日本の両手で何かを受取るときと同じ感じでしょうか。




 ■ 断るとき

 「断る時は曖昧に!」、ショナ文化において誰かに何かを断る時、直接的に”No”というのは非常に相手に対して失礼なことです。日本同様、断るときには細心の注意でソフトに断りましょう。ここで細心の注意とは、遠回しに理由をつけたり、曖昧にして断るということです。

体験談:頼みごとをした時に、あいまいな返事が返ってきたら可能性がないと思った方がよいと学びました。また、僕がよく使う断り方は「Next time」と言います。その場ではOK!と向こうも良い返事をしてくれるのですが、お互いに「No」だったという共通認識そこにはたぶん?あります。




 ■ 「シャマリ」(友達)

 「シャマリ」とは、ショナ語で友達のことを言います。この言葉はショナ文化において、とても大切な言葉です。ジンバブエの人々は人間関係にヒビが入るような喧嘩は決してしないというか、避けるようにしています。相手との関係にヒビが入るということは、彼らにとって非常に不快なことなのです。この和を重んじる風潮は日本人と大変似ています。逆に大変、扇動されやすい国民性とも言えるでしょう。ジンバブエ人は誰に対しても大きな気持ちと優しさで接してくれます。だから、ほとんどの外国人がジンバブエ人の性格を形容するときに「フレンドリー」という単語を使いますが、まさにぴったりの形容詞です。このように温和な性格にジンバブエ人がなぜなったかという質問に、ある外国人が温暖でドライな気候のおかげと答えていました。

 日本で見知らぬ人を呼び止める時になんと言っていますか?ちょっとちょっと!、すみません!君!、あなた!、おまえ!、おばちゃん!、おねーちゃん!、などなど。ジンバブエに来てしまうと↑これらが非常によそよそしく聞こえてきます。ジンバブエでは人を呼び止めるとき「シャマリ」(My Friend!)と言います。日本語に訳すと「友よ!」かな?日本でも他人を呼ぶときに「シャマリ」のように親しみのある呼び方があるといいと思います。




 ■ ショナ社会と牛(Mombe)

 ショナ社会において、牛と人々の生活は非常に密接な関係を持っています。牛は畑を耕したり、荷物を運んだりする労力としての役割から糞尿による良質な肥料の採取、雌牛からのミルク採取、さらに食用としての役割もあります。牛は一番の財産的象徴であり、その頭数の多さで権威も表すほど、社会的価値が高い家畜なのです。

 牛は祭事から宗教的儀式、結婚式、子供の誕生祝い、葬式まで様々な行事に登場し、食されるなどして使われます。ショナ文化において、穀物収穫前に豊作を願う儀式として子供の雌牛を食したり、子作りがうまくいかなかった新婚さんに子作りの成功と安産を願い、やはり若い牛を食したりします。さらに、牛は先祖の霊を呼出す役割があります。結婚式の時は牛を振舞うことで祖先の霊を呼寄せ、親族達を祝福してもらいます。また、牛は死者の魂を次の世界に一緒に連れて行く役割も持っているのです。

 ショナ社会で結婚をする際の結納品(Roora)は、牛が第一の品目です。牛は彼らにとって一番の財産であり、花嫁を手塩に掛けて育ててくれた両親への感謝のしるしとして、花婿側から渡されます。また、牛および牛の肉を渡す行為には、結婚を申し入れる段階から始まり、子供をもうける段階まで、複数の段階があります。現在は結納品に現金が使われるようになってきましたが、依然として牛を送ることはおざなりにされていません。もし、牛を飼育していないが、お金があるのなら、牛を2頭買うべきであるという一般認識が根強くあります。牛2頭のうち、1頭の雄牛は父親に、もう1頭の雌牛は母親にというように渡します。そこにはお金で表せないショナ文化の価値観があるのです。

 そういえば、ショナ人は牛肉が大好きです。日本人よりもはるか昔から牛肉を食してきた文化がここにはあります。まさに、牛が文化の要といえるほどの牛文化のようです。牛で思い出すのがインドのヒンドゥー教です。彼らは牛を神聖な動物として、決して食したりしません。牛に対する思い入れは、もちろんショナ人も負けてはいませんが、ショナ人の方が牛に対して柔軟的な考え方をしている気がしないでもありません。




 ■ 結 婚

 ショナ文化の結婚において、特筆することはRoora(結納品・金)の存在です。また、廃れつつあるものの一夫多妻を認める風潮です。一夫多妻を認める「制度」という言い方よりも、「風潮」いう言葉の方がここでは適している気がします。なぜならば、現在のジンバブエで、一人の夫が複数の妻を持っている人をほとんど見かけないからです。これはキリスト教の影響ですが、これ以前には経済力を持った男性は複数の女性とお付合いし、また、複数の妻を実際に持っていたそうです。

 話がそれますが、現在のジンバブエにおいて、廃れつつあるものの一夫多妻を認める風潮が浮気相手や妻以外の愛人(Small House)を作りやすい環境にしていると言えるのは事実のようです。日本の場合、浮気相手や妻以外の愛人を多くの女性達が断固許そうとしないのとは女性自身の考え方の他に、社会環境(一夫多妻)から受ける影響の違いがあるといえます。

 では本題に。まず昔から伝統的に息子、特に娘の結婚相手は、彼らがかなり小さな時から両親が適当な相手を探し決めていました。このように、特に娘の両親は結婚相手である男性の性格や素行、家の経済状態を良く知ったうえでないと結婚相手として認めていませんでした。だから、男性が遠く離れたところに住んでいる場合、女性側の両親の調査が困難となり、そのことが理由で結婚が不成立となることもありました。しかし、現在は多くの娘達からこのことに対して不満の声が表面化したため、結婚を考えているカップルの結びつきを大切にしようという考え方が両親の間で一般化してきたようです。

 私の身近な友達(ジンバブエ人)の話だと、「僕は彼女と結婚するためにお金(Roora)を貯めているんだ」、「僕はお金(Roora)がないから彼女とは結婚できないんだ」などといったRoora絡みの話をよく聞きます。ジンバブエにおいて、結婚を考えているカップルが結婚にこぎつけるには、お互いの両親の承諾もさることながら、Roora(結納品・金)の受渡しという避けては通れない大変な工程が待ち構えています。

 Roora(結納品・金)の目的ですが、まず、男性側が結婚相手である娘の両親に対して、感謝(よく育ててくれた)を表すものとされています。次に、二つの家族の結びつきを約束するもの、最後に、二人の離婚を抑止する効果を期待したものです。もし二人が離婚した場合、Rooraとして男性側から女性側に送られたお金や牛、衣料、家裁道具をすべて返却しないといけないルールがあるのです。例外として、すでに食べられてしまった牛と母親に渡された雌牛だけは返却が免除されます。母親に渡った雌牛が返却されてしまうと、二人の間の子供に災いが起こると信じられているからです。

 Rooraの授受にはまず、仲人を決めるところから始まります、通常、男性側の年長の伯父が引受けます。そして、その仲人が女性側の家を訪ねます。女性側の家では親族などの関係者を集めておきます。仲人は家に入るなり、片膝を地面に付き低い位置から手を何度も手を叩き、「マカディー」と言いながら結婚相手の両親や家族などの関係者に対して尊敬の意味を含んだ正式な挨拶を繰返します。それが終わると、どのくらいのRooraを女性側の両親が要求しているのか、また男性側の経済状態を説明しながら折合いを探ります。この間、仲人は椅子などには腰掛けられません。常に相手より低い位置というのが、敬意を表している姿勢だからです。

 最近のRooraはお金が主になってきましたが、牛を送ることの意義は現在もおざなりにはなっていないようです。少なくとも2頭の牛、1頭の雄牛を父親に、もう1頭の雌牛を母親に送るのが良いとされています。もちろん、男性側の経済状態によっては、それ以上の牛を渡すことが通常とされています。その他には、スーツや花嫁用のドレス、家族達の靴や衣類、台所用品、家具などがあります。このRooraは正式に両家の誰かが会うたびに渡されるので、何段階もRooraがあることになります。

 結婚式は親族や友達、関係者が集まり、サザと牛肉などが振舞われ盛大に行われます。式が終わると、両家の家を関係者が訪問し、歌ったり踊ったりしながらの祝福が夜通し行われます。

 結婚後、二人の間に第一子が身篭る期間(7ヶ月間)は男性側の家で過ごします。その後妊娠した嫁は、出産までの期間実家で過ごします。妻を実家に連れて行くのは旦那の役目なのですが、この時もRooraでるお金(妻の世話代)と牛を持参して、その牛を調理して嫁の家族達に振舞います。嫁の家では依然として、旦那である男性は椅子などに腰掛けられません。彼らの子供が13歳になるまで、椅子に座ることはないのです。

 もしも二人が離婚するとRooraが返却されるルールがあるのですが、このことが離婚抑止に役立っているようです。ショナ文化において、近親者(いとこなど)同士の結婚は禁止とされています。しかし、恋愛関係になった近親者二人の結びつきが強く、お互いの意思が固いときは、男性側が女性側に牛やお金、黒い布を罰則として支払います。その後、二つの家族の関係を断ち切る儀式(黒い布を二つにちぎる)が行われ結婚が認められます。

 大昔のRooraはネズミを3〜5匹や薪でした。求婚者の男性は直接女性の母親に会って、それらを渡し、結婚の了解を取っていたのでした。その後、時代は流れ結婚のしきたりも変化したようですが、Rooraという制度自体は根強くあります。Roora=男性側の経済力の顕示という見方は否定できません。当然のことながら、Rooraの払えない男性というのが出てきます。それらのカップルは駆落ちすることがしばしばあるそうです。しかし、日本のような人目をしのいで駆落ちというよりは、社会的に認知された駆落ちの形式がショナ文化にはあるのです。




 ■ 家 族

 ショナ社会は(も)家庭内の結び付きを大変重んじます。人々は自分名前をファーストネームよりもファミリーネームで呼ばれることに誇りを感じます。他人との挨拶では、いつも「家族は元気?」というフレーズを入れます。家族が一番大切な価値観なので、自然と挨拶によって相手の家族を思いやる気持ちがそうさせているのでしょう。

 親の子供に対する躾として、必ず食べ物などは兄弟やいとこなどで平等に分け合うよう教育します。親が均等に最初から彼らにものを与えたりすることはありません。それが出来ないと、親は容赦なく叱ります。そこには、独り占めの考え方を嫌う方針があります。

 家庭内において、少女は彼女の両親よりもおじさんやおばさんの方が教育権を多く握っています。特におばさんの方は、彼女を良い妻に育てようと責任を持って行います。

 兄弟間の繋がりは非常に強く、もしも家庭を持っている兄弟のなかの一人が亡くなったら、兄弟の誰かがすべての責務、役割をもって身代わりとなります。

 日本では長男が親の面倒をみる伝統がありますが、ショナ社会では長男か末っ子の男子が親の面倒をみるという伝統があります。




 ■ 信 仰

 自分の生命は先祖の霊がコントロールしているとショナ人は、強く信じています。

 死者には白と黒2つの影があると信じられています。白い影は魂で黒い影は肉体です。死者の遺体を埋葬した後に白い影は時々、虫に姿を変え墓の地上に現れます。親戚達は時々墓に行き、虫がわいていないか確かめて家族に報告するのです。死後6ヶ月および12ヶ月に墓で儀式を行いますが、その儀式は肉体と魂がうまく分かれて魂がさまようことなく家族の元に帰って、家族達を守ってくれるように、死者に向かって呼びかけるのです。母の霊は家族、特に子供たちを守ってくれます。父の霊は他の悪例から家族を守ってくれます。しかし、このような先祖の霊に敬意を払わなければ、家族に災いが起こるとも信じられています。

 信仰の他の側面として、死者の霊がエゴ(自我の確認)と欲望を求めてさまようことが信じられています。これらの霊は死ぬ際、良い死に方(人々に忘れ去られたり、不慮の死を遂げたなど)ができず、前世に未練があるためにこのような霊になったのです。また、これらの霊が人間にのりうつり、病気を引起こしたりなど悪さをすることがしばしあるのです。

 日本にも死者の霊をなだめるには、お経や塩、お酒、食べ物などのお供え物と死者に対する敬意がありますが、ショナ社会にも同様、死者をなだめるダンスや歌などの儀式、お供え物(牛肉)、敬意があるのです。




 ■ トーテム

 「トーテム」とは、名字の由来のようなものです。日本でいうと「家紋」みたいなものだと思います。ショナ人の名字(ファミリーネーム)には、トーテムといって動物や人体の一部の名前が含まれていることがあります。名字にトーテムがなくても、必ずその人のトーテムというものがあります。トーテムの目的は、家族共通の名前(名字)を持つことと、近親相姦を防ぐためだと信じられてきました。伝統的に同じトーテム同士は結婚出来ないことになっています。夫婦に子供が生まれたら、その子のトーテムは父方から譲り受けられます。

 しかし、現在では移動手段が発達したため、同じトーテムだからといって近親関係にあるというわけではありません。実際、最近は同じトーテム同士でも結婚が行われています。若いカップルもお互いのトーテムを気にしないようになってきているといいます。

 このトーテムの文化はジンバブエ特有のものではなく、アフリカ各地に存在する文化です。日本人の名字だと、地名や地形にちなんだものが多いのですが、トーテムの文化だと、動物や体の一部が名字に含まれ、名字の意味や由来の違いを感じることができます。

トーテムの例
  • mbizi:シマウマ
  • Shumba:ライオン
  • Moyo:心臓
  • gumbo:足
  • mbeva:口
 ※ ちなみに、自分のトーテムを食すことは絶対にしません。

 名前についてショナ文化では、大人が亡くなった時、その人の名前を子供がそのまま継ぐ習慣があります。多いパターンとして、おじいさんが亡くなった時は、孫息子に名前を渡し、おばあさんが亡くなった時は、孫娘に名前を渡します。この習慣は亡くなった人を忘れ去らないようにするために、行っています。

 最近のショナ人の名前は、英語名とショナ語名の半々くらいです。英語名を付けている人は、キリスト教の影響によって子供に英語名を付けているようです。どちらの言葉の名前も何らかの意味がある名前がほとんどです。




 ■ 敬称

 日本でも、**様や**殿、**君、**さん、**ちゃんなどの敬称がありますが、ジンバブエにもあります。
  • コムレット(同志)
    • 大統領や大臣、国の重要職についている人の名前の前に使います。例:コムレット ロバートムガベ これは社会主義国家で多用される同志という意味です
  • バ(氏)
    • これは英語でいうMr.と同じ意味です。名前の前に使います
  • アマイ(婦人)
    • これはMrs.と同じ意味です。名前の前に使います



 ■ 否定形の質問

否定形の質問の答えは、ショナ語と日本語同じように使われます。英語とは答え方が違います。

例1 あなたは私の家に来ませんよね?
    いいえ、行きます。(英語だと→Yes, I am coming.)

例2 あのお店、今日も開いていませんよね?
   はい、開いていません。(英語だと→No,That shop dose not open)




 ■ Pleaseがない

 Pleaseとは日本語で「お願いします」という意味の丁寧な言葉です。たとえば、飲み物を聞かれた時、「オレンジジュース」と一言で伝えるより、「オレンジジュース プリーズ」(オレンジジュースをお願いします。)と言った方が聞き手も気持ちがいいものです。しかし、ショナ語には英語のpleaseに該当する言葉がありません。

 英語で彼らと話しをしていて、頼まれごとなどでぶっきらぼうに聞こえることが多々あります。英語で”Please”と”Thank you”は人間関係を円滑にするための最重要ワードだと英語圏の人は子供の頃に親から教わるそうですが、ここジンバブエでは、ショナ語にpleaseに該当する言葉がないので、英語で話している時もpleaseが出てきません。




 ■ 伝統的な生活から現代的な生活へ 
 ■ はじめに

 現在の日本は生活スタイルがかなり欧米化しています。これは、日本がそれらの文化を良いと思い受入れた結果だからです。さらに、文化のボーダレス化により外国文化が大量に日本に入り、絶えず自国文化と異文化とが混ざり合い変化している状態といえます。また、最近の核家族化は、世代間の文化伝承を難しくさせています。

 ジンバブエの場合も外国(西洋)から異文化が入ってきた時から徐々に生活状況が変化してきました。特に都市部では異文化の流入と受入が劇的に行われています。しかし、田舎に行くと、伝統的なショナ文化がまだ息づいているのを見ることができます。ジンバブエの場合、伝統的な田舎の様子を見てから、都市部の状況を見ると、過去から現在への文化の変移をうかがい知るとことができます。

 ここでは、ショナ文化の伝統的(昔)な生活から現代の生活になった移り変わりの様子をショナ人のALOIS MA VENEKAさんのエッセイを参考に書きたいと思います。



 ■ 伝統的な生活から現代の生活へ(特に都市部について)

 白人達(欧州、特にイギリス人)がジンバブエに入植し始めてから、ショナ人のそれまで続いてきた伝統的な生活に劇的ともいえる変化が起こりました。人々が伝統的な生活から抜出し、都市を形成していったのも白人達の影響によるものです。都市部のジンバブエ人は必然的に、欧州から来た彼らの文化に接する機会が多いため、それらに影響を受け、どんどんと生活スタイルが変化していきました。その後、この変化はじわじわと周辺の地域に広がっていきました。

 もちろん、地方の田舎の方にもこれら新しい文化の波は押し寄せてきました。しかし、田舎に住む人達は新しい文化の吸収を都市部の人がしたようにはできませんでした。異文化を吸収するには、その文化に対する好意および物や人の基礎知識といった環境がないとできません。だから、ジンバブエの田舎には、伝統的な生活が残っています。つまり、田舎の生活を知り、次に都会の生活を知ることは、時代の移り変わりを見るのと同じことなのです。

 昔、ショナ人の家族は小さなコミュニティーである村(地域共同体)の中で生活していました。住居はハットといわれ、壁が円形で屋根が円錐形の建物です。壁は長さと太さが均一な木の棒を地面に挿し、木の棒を並べて壁とし、木々の隙間を泥で埋めています。屋根は木で円錐形の骨組みを作り、その上にわらをふいた非常にシンプルな構造です。ハットには入口にドアが一つあるだけで、窓はありません。キッチンや家族の就寝場所(人数が多いので、複数のハット)、穀物庫、道具置場など様々な機能のハットがあります。もちろん、すべてのハットの構造は同じです。

 人が一番長く居るのがキッチン(台所)のハットです。このハットでは食事が作られ、家族で食事を食べたり、くつろいだり、家によっては就寝場所にもなります。ハットの中央には囲炉裏があり、ここで母が薪を使い料理をします。キッチンのハット内部もいたってシンプルです。まず、床と壁のところに2つのベンチがあります。一つは入口の近くにあり、人が座るためにあります。このベンチは通常、男性専用の腰掛で、食事の時やくつろぐために使われます。もう一つのベンチは、入口から囲炉裏を挟んで反対側、一番奥にあり、先ほどのベンチ(台)より高さがあり、幅も狭いです。これは、土器で作られた料理鍋や木のお皿、水がめ、食材などを置くためにあります。かき混ぜスティックなどの調理器具は壁に掛けます。床は牛のフンでできていて、母が定期的に牛の緑がかったフンを床に塗りメンテナンスをします。女性や子供たちは、床にワラのマットを敷きその上に座ります。男女の座る場所の違いが、伝統的に決められているのです。

 今日、街の住居は現代風になりました。ハットのように円形で小さな建物ではなく、部屋数がたくさんある長方形をしています。壁は素焼きレンガで建てられ、屋根の梁と支えは木でのトラス構造になっていて、屋根材はアスベスト(一般的に)の板が使われています。家が2階建てなど大きくなると、柱や梁、天井などに鉄筋コンクリートが使われています。レンガの表面にはセメントで左官がされ、ペンキで仕上げをしてあるため非常に見栄えがいいです。窓やドアは鉄、ガラス、木などの材料で作られていて、おしゃれです。残念なことに、泥棒を防ぐための窓につける鉄格子(バーグラバー)や入口の厳重な鍵も家に標準的に装備されています。家の内部では、家具や電化製品などモダンなものがあります。

 現代の住居のキッチンでは、薪の代わりが電気調理器になり、鍋や食器も金属製や磁器に代わりました。これらの食器は、食器棚に収納されます。都市部には水道があるので、水は蛇口をひねると出ます。以前は長い道のりを女性が水汲み場(井戸や川、湧き水など)まで、汲みに行かなければなりませんでした。水道の普及で女性達の重労働のうちの一つ、水汲みがなくなりました。以前は体を洗うのも、たまに近くの川に行く程度でしたが、今では家の中にシャワールームがあり、人々は毎朝シャワーを浴びます。ハット内では床の上に寝ていましたが、それがベットになり、枕や綿のシーツ、ウールの毛布が寝具として使われています。ハット内部にはテーブルというものがありませんでした。食事をする時は、床やベンチに座りお皿を手に持って食べていました。現代の家では、リビングに椅子(ソファーも)や机があります。そこでは、ラジオを聴いたり、テレビを観たりしてくつろぎます。

 昔の人々の衣服は毛皮でした。靴は履かず、常にはだしでした。衣服といっても、小さな毛皮のきれで股間を隠すために大人は身に付けていました。それらの毛皮は砂でなめされ、牛乳などの油脂分でやわらかくして作られました。子供達は衣服を身に付けず、いつも裸でした。現在、毛皮の衣服を身に付けて生活している人は、ジンバブエに一人もいないでしょう。現在の衣服は洋服が取って代わり、靴も履くようになりました。洋服は体にフィットし、気候に合わせて調節ができます。また、洗濯もでき清潔です。スーツやドレスを着ると、スマートに自分を見せることもできます。

 昔は貨幣の流通がない世界でした。物々交換がたまにあるくらいでした。その世界で一番の価値を示したのが、牛です。牛はその他にも頭数の多さで地位や威厳の高さを表していました。牛達は通常、家の近くの目の届くところで飼われています。そして、毎朝牛達は牧草地帯に連出され、そこで日中を過ごします。夕方また、牛舎に戻ってきます。牛の放牧や世話をするのは、少年か男の若者と決まっています。彼らの仕事は非常に過酷でした。身に付けているものが、小さな毛皮のきれだけですので、夏は暑く、冬は寒いのです。また、雨季は雨や風のせいで牛達のコントロールが非常に難しくなります。牧草地と家の途中など、牛が道をそれ、作物を食べたり、迷子になってしまったりすると、牛を世話している少年は両親にひどく叱られます。迷子になった牛を夜中探さなければならないこともよくありました。

 当時の牛の放牧を世話する少年達は、大変過酷だったと想像できます。いつもはだしであったため、とげのある植物を踏みつけないように気を付けていたでしょう。雨季にはレインコートなんてありませんので、雨に打たれていたことでしょう。牛の世話をする少年達の時期は、戦いの時期でもありました。先輩は後輩に対して強くなるよう、後輩同士をケンカさせます。大人たちはこのことに対して、一切口出しをしません。これは、少年が大人の男になるための儀式みたいなものです。

 牛の放牧の他に、少年達は様々な遊びを見つけて行っていました。野生の果物を探したり、鳥やネズミを捕まえる罠を仕掛けたり、土の粘土で牛を作り、格闘させたりして遊びました。他にも、かくれんぼや川で水泳、犬を使って狩などもしました。子供たちから見て、遊び場は自然の中にいくらでもありました。

 今日の子供たちには、学校があるので牛の世話や放牧をしている時間などありません。野生の果物を探したり、自然相手にゲームをしたりすることもありません。学校が終わったら、宿題が彼らを待っているからです。今の子供たちは、自然相手に遊ぶというよりは、ワイヤーなどの廃材で車を作ったりして、遊んでいます。若者の音楽性は太鼓から、ラジオから流れる洋楽に耳が慣れていきました。

 昔、少女達の居場所は家の中で、ほとんどの時間を母と一緒に過ごしていました。小さい時から、母親の手伝いを少しづつします。水汲み場からの水汲みも手伝いますが、母親の水がめの大きさよりもだいぶ小さな水がめを練習用として、頭に載せて運んで手伝います。薪を運ぶ時も同様、母に比べ薪の数は少ないのですが、母に真似て頭の上に載せて運びます。このようにして、少女達は小さい時から、荷物を頭に載せて運ぶ訓練を積みます。母親になると通常、赤ちゃんを背中に背負いますので、頭に荷物を載せることで、まだ両手があいて使えることになります。たくさんの荷物を持てることは、りっぱな大人の女性としてたしなみなのです。

 昔の少女達の楽しみといえば、トウモロコシの芯を使って人形を作ることでした。現代の少女達は兄弟達と同様に学校に通います。だから、家に居る時間が以前に比べ少なくなりました。彼女達の遊びは、手作りの人形作りから、既製品の人形で遊ぶようになりました。また、現代の少女達は大人になるにつれて、自分を美しく見せようと努力するようになるのでした。

 昔の食事は昼と夜の2食でした。また、食事の支度や片付けは母の役割でした。主食はほぼサザが毎日出されていて、付合わせは季節によってその時々のものが出されました。食事の時間は、畑仕事に行く人(主に男性)のペースに合わされていました。だから、季節によって、食事の時間が違いました。雨季の時は早い時間に昼食を食べ、夕食は畑仕事から帰ってきてからになるので、遅めになりました。

 食べ物自体も現在では昔と大きく異なります。パンと紅茶をティータイムに摂るのはいまや定番です。バター、ジャム、ケチャップなどのドレッシングといった、補助食品も定番で食卓に上がります。その他、マンゴーやグァバといったフルーツや人参、キャベツ、ニンニクなどなど様々な野菜も今では栽培されています。現代は朝食を取りますが、パンやミリミル(トウモロコシの粉)のおかゆなどがよく食べられます。。

 昔は天候に左右されたり、土地の大きさに限りがありましたので、食卓に上がる食物は季節ごとに限られていました。まさに、畑から収穫された農作物が食生活を支えていたのです。しかし、現在は貨幣社会になったため、お金があれば年間を通して、様々な食物が食べられるようになりました。

 昔、女性達(特に母)の役割であった、水汲みや蒔き集めが都市生活ではなくなり、肉体的な負担がなくなり、時間的ゆとりができました。女性の高学歴化が始まると、女性達はどんどん社会に進出しました。昼間、働きに出ている母はメイドを雇い、家事全般や子供たちの世話をさせます。都市生活に入ると、お金が生活の上でとても大切な役割を占めるようになりました。

 昔はショナ語で「ムシャ」といって、家が数軒集まって、地域共同体を作ってお互いが関係しあって生活を営んでいました。各家には男性の年長者が家長となり、また、共同体には代表者である首長が必ずいて、小社会を形成していました。たびたび、それぞれの家長と首長が集まり、地域共同体の意見をまとめたり、全体の調整などを行っていました。すべてのルールは首長の手中にあり、配下の家はそれに従っていました。そこには、非常に密接なシステムがありました。

 以前の首長は地域共同体ないで、尊敬される絶対的な存在でした。しかし、現在は学校教育の普及により、首長独断のルールに疑問を持ち始めた若者も少なくありません。若者は小さな集団のことを考えるより、もっと広い世界に目を向けるようになりました。以前、人々は自分の地域共同体から飛び出ることはありませんでしたが、現代は富を求めて都市に進出するようになりました。富を得る手段の情報が各地を飛び交ったことが、共同体からの脱出を決断させたのです。ある人は、鉱物の採掘や商業的農業、商売を目的に地域から出ていきまいた。ある人は、周辺諸国に富を求め出て行きました。

 昔、結婚は同じ地域共同体のなか同士で行われていました。だから、共同体ないはみんなが親戚同士の関係でした。現在、そのようなことはごく稀になってきました。首長の威厳も配下の人々の拡散で徐々に小さくなっていきました。

 現代は母と子供を村において、父親が街へ出稼ぎへ行くことが多くなりました。また、子供たちも良い教育を受けるために、親元を離れ遠くの学校に通う子も出てきました。当然、村の外に出ると、そこには違った世界が存在しています。それら、村の外の世界を見た人達が、ひとたび村に戻ってくると、村の様子を古臭く時代遅れと形容するようになってきました。

 昔の移動手段といえば徒歩のみでした。しかし、現在、自転車や自動車、電車といった交通手段の発達のおかげで移動距離が飛躍的に伸びました。移動手段の発達は情報や人、物、金を広く各地に行き渡らせました。HIVなどの感染症も同時に広がったことを忘れてはなりません。

 昔の地域共同体ないでは、相互扶助が絶対的なルールでした。ある家族の食料が足りない時は、誰かが分け与えたりするなど、彼らの考えるである一定の生活レベル基準をすべての人が享受できるようになっていました。作物の収穫やメイズの粉挽きなどの農作業やハット(家)のかやぶき(わらを屋根に載せる作業)、薪集め、結婚式などの催し物などといった作業はしばしば、住民共同で行われました。共同体ないに住む仲間同士の強調が非常に大切にされた、小社会でした。

 昔は犯罪がほとんど起きませんでした。回りがほとんど顔見知りという社会だったからというのと、良くない行いに対しては、社会(地域共同体)が非常に厳しく非難し罰を与えたからです。また、個人が悪い行いをしたときは、その個人よりも彼(彼女)の家族が咎められます。このように、家族がはずかしめを受けることは、大変な屈辱なことなのです。また、共同体ないの誰かが罪を犯したときは、被害者の祖先の霊がその人に罰を与えてくれると信じられています。地域共同体内の家族はほぼすべてが親戚関係なので祖先の霊は、誰がどのこ家の人か分かるのです。

 現代の都市、住宅環境では隣の家にどんな人が住んでるのか知らないというのが珍しくありません。都市の住宅は、それぞれの家が様々な場所(地方)から越してきた人達です。そこには、近所付き合いがほとんどありません。街である人が犯罪を犯した時、被害者の祖先の霊は彼とまったく関係のない間柄(親戚ではない)なのでその犯罪者を罰することができません。都市での生活は、不公平にも給料が低い場合があります。そのことが理由や顔見知りがほとんどいない都会の特性の結果、犯罪は起こってしまうものなのです。

 昔はいくつかの迷信が広く人々の間で信じられていました。特に死者の霊の存在は、強く信じられていました。ある人が病気で亡くなると、それは悪い霊のしわざだと信じられていました。また、妖術師の存在も同様、病気や干ばつさえも引起こすものと信じられていました。

 現在では、ごく一部の田舎を除き、これらの迷信を信じる人はいなくなりました。今日、病気の原因は、身体の不具合が自然の現象(何らかの要因)として起こるものであるという現代の医学的見地を誰もが疑いません。人々は病気になったら、霊媒師や妖術師のところではなく病院に行きます。死の存在も医学的な見方で解釈されるようになりました。干ばつも自然の現象がなせるものであると、理解されています。不慮の事故や死でさえも、現在は霊の影響とは考えないようになりました。

 時代の移り変わりで、宗教に関しても変化がありました。ある人は伝統的宗教に対して、迷信が多数存在することに疑問に思ったり、真実を見出すことができず、白人達が広めているキリスト教に改宗する人が出てきました。ショナ人はもともと信心深い人種といえます。キリスト教に限らず、現在でも伝統宗教、キリスト教徒と伝統宗教の混同主教など人々は、非常に熱心に信仰しています。

 現在、ほとんどの人々は近代化の波を歓迎して受入れています。西洋の科学技術は、一番に生活が楽になるからです。また、伝統的な考え方(迷信など)にはない客観性があると認識しているからです。西洋文明の恩恵を授かるということは、自分達固有の文化を塗り消しているということが同時にいえます。しかし、それらの異文化から自分達を防御することは簡単ではありません。文化とは長い歴史の中で培われてきた、大変貴重なものです。今のショナ人の考え方では、近代文明はすべて、優れていて良いものだ。だから、なんでも受入れようとしています。逆に伝統的な文化は、古臭いもので、悪しく、塗り替えるべきだという考え方にあります。新しいものがすべて良く、受入れるべきだという考え方はもう一度考え直す必要があります。

 一般的にお年寄りは若者よりも保守的です。新しいものに対しては、強い反感を持ち、自分達の考え方に強く執着します。現代のショナ社会で、田舎に住む人(特にお年寄り)はまだ伝統的な生活や規範に価値を見出しています。彼らお年寄りは、近代文明とは人間の精神や霊的な弱さ(欲望)につけこみ、節制を失わせる悪いものだと見なしています。ここで大切なことは、伝統を守っていこうというのも立派な文化の一つだということです。

 白人達はたくさんの文化をジンバブエに持ってきました。自分達の文化が一番優れていて、ショナ人の文化は古臭く劣っていると言いたいがごとく、彼らはショナ人の土地を我がもの顔で略奪し、手に入れていきました。ショナ人がこれからも西洋の文化の影響を受けることは、仕方がない時代でもあります。しかし、見た目が黒人(ショナ人)なのに、中身は白人の人間にはなって欲しくありません。ショナ人の文化を大切に、そして伝承し、ショナ人としての自我(アイデンティティー)を忘れないようにして欲しいと強く望んでいます。





 

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