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Zimbabwe.NET 青年海外協力隊体験記
from アフリカ ジンバブエ
 ■ THE 協力隊 (THE JOCV)

正式名称:青年海外協力隊(通称:協力隊)
英語だと:Japan Overseas Cooperation Volunteers(略してJOCV)
英単語を訳すと:Japan(日本) Overseas(海外) Cooperation(協力) Volunteers(ボランティア)

 ■ はじめに
 何かの「縁」で協力隊になった。実際に途上国で生活してみると、日本との想像以上のギャップや一筋縄ではいかないすべての物事に驚いている。協力隊の一番の特徴とは、途上国のある組織の一員として社会に入り、続き...........................................


 ■ 目 次
 ■ 協力隊とはどんなものか?自分なりに考えてみた............
  ・ 協力隊の特徴とは? ・ 今どきの協力隊員
  ・ 「ボランティア」って何? ・ 暇なときは何をしているのか?
・ 協力隊はボランティアなのか? ・ うれしい時、辛い時はどんな時?
・ 「協力隊」を簡単に説明すると...... ・ 協力隊のやりがいについて
・ 協力隊のイメージ ・ 実は勉強になることの方が多い
・ たくさんいる協力隊員 ・ 協力隊の成果とは
・ 協力隊員の適正 ・ 協力隊員ってどんな人か?
・ 協力隊参加理由(志望動機) ・ 協力隊員の男女差
・ 協力隊はどんな活動をしているか? ・ 協力隊参加のリスク
・ 協力隊員の義務と規則 ・ こういうところはさすがJICA
・ 協力隊の技術協力について ・ 協力隊に対するいろいろな意見について
・ 配属先やJICA事務所との「関わり」 ・ 協力隊に参加して良かったか?
・ 協力隊はパラダイス!? ・ 協力隊にもう一度参加したいか?
・ 途上国は不便なこといっぱい
 
 ■ 協力隊について、第二段! 
  他のページにジャンプします。 協力隊について、第二段! 協力隊について、第二段!



 ■ はじめに 2007.11.23

 何かの「縁」で協力隊になった。実際に途上国で生活してみると、日本との想像以上のギャップや一筋縄ではいかないすべての物事に驚いている。協力隊の一番の特徴とは、途上国のある組織の一員として社会に入り、2年間そこに浸かることだ。日本企業(組織)の社員として途上国に赴任するのとでは、生活様式そのものがかなり違うし、給料という報酬を求めない協力隊としての性格もそれとの違いをさらに大きくしている。さらに、平和で便利な国日本に自分が浸かっていた大きな反動を、途上国ではかなりたくさん感じる。開発途上国で過ごす協力隊の2年間の経験というのは、日本社会から見たらかなり特殊であるのは間違いない。

 今、私達協力隊は「開発」という分野にいる。私はこの事を、ジンバブエに赴任していたJICA短期専門家の方から教えてもらった。学問のなかには「開発学」というものが立派にあるそうだ。大まかにいうと「開発学」とは、世界の安定・平和や豊かさを目指すために必要な学問である。世界は広いが、特に開発途上国といわれているところが「開発」の舞台になる。

 ところで協力隊とは一体なんだろう?税金で運営している事業。ボランティア事業。国際協力。途上国との友好親善と相互理解。途上国発展の一助。政治の道具。日本の若者育成。やりがいを求め日本を脱出した若者。2年間ただで海外に住める。などなどなんだか、協力隊になった本人でも協力隊が一体なんなのかピンとこないことがある。頭の中を整理していると、自分の中の結論が矛盾していることもいくつかある。

 そこで、一度自分の頭の中を整理するため、協力隊とはどんなものか?や途上国と日本について、自分なりに考えをまとめておきたいことなどに各項目を設けて、自身が体験し実感したことを元にここでは書きたい。書かれている内容には主観的意見が入り、ステレオタイプ化しているが、ここは一感性としてのページなのでそれでいいと思う。当然、書かれている内容が協力隊のすべてでは決してないので、注意して欲しい。とんだ誤解があってもいけないので、正式な「協力隊について」はJICA発信の情報(ホームページなど)を常に参照して下さい。




 ■ 協力隊とはどんなものか? 2007.11.23
 ■ 協力隊の特徴とは?

  • 途上国のある組織の一員として社会に入り、2年間そこに浸かる
  • 基本的に任地の配属先では「日本人一人」となり仕事を行う(グループでの派遣もある)
  • 生活は特別待遇ではなく、配属先の同僚達と同じような生活様式で2年間を過ごす
  • 2年間、給料という報酬はもらわない(ボランティア)
  • 2年という非常に長いボランティア期間である
 協力隊の舞台は、開発途上国といわれるところである。その国のある組織(配属先)に属し、社会の一員としてそれぞれの協力隊職種に基づいた仕事を行う。協力隊はグループ派遣という複数の協力隊員で行う活動形態もあるが、基本的に任地の配属先では日本人一人となることが多い。途上国で仕事をするに当たって、給料という報酬はどこからももらっていない。しかし、途上国への渡航費や現地での生活費(最低限)などはJICAが負担してくれる。協力隊の生活様式は現地の住民とほぼ同じであるといってよい。だから、現地の文化や習慣などを自然と肌で感じながら2年間を過ごすことができる。協力隊に合格し、協力隊訓練所(約2ヶ月)入所から途上国に赴任して帰国するまで(2年間)の期間はJICAにボランティア雇用(自発的に志願して)?!された形になる。また、「2年間のボランティア」期間は一般的なボランティアの期間に対する認識よりもかなり長い。

 協力隊員はボランティアであり、配属先で行う行為などを「仕事」とは通常言わず、「活動」という言い方をする。このページでは、特に使い分けは気にしていない。



 ■ 「ボランティア」って何?

 正直、ボランティアというものに対して勉強不足なので調べてみた。

 自発性、無報酬、公共性の3つが当てはまった時に、ボランティアと定義するのが一般的だそうだ。なんだか堅苦しく感じるのは気のせいであろうか。ちなみに、電車内でお年寄りに座席を譲るのは道義であり、ボランティアとは言わないそうだ。

 過労死という言葉は日本で作られ、海外でも「カロウシ」のまま定着している。しかし、ある国では「カロウシ」の定義は理解できるが、カロウシが起こる社会構造がないため、どんなものか実感できないという。日本での「ボランティア」もこういった側面があるように思う。ボランティアの言葉自体は欧米諸国からの外来語であり、キリスト教博愛精神から由来した背景を持っているそうだ。現在、ボランティアという言葉は日本にすでに定着し、だいたいの意味を日本人は知っているが、本来の意味となると、すんなり理解しているとは条件的に言えないのではないか。

 日本人は「仲間意識文化」によって、仲間と他人の区別がとてもはっきりしている。仲間うちの持たざるものに対しては、非常に献身的に援助するのに対して、他人となると見向きもしないといった態度に出る。ボランティアの対象者とは往々にしてこの他人ということになるので、日頃の仲間と他人の区別は邪魔になってくる。また、日本人には「義理人情」のように、すべての行為において「見返り」を意識するという思考様式があるが、ボランティアの「見返りなし」の性質とは似つかない。さらに、日本の社会文化からきている「指示待ち」という受身的行動様式と「自発性」の要素をたっぷり含んだボランティアとは、対立している。

 なんとなくだが、ボランティアという言葉と日本語の「奉仕」を同意語だと仮定してみたら、特段「ボランティア×2」と騒ぐ性質の言葉でもない気がする。しかし、今の世の中を反映してか、日本では人気の言葉である。最近、ボラバイト(ボランティア+バイト)やプチボラ(ちょっとした+ボランティア)なんて言葉もあるらしい。日本は自動車に代表されるように、ものを独自に加工する技術はやっぱり世界一だ。日本において、ボランティアという言葉の意味を考える時に、少なくとも「自発的参加」という要素だけは大切して欲しいと私は思う。

 ☆ 余談 ☆
 「ボランティアとは金持ちが行う、道楽である」と聞いたことがある。ちょっと納得したが、皆さんはどう思いますか?それと、本場のボランティア精神ってやつに触れてみたいと今思っている。



 ■ 協力隊はボランティアなのか?

 自発性、無報酬、公共性のどれも当てはまっているからボランティアだと自動的になる。

 しかし、私もそうであるように協力隊の応募時、「ボランティア活動がしたいから」ということとは別な理由で志望し合格している人がたくさんいるのである。私は協力隊応募の願書作成時、「ボランティアに関心があり・・・・・・」とは動機のところに書けなかった。これといって私のボランティアに関心があることを裏付けるボランティア履歴がなかったからだ。正直、応募時は純粋なボランティア精神を持って志望したわけではない。

 実際、私が任国に赴任した当初、自分がボランティアについてどう思うかは関係なかったが、ボランティア(自分)に対する配属先の同僚達が抱くイメージは気にしていた。もし私がボランティアだと名乗ったら、同僚達が私に「おきらくな仕事をやりに来たのか」と思い、特別扱いされそうな気がしたために、とりあえず「ボランティアです」とは自分から名乗っていない。協力隊という呼び名は、日本人同士でしか通用しないので、他の協力隊員は自分のことをその国で何と(ボランティア?)名乗っているのかとても気になる。

 赴任してからしばらく経ち、給料という対価をもらっていないのが当然で、それでも自分から進んで同僚達と一緒に仕事をしていると、そういった環境に慣れてくる。私は社会人経験があるから、仕事をする動機の半分以上が給料のためだと感じていたし、辛い時などはその対価のためにというように割り切っていたこともある。慣れとは怖いもので、自分が給料という対価をもらわなくてもちゃんと何らかの仕事をしている今の状況に驚く。ふっと、自分がボランティアという枠の中に入っているのかなと感じた。

 振返ってみると、協力隊に応募する時点では「ボランティアへ参加」したという意識はないが、任国へ赴任してからしばらく経った時に、自分を客観視してみると「自分はボランティア」なんだと認識する。

☆ 余談 ☆
 確かに協力隊は「無報酬」なのだが、日本の銀行口座にJICAから毎月国内積立金が振込まれている。あれは協力隊員が日本に帰国した後のバックアップをする制度上のもので、主に進路決定(開拓)や新生活準備のための支援経費である。だから活動の対価ではないそうだ。協力隊に応募する覚悟には2年間の途上国生活や、日本社会からの離脱など様々なリスクを考慮した上で全員が自発的に参加している。毎月の国内積立金が帰国後、有効活用される必要経費とあれば、現状よりもっと支給されて良いと私は思う。しかし、19-2次隊の協力隊員から、この経費が半額になったそうだ。



 ■ 「協力隊」を簡単に説明すると.........

 派遣地:途上国、派遣期間:2年間、給与:なし※、生活費:支給、渡航費:支給・・・肩書き:ボランティア・・・安全対策:万全・・・長期派遣バイト募集中。※任期終了後、新生活までの準備資金として毎月の国内積立金あり

 当然、上に書いてあることは間違いだ。協力隊は派遣バイトではない。しかし、最近派遣バイトは日本でかなり流行っている。言葉の響きも今風だ。

 協力隊はJICA(独立行政法人 国際協力機構)の事業であり、JICA組織の一員として協力隊員は採用される。

 派遣先は開発途上国で期間は2年間。職務内容は応募する時に選択した職種で、途上国側とJICAで交わした「要請内容書」を基本的に元とし仕事をする。職場は途上国の政府関係機関やNGOなどである。待遇は最低限の現地生活費が支給され、さらに日本の銀行口座に、国内積立金が振込まれる。協力隊選考試験において、健康状態が第一の条件である。

 JICAが協力隊事業に期待すること、つまり目的は相手国と日本文化を持った協力隊員とを通した友好親善や現場主義の一環としての技術協力援助、日本の若者育成(国際感覚など)、協力隊員のボランティア精神の目覚めと育成だと思う。



 ■ 協力隊のイメージ

 イメージとはとても大切で、関心を持ってくれるかそうでないかの大きな分かれ目になる。私自身は協力隊のことを良い制度だと思っているので、たくさんの人が協力隊について関心を持ってくれたらいいと思っている。

 しかし、実際はイメージをする段階から難しい問題がある。協力隊の活動現場は途上国というところで、大多数の日本人がそういった国をイメージし難いのである。さらに、さてそこで協力隊員は日々どんな活動や生活をしているのか?と言われても皆目見当が付かないのではないか。私自身は旅行で途上国といわれるところを以前回ったことがあるので、協力隊のおおよそはある程度イメージできていた。しかし実際、途上国で生活して現地社会の一員として働くとなると、また私のイメージとは状況がガラリと変わってくる。

 どうしたら活動現場である途上国に日本人の関心の目がいくだろうか?協力隊のことをイメージするのはその後の段階である。途上国に関心を持つには、途上国との何らかのつながりがないとダメだろう。さて、つながりとなると、現地にある程度の数の日本人がいないと話にならない。ニュースでの「乗客に日本人はいませんでした×2」ではないが、日本人のいないところでは、湯気すら立たないのが途上国に対する今の日本人の感性でもある。

 私が考えるに、途上国に日本人の関心の目を向けるには、JICAが途上国(都市部ではなく地方のみ)に協力隊員をバンバン×3送ったらいいと思う。そうしたら、日本で途上国を身近に感じてくれるはずである。また、当事者の協力隊員は途上国の住民と共に働いたり、生活したりするので、その地域の人々の文化や習慣を肌で感じることが自然とできる。私の感想では、各国にいる協力隊員でそのなかの数名はかなりその国の事情通であると確信している。途上国の観光地案内を日本人相手に企画するのであれば、中途半端なツアコンよりも1年半以上そこに生活している協力隊員にやらせるのが、一番上出来な結果が出せると保障する。現地にどっぷりと浸かる2年の歳月は長いのだ。また、協力隊はボランティアなので直接費は掛らないが、経費を今後もガリガリと削り、今の派遣数を何倍にもしたらいいと思う。ボランティアでかつ経費を削るだけ削ったら、誰も文句のつけようがない。もちろん「自発的参加」を一番大切な部分としておくのがいい。

 話は変わるが、ジンバブエで(他国でも)日本人は外見上「中国人」に見られている。初対面の外見だけで日本人と識別できるジンバブエ人は50人に1人くらいだ。私達は街中で「Chana(中国)」といわれて少々腹が立つことがある。浅はかな考えだが、私達日本人が何かいいことをしても、中国人と誤解されているため損してしまう。中国人の数とパワーはかなりすごいと感じる。



 ■ たくさんいる協力隊員

 現在、約2,400人の協力隊員(期間は2年間)が世界の各地域で活動している。2,400人というのは結構な数である。あまり意味はないが、2,400(人)を47(都道府県)で割ってみたら、一つの県当たり約50人になる。

 派遣国は約80ヶ国になる。現在、派遣人数が一番多い地域がアフリカ地域で、二番目がアジア地域である。以前はアジアがいろいろな理由から重点派遣地域だったが、アフリカ地域がいつしか追い抜いた。2,400(人)を80(ヶ国)で割ってみると、一つの国当たり約30人になる。

 平成19年度、つまり今年、協力隊の累計派遣人数が30,000(3万)人を突破した。あまり意味はないが、30,000(人)を47(都道府県)で割ってみたら、一つの県当たり約640人になる。

 また、現在の派遣人数約2,400人の内、男女比率は約2:3で女性協力隊員の方が多い。これは100人いたら、40人が男性で60人が女性ということである。累計派遣人数を見ると、男性の人数の方がはるかに多い。年度(派遣隊次)毎の女性協力隊員派遣数が男性のそれを上回るようになったのは、最近の傾向で今後も続くようだ。

 あまりは意味なく、全都道府県数47で割ってみていたが、本当に意味はない。協力隊員の出身県で派遣数(OB,OG含め)のダントツは東京都である。これは東京都の人口がダントツに多いので当然である。しかし、協力隊員の出身県人数を各都道府県別の人口で除した割合で表示すると、どこの県が割合的に多いか少ないか一目瞭然だ。この割合はどの県もだいたい似たり寄ったりなのだが、数字に出すと協力隊派遣数が「多い傾向の県」と「少ない傾向の県」が出現する。なぜ多いんだろう?少ないんだろう?県民性?情報量?協力隊の認知度?推進員の資質?調べてみたら面白そうだ。

※ 記載の数字は2007年度JICAデータによる。



 ■ 協力隊員の適正

 一番大切なことは、途上国の生活条件下において「健康を維持できる心身」であることだ。開発途上の国々は病院などの医療施設があまり整ってなく、地域によっては最悪という状態もある。こういった状況において、健康状態のいかんでは生命に危機が及ぶこともある。日本とは医療状況そのもが異なる事によって引き起こる障害を防ぐため、協力隊選考試験の健康診断では審査が非常に厳しい。

 次に「ヤル気」「人間性」「柔軟性」「技術?」「語学?」最後の2つはのちのち何とかなるのもなので、そこまで気にしなくても・・・

 実際、相手国の要請に応じられる技術というものを選考試験では問われるが、途上国には途上国の発展に適した技術があるわけで、そういう技術とは何かを隊員自身が赴任後、考えることが大切でる。「日本の先端技術がありますから、はいどうぞ!」というわけにはいかないのが現実である。自分の知っている技術の押付けではなく、途上国の人達にとって必要な技術や知識などを伝えることの大変さを、協力隊員は赴任後まもなく知る。だから、日本の常識に囚われない柔軟性が必要になってくる。語学力は絶対に必要とは言い切れない。語学力を技術や言葉以外の意思疎通手段で補って伝えることができたらいいのだ。語学力は日々の努力しだいで個人差がすごくつく。自分の語学力が劣っていることに対し、劣等感を感じない人は残念な人だ。

 「健康」で「ヤル気」「人間性」「柔軟性」がある人すべてが協力隊に参加できたらいいと思う。



 ■ 参加理由(志望動機)

 志望動機は協力隊選考試験を受ける際、願書に記入するし、面接でも聞かれる。私の志望理由は、「協力隊の活動が自分にとってやりがいのあることだから」と「途上国の発展のために自分が何か役に立ちたい」の大きく2つだ。面接の時も同じことを話した。「途上国の発展のために・・・・・・」は聞こえがいい。不正直に言ったのではないし、間違ってはないとその時は強く思っていた。が、しかし・・・・・・(>発展とは リンク

 赴任してから1年が過ぎた頃、物質社会日本の便利さをふと思い出した。その時それがきっかけで、以前から思っていた「不自由な国(途上国)に住んでみたかった」という、自分の中にあるもう一つの協力隊志望理由に自身で気が付いた。赴任1年が過ぎ、やはり日本は何事も便利にできていると、再認識してのことであった。しかし、どうして今更このような協力隊志望理由が思い出されたのだろうか?なぜ、協力隊応募時には頭の中になかったのか?推測だが、この志望理由は対外的に幼稚だと自分で独自に判断し、気持ちを意識の奥に押込めていたようだ。また、「不自由な国に住んでみたかった」という志望理由の他に自分では認識できていないが、自分の意識の奥底にまだ別の志望理由があるかもしれない。

 協力隊の志望理由には、願書や面接で公表するものや意識的に心に留めておくもの、自分の心の中にあるが無意識なものなど、心の中をくまなく探したら、実に小さなことまでたくさん出てくるだろう。それらを選考試験やもう合格しまったから(不合格しまったから)などでシンプルにまとめて考えてしまっていたのでは、何かもったいない気が私はする。

 人から聞いた話や自分の見方から、他の協力隊員の参加理由を挙げる。協力隊活動(ボランティア活動、海外での活動など)で「やりがい」を感じたい。開発途上国発展の一助となりたい。国際貢献がしたい。自分の能力(技術、語学、国際感覚など)を向上させたい。自分に適した職種や要請内容があった。途上国に関心がある。自分の視野を広げたい。小さい時から協力隊参加が夢だった。就職活動の選択肢の一つ。海外で生活または仕事がしてみたい。日本社会が合わない。日本から逃避したい。若者の手本となりたい。自分に「箔」を付けたい。開発学の実践入門として。人生の小休止(自分は何がやりたいのか考えたい)。独りになりたい。彼女、彼氏を作りたい。ただなんとなく(生活には困らないし)。など、まだまだあるはずだ。

 私は日本の協力隊訓練所で「あー私もアウトローになってしまったな」と所内の空気感を感じ取ってか思った。なんかマイナスの雰囲気とプラスの雰囲気がミックスされた妙な空気感だった。今思うと、このアウトローと思った感情と協力隊の志望理由は関連性があるように思う。また、途上国で生活し活動している協力隊員は、「何で自分がここにいるのか?」とか「何が自分はしたいんだろう?」、「自分が役に立っているのか?」などの疑問を感じることが多々ある。これは途上国に一人で生活しているが故の空虚感や途上国故の不条理さ、自分の活動が思い通りに行かないこと、さらに日本社会への疑問などからきている。何事も原点は大切である。そういうときに、自分の中にある協力隊参加の「本音の動機」が生きてくると私は思う。



 ■ どんな活動(仕事)をしているか?

 日本の高校生達が途上国にいる協力隊員とメールのやり取りを通して、異文化と国際協力理解を目的とするプロジェクトに私は参加している。そのメールでよく高校生達から聞かれるのは「どんな仕事をしてますか?」、「途上国の生活で何が不便ですか?」などだ。途上国に関する数々の質問に私が詳しく答えても、高校生達がこちらの状況を想像するのは難しいようだ。それは想像力の問題ではなく、日本の豊か過ぎる環境が途上国に対する想像を難しくさせているだけのようだ。

 協力隊員は赴任した国の政府関係機関である、省庁、学校、役所、病院やNGOなどの機関に配属される。そこで、組織の一員として2年間の仕事をする。

 私の場合は、技術工科専門学校で「ふつう」の講師をしている。もう少し言うと、生徒相手に土木関係の授業をしたり、講師相手にもコンピューターを教えたりしている。さらに、生徒や他の講師と共同で太陽光温水器や学校の敷地看板作成プロジェクトを企画・実行もしている。

 私の活動形態は、活動現場が教室だから教室型と言われている。協力隊の活動形態は全部で4種類にまとめられる。
  • 教室型
    • 教室が主な活動場所で、生徒への指導(講義)や実習を行う
  • 村落型(←協力隊は様々な活動形態があるにも関わらず、「協力隊のイメージ」はここから作られるものが少なくない)
    • 田舎(農村部)の方でその地域の人々に、農業や様々な現金収入方法などを指導したり、衛生習慣などを普及させたりする
  • 現場勤務型
    • 建設現場や病院・工場などが活動場所で、その場所で必要とされる仕事を行う
  • 本庁・試験場勤務型
    • 国の省庁や試験所・研究所が活動場所で、計画や設計・研究・試験などを行う
 仕事の説明にボランティアという言葉が邪魔をしているかもしれないが、協力隊員は約140種類の職種に分かれていて、各国それぞれの組織で「ふつう」の仕事を(給料を貰わない社員として)現地の人達に混ざって行っている。



 ■ 協力隊員の義務と規則

 協力隊員の活動は基本的に途上国の配属先職場において、点としての活動を行う。自分の上司は配属先の上司であり、JICA事務所の日本人スタッフ(調整員)ではない。あくまで自分の所属は配属先なのだが、一方、JICAという組織の一員であるということを決して2年間の赴任中忘れてはいけない。

 ここでは、自分達に関する義務と規則を挙げる。断っておくが、私達は「ボランティア」であるため、義務や規則といった強制させるような言葉は本来使用されない。それらの言葉の代わりに、JICAの資料などにある通り、「合意文書より(約束ごと)」や「心得」、「ガイドライン」といった言い方をしている。ここでは、分かりやすさという理由で題記の言葉を使用しているので注意して欲しい。

 また、私達は「ボランティア」であるが、日本国民の税金で行われている協力隊事業でもある。だから協力隊員は、国民への説明責任の義務や協力隊員の身勝手な行為(予測される)に対する抑止(規則)を用いて国益やJICAの信頼を損ずようなリスク(結果の不確実性)を減らす必要がある。言い回しがややこしいが、私達協力隊員は当然としてやるべきことはやり、存在する規則は守るということを行わなければならない。

 義務(やらなければいけないこと)は大きく2つある。1つは配属先の要望書内容に則って、配属先にて活動を行うことだ。JICAの基本スタンスとして、協力隊員の配属先における仕事内容への干渉は隊員の主体性を損ねるとの見地から基本的にノータッチ(技術的サポート体制はJICAにある)だが、少なくとも配属先との接点を隊員が外してしまう及び外されてしまっては、協力隊事業上うまくない。2つ目は活動報告書の提出だ。赴任3,6,12,18,24(最終)ヶ月目にそれぞれJICA指定の報告書記載内容に則し、報告書を作成、提出する。自己の活動管理や評価、情報の共有、開示が目的であり、赴任中計5回ある。

 次に「規則」だ。規則とは、大変窮屈だったり、また空気のように何も感じないなどと、人それぞれで感じ方が異なるものだと前置きをしておいて、協力隊の場合もそれらしきものが存在する。まずは、単身赴任だ。既婚者は配偶者を任国へ連れて行けない。これは大多数の人が関係のない話だろうが、中には該当者も存在している。次に私利に関する活動の禁止。それから、一部の国では活動用として、バイクが貸与され運転が許可されるが、基本的に自動車やバイクの運転の禁止。次に国内移動には、異動届という申請書を事前に事務所に提出すること。これは常に協力隊員の現在位置把握を事務所側が行えるようにするためである。次に任国から外国(国の制限あり)へ旅行する場合、のべ期間が20日間以内と限られている。また、これはジンバブエの場合だが、陸路での越境(内陸国なのに)ができない。など。JICAの「心得」のガイドブックにはまだ他に記載事項があるが、書くまでもないことなのでここでは書かない。

 規則は柔軟性を制約する見方から、極力ない方がいいに決まっている。しかし、規則がやっぱりあるのは、リスクを減らすための手段だからだ。規則の多さが原因とは言えないが、協力隊員が「JICA組織の一員」という認識を強くしてしまうことは、ボランティアとして大切な自主性に触れてしまっているのではないか。ただでさえ、指示待ちのように従順さを尊ぶ、教育や社会環境で育った私達なのだから。リスクは現地現地での柔軟性や個々の責任で片付くことができたら本当はそれでいいと思うのだが。



 ■ 協力隊の技術協力について

 日本で会社の新入社員相手に、自分が仕事を教えている様と途上国において自分が技術を教えようとするのでは、月とスッポンくらいの違いがある。まず、新入社員の場合だと、技術を受入れられる資源、つまり周囲の環境が新入社員側に整っている。将来的にも、線路の上をたどればいいだけで、目指すところは明確だ。しかし、途上国の場合、往々にして技術を受入れられる設備や設備へのアクセス、道具、人の教育レベル、人の意欲といった資源の環境があまり(ぜんぜん)整っていない。また、将来的に自分が教えたことがどのように生かされるのか想定するのさえ難しい。さらに、「この国の発展とは?」なんて考えてしまうと頭の中の収拾が着かず、ますますやっかいになる。

 赴任後6ヶ月もしくはそれ以上は、「現場の様子を見て知ることが最善」と以前、協力隊の先輩方に言われたことを思い出す。「最初から結果を出そうと、ピッチャーの球に食らい付いていたのではいい結果が出せない。最初は球を見送り(打ちたくても我慢して)、球筋の研究から入るのだ」という例えもあるほどだ。つまり、その配属先やその国に根ざした発展の仕方とは何かを考え、そのニーズを汲み取ることが活動のイロハのイなのである。その後、自分の技術をその一助として、どのように組込むかを考え、行動に反映させていくことが大切なのだと。「発展とは?」については、2年間で答えが出ないような性質の問いのような気がする。それは、自分の住んでいた日本をお手本に発展した方が良いとは一概に言えないからである。

 協力隊は一人一人が何らかの技術(得意なこと)を持っているからこそ、途上国での存在意義があると最近感じている。その技術による何らかの結果(平常授業を行うなど、なんでも)があるからこそ、配属先との良い関係が築けられる。配属先において、何か目に見える結果(ささいなことでもOK)を周囲に示すことの大切さはとても感じている。その結果によって周囲から自分が認知されることは、活動の基礎であり、自分にとっての精神的支えにもなる。赴任後6ヶ月を過ぎると、だいたい配属先のニーズや自分の貢献できる能力の範囲が見えてくるので、後はただ熱心にいろいろやったらいい。

 途上国では周囲へのプレゼンテーションという意味から、自分の持っている「技術の見せ方」を柔軟に考える必要が日本以上にある。



 ■ 配属先やJICA事務所との「関わり」

 配属先の目線で見た協力隊員というのは、「日本人(外国人)」「ボランティア(給与をもらっていない)」「一社会人」「一同僚」などである。職種形態や配属先にもよるが、特に最初の2つは良い面と悪い面を隊員にもたらしているようだ。「ボランティアなんだから好きなことをやりなさい!」は良い面だと思う。しかし、ボランティアもしくは外国人だから、客人のようにおおめにみてくれたり、甘やかされたり、期待もされなかったりすることがある。

 また、日本のように指示をたくさんしてくれる組織文化ではないので、指示待ちをしていたら時間だけが過ぎていくことになる。私の仕事に対する考え方の背景からなのか、当初、配属先に対して「私をいいように使ってくれ!」と心のうちに思っていたが、そうもしてくれず上司に対し落胆したことがあった。しかし、自主的に自分が働きかけると彼らの視野の中に自分が入れるのだということをまもなく知った。配属先が協力隊員に対する期待も最初の頃は漠然と持っていたようだが、何か目に見える結果を見せるまでは息のある目で見てくれていなかったような感じが私はした。この「結果」とは自分のことを頼りにしてくれるための大切なもので、良く現場を見極めてそれが何かを自分で探すことが重要だった。頼りにされると精神的に満たされる。

 次にJICA事務所だが、これは大多数の隊員が感じているみたいなので確実にいえることがある。それは、隊員の活動内容についての干渉(現場での把握など)をJICA事務所は行わないスタンスだいうことだ。もちろん、JICAには隊員向けに技術顧問からの技術的サポートを受けられるといった、サービスも提供されているが、基本的にノータッチというスタンスは協力隊員の主体性を尊重しているためだと納得するところに落ち着く。しかし、赴任当初はこの活動に対しての全くのノータッチさ(現場状況の不理解)を事務所の無関心などと批判したりする場面もあるが、これらは自分の活動内容を認めて欲しいや関心を持って欲しいといった願望から来ているようだったった。

 確かに、私達日本人である協力隊員(ボランティアなのに)は事務所の日本人に活動内容の何らかの評価がされているのではないかと、気にするし、また、活動に対して何らかの評価をして欲しいとも思っている。事務所からの評価を気にする協力隊員の活動姿勢は、ボランティア精神からくる主体性を削ってしまう結果に陥ることにもなるだろう。また、実際にJICAが協力隊員の活動評価をしているかしていないかは別として、ノータッチのスタンスはボランティアという性格から好ましい。しかし、JICA事務所の人達が協力隊員作成の報告書のみで活動状況や現状などを把握するのも良いが、協力隊の多様性ある職種業務に対する、「個人的な関心」を持ち関わりを作ることを隊員達は期待している。



 ■ 協力隊はパラダイス!?

 日本の協力隊訓練所で出会った仲間が訓練終了後、「協力隊はパラダイス」だと言っていた。まだ、赴任もしてないのにだ。とても印象的な言葉だった。協力隊として2年間の任期が終えてから「協力隊はパラダイスでした」なんて言ったら、なんか「うまいこと遊んできたな」と思われてしまいそうだ。しかし、もちろんいい意味で協力隊の任期終了後「パラダイスだった」と言えるくらい自分の心の持ちようが柔軟になっていたらいいなと思う。

 協力隊員の中には、途上国での生活や仕事が苦にならない人がいる。過去に途上国をバックパッカーとして回っていて、途上国に対する耐性がある人や考え方が非常に柔軟な人などが特にこれに当てはまるようだ。悲観的に途上国のことを捉える人よりも、彼らは何かにつけて事が有利に運んでいる。

 人によって感じ方は違うが、協力隊活動は日本社会のような仕事に対するノルマやプレッシャー、人間関係からくるストレスなども(心の持ちようによって)ほとんど感じない。「ストレスフリー」なのだ。給料をもらっていないので、責任感の調整を自由にできるからだ、ともいえる。また、協力隊員というのは自分の主体性が原動力であるので、評価基準は自分自身で決めるといった自己満足的価値観が通用するのだ。さらに、途上国では日本のような「サラリーマン的仕事のこなし方(仕事の達成度合いは上司の満足次第)」自体うまく機能していないため、自分の裁量を試したい人にとって、途上国の仕事環境はうってつけである。

 また、自分が給料のことを気にしていないボランティアだからか、それとも周囲の大多数が物質的に貧しい生活をしている人々だからなのか、お金に焦点を当てた時、正直私は優越感を感じる。私達の事を相対的に見ると、「民衆と共に」の協力隊員もやっぱりお金持ち外国人なのだ。

 さらに、途上国の目に見える物(物質)がないという皆一律一線の状態では、他人に対し比較の対象「物」がないので見栄や妬みが生じない。日本は物質社会で物が溢れかえっていて、見栄と妬みの塊のような人が続々と登場しているが、あれは物質社会の弊害だと思う。確かに物がないのは不便なのだが、その土地の人々はなんとも心温かい。いつもそういった人の温かさに自分が満たされ、感心する。

 よく日本に来ている外国人に「日本のどこを観光したのか?」と聞くと、その訪れた場所の多さに驚かされる。他国に行くと精力的に観光をするのはおおよそ誰にでも当てはまる。協力隊員も任国において、休暇を利用し、国内旅行をすることが一番の楽しみである。協力隊派遣国の中には観光資源に非常に恵ているところがあり、正直、その国の協力隊員が羨ましく思ったりする。また、協力隊は赴任した国以外(周辺国で安全な国のみ)への旅行がのべ20日間認められている。ほとんどの人が一度は配属先の休暇を利用し、旅行で国外に出ている。



 ■ 途上国は不便なこといっぱい

 日本にいると、途上国の何がどのように不便なのか想像が付かない。それは、「途上国」という言葉と非常に「限られたイメージ(痩せ細った子供など)」だけが独り歩きしいるからだ。日本の高校生からも何が不便か?といった質問のメールをよくされる。

 ジンバブエの私の例で書こう。まず、夜徒歩での外出ができない。理由は危ないので。電灯がなくて足元が見えない危なさと、犯罪に遭遇する危なさがある。夜の外食などはタクシー移動が必須だ。洗濯機がない(洗濯機の普及率1%以下)ので、洗濯物を溜め込み、洗剤で漬け置きしてから手洗いしている。気軽に外食するところがない(首都にはいくつかレストランがあるが外国人向け)ので、毎食自炊だ。ここはアジアの屋台文化とは真逆だ。娯楽といわれるものがない。テレビは国営の1チャンネルだけで、情報が偏っているという噂が・・・。バスなどの公共交通機関が未発達で、移動時の効率がかなり悪い。デジカメやノートパソコンを不用意に人前に出せない。仕事上、これらの電子機器を出したいのだが「金持ち」に見られて狙われても困るのでかなり気を使う。その他は、ジンバブエ人とした約束を平気で破られたり、文化・習慣の違いが元になった不便さを多々感じる。などなど。日本のようなコンビニがない・・・

 ☆ ジンバブエ他隊員の不便編 ☆
 頻発する停電・断水。シャワー専用湯沸かし器がなくシャワーのお湯は、電気コンロで温める。停電の時は、水シャワーかシャワー自体を諦める。夕食時の停電は、薪で料理を作り、ロウソクの明かりで食べる。断水に備え常に水を貯めておかなければならない。断水が続く時は、トイレが臭う。文化的?に時間の正確性がないので、バスで首都に上がる時などは、一日がつぶれる。マラリア防止のため、毎晩蚊帳で中で寝るなど蚊対策をしなければならない。家の気密性(隙間の有無)が悪く、ネズミやゴキブリ達と同居(不衛生)。などなど。停電・断水が一番こたえるそうだ。

 不便さも生活していくうちに麻痺していくが、たまに日本の便利さを思い出すとここでの「不便さ」を再度痛感する。この不便さは国や都市、田舎など、場所によってバラバラではある。協力隊を派遣している国の中には、日本とほとんど変わらない生活環境で過ごすことができる国が存在しているのも事実だ。でも、せっかくなのでたった2年間、経験という意味で不便なところに住んでみたいというのが協力隊に参加している大部分の人達の本音のようだ。ここは不便だけれど、「自分達は2年間限定の住人だから我慢できるね」って自分達に言い聞かせながら・・・・・・



 ■ 今どきの協力隊員

 「今どき」と「今風」は同じ意味か?「今どきの若者」と「今風の若者」、今どきだと何かネガティブな感じがして、今風だと新鋭な感じがしないでもない。「風」でも「ふうー」と「かぜ」の違いで「ふうー」の方が感じがいい。例えは、「インド風カレー」。「かぜ」だと「役人風」など。ここの項目では、特にそんな意味合いは関係ない。

 いつからを「今どき」としよう?何が言いたいかというと、デジタル電子機器が日本で一般的に普及するようになってまもなく、協力隊員もノートパソコンやデジタルカメラ、電子辞書などを赴任国へ持参するようになった。2007年の今では95%以上の協力隊員が少なくとも上に挙げた3点を、任国へ持参するようになっている。

 ちなみに私の場合は、上の3点に加え外付けハードディスクやスキャナー(活動で使用)を持参し、プリンターを現地で帰国する先輩隊員から買った。他の人の例でいると、上に挙げた以外に、i pod(データ音楽プレーヤー)やCDウォークマン、ラジオ、GPS(測量隊員)などがいる。一番重宝するのは、なんといってもノートパソコンである。次に電子辞書だろうか。電子辞書は軽くて持ち運びが楽でいつでも調べられる。

 途上国は現在、手書き書類の電子化が急速な勢いで進んでいて、配属先にあるパソコンの存在や数に赴任直後驚く隊員も多いのではないか。日本同様、途上国でも省庁・役所関係は特に書類(レター)が大好きである。私の配属先の学校では、提案書や連絡文書などを手書きではなくパソコンで作成することがすでに定着していた。学部長が手書きで書いた書類を秘書が一生懸命時間を掛けて、パソコンで打ち直している姿を見ると、パソコンによって作業が効率化したのか、それともワークシェアリングが起こっているのか分からなくなる。なんでも、パソコンで作成した書類は、それだけでステータスがあるとか。また、プリンタの消耗品であるインクが買えず、結局手書きで書類を作成していた学部長の姿を見たときは、何も言えなかった。途上国は電子化の普及が進んでいるとはいえ、日本の様になるには資源的(ハード・ソフト共に)な要因からまだまだ先であるようだ。

 知っての通りノートパソコンが一台あると仕事から遊びまで、実にいろいろなことが出来る。協力隊活動においても、ノートパソコンやそれを使いこなす技術は任国で大活躍している。現に2年間で5回提出する隊員活動報告書はほとんどの隊員がパソコンを使用し作成している。協力隊員はフィールドワークが活動の主という人もいるが、全体的に与えられるポストの関係や文章や表で活動(計画)を具現化する作業など、意外と職場でのデスクワークを行う時間が長いのではないか。しかし実際、ノートパソコンは非常に高価なものなので、同僚達の視線を気にして、職場に持っていかない人が少なくない。私もそうであるように、自宅に帰宅してから自分のノートパソコンを開き残業をしている人が結構多いのではないか。 途上国で活動する協力隊員だが、一日にパソコンに向かっている時間の長さをアンケート調査したら、きっと想像以上の数字が挙がってくるであろう。

 日本の家族や友達などへの連絡手段も最近は、インターネットを介したEメールがかなりの割合を占めるようになった。電話だと国際電話ということで、あまり余計な事は言わないあっけない会話になってしまいがちだが、Eメールだと自分の生活状況をかなり詳しく書き、相手のことをある程度想像できるようなやり取りができる。また、Eメールは自分の好きな時間にメール読んだり書いたりできることも利点だ。とはいえ、やはり日本の家族にとって、たまには電話での肉声で協力隊員の安否を実感したようだ。

 また、途上国において携帯電話についてもパソコン同様、想像以上に普及していることに皆驚いていることだろう。あのマサイ族が携帯電話で話しをしている姿の広告は、インパクトがとてもあった。協力隊員は危機管理の観点から全員に携帯電話がJICA事務所から貸与(使用料は隊員持ち)される。電波の入らない田舎などは、衛星携帯や無線機などがその代わりになる。携帯電話といっても日本の様な高機能の本体ではないが、国際電話はもちろん、流行の携帯メール(アルファベットのみ)だってできる。その国内で協力隊員同士の連絡は人にもよるが、携帯メールが日本同様幅をきかせている。

 もちろん過去の協力隊員と私達を比べたら、考え方など精神的な変化も多少はあるにせよ、こういった電子機器の普及による恩恵(弊害もあるだろう)を預かっている今どきの協力隊員の行動様式はかなり大きな変化だといえる。



 ■ 暇なときは何をしているのか?

 途上国には日本のような娯楽施設がほとんどない。私が同僚や学生に「週末何していた?」と聞くと、ほとんどの人が「土曜日は家に居て(特に何もしていない)、日曜日は教会に行っていた」という返事が一様に返ってくる。ジンバブエ人にとって日曜日の教会は、家族揃ってお祈りをし、歌って、踊るといった週に一度の定例行事となっていて、彼らにとって日曜日は一週間のうちの「区切り」のような日である。私の感想だが、ジンバブエでは家族の団らんが一番の娯楽のようだ。彼らの娯楽は何かと探す時に、日本の様な「娯楽とはお金が掛るもの」といった感覚だと、何も彼らの娯楽は見つからない。

 では協力隊隊員はどうなのか。週末や約1ヶ月間の学期休み(学校隊員)、休暇など一体何をして過ごしているのだろうか?途上国はもちろん週休二日だし、日本の休暇の長さよりもかなり長い。活動形態別にいうと、教室隊員の休暇が生徒と同じように夏休み・冬休みがあるので特に長いのではないか。

 まず、協力隊員共通の休みの楽しみはといったら、旅行だと思う。長期休みの時は、協力隊員の休みが合う人同士が集まって国内旅行をする。いい思い出と気分転換には最高だ。また、首都近郊の協力隊員は週末首都に上がって来るのが楽しみのようだ。首都で外食したり、食料を買ったり他の協力隊員達と喋って情報交換をする。

 「今どき協力隊員」に関連することだが、ほとんどの協力隊員がノートパソコンを任国に持参していると書いた。もちろん電気がある人のみだが、パソコンを使って、映画を観たり音楽を聴いたり、ゲームなどをして退屈をしのいでいる人がかなり多いのは確かだ。映画は2年間のうち、かなりの本数を見るのではないか?この事を今風にいうと、「家に引きこもって・・・・・・」っていうのかな?また、映画や音楽はデータなので、まったく荷物にならないため、ものすごい量の本数、曲数のデータを持参してくる隊員も少なくない。今ふうーである。

 もちろん、読書も暇な時間の過ごし方に上位ランクインするだろう。しかし、今どきの隊員はやはりパソコンが暇な時間の過ごし方に関与する割合がとても高い。パソコンを持参しなかった時代の協力隊員たちは、読書が主だと思うが、その他にはどんなことをして暇な時間を過ごしていたのだろうか?

 私の週末は、スーパーへの買い物、家庭菜園の手入れ、ギター練習、二度寝・昼寝などだ。たまにだが、ジンバブエ人と一緒に過ごすこともある。平日は学校から帰宅した後、食事を自分で作り、寝るまでの時間はラジオを聴きながらパソコンで残業したり、本を読んだりしている。夜は日が暮れたら、危ないので学校の敷地外には基本的に出ない。

 ジンバブエの協力隊員は伝統的に楽器をやっている人・習い始める人がとても多い。音楽隊員の派遣が過去多かった背景と停電が多いため、夜ロウソクの明かりでもできるのが楽器だからだ。



 ■ うれしい時、辛い時はどんな時?

 協力隊の活動を行っていてうれしい時は、配属先の上司や同僚達に頼られている時だ。それも、仕事上で私のことを一講師と認めてくれた上での信頼だ。個人的な感想だが、自分の事がボランティア講師だと思われている(自分からはボランティアと言っていない)と、なんだか「おき楽商売」を自分がしているみたいに周囲から思われている錯覚がして嫌なのだ。「君はパソコンが得意だから、学科の時間割表作ってくれ」や「試験の答え合わせを手伝ってくれ」など、ただその人に私が使われているかどうかは、考え方しだいなのだが、そういったなにげないお願いが頼られていると自分では感じるらしく、うれしい。

 次に、ヤル気のある講師または学生に出会った時はかなりうれしい。大げさだが、彼らは暗闇のなかの光のようだ。ここでいうヤル気とは、真面目で新しい知識に関して貪欲、責任感がある、他力本願ではないなどである。赴任当初は、こういった人は皆無だと悲観的になり、目の前がとても暗かった。しかし、自分が慣れてくると同時に視野が広くなり、たくさんの講師や学生に目がいくようになった。

 辛い時は一言でいうと、「頑張りすぎた時」だ。特に赴任当初は日本の感覚で物事を測ってしまい、高い期待を同僚講師や学生などにしていた。そんな時は、決まって期待を裏切られる。その結果かなり落込み辛い思いをする。人は特に熱い思いを発する時、自分の感性の物差しで物事を測ろうとするのかもしれない。現在の私は慣れから来る冷静さで、物事の多くを予想し判断できるようになった。私が赴任した頃、先輩隊員の洞察力のすごさを感じていたが、いま思うとあれは「慣れからくる冷静さ」ではないか思っている。このことは自分の常識が通用しない途上国だからこそ、感じる辛さとも言える。

 あとは、ジンバブエ経済悪化に伴い学生達の勉強する環境が大変悪化していることだ。まず、講師の入れ替わりが非常に激しく、学生達は大変迷惑している。科目によっては、講師と講師の入れ替わり期間、講義が休講ということも少なくない。また、頻発する停電や断水のため、家に帰ってからも勉強どころではない環境がある。テスト前は、仕方ないからロウソクの明かりで彼らは試験勉強しているのである。さらに学校経営の財政悪化を受け、学食のメニューがサザとムリオ(葉野菜)のみになってしまった。そのメニューが毎日である。以前、ある学生が「学食の食事は人間用ではないよ」と言っていて、私はかなり落胆したことがある。せめて週に二度くらいは肉を出して、学生に精力をつけてやって欲しい。日本で私が学生時代、勉強するに当たり恵まれた環境だったので、ジンバブエの学生のように「勉強したくてもできない環境」にいる彼らに同情する。

 まだまだたくさんこれらのような経験はあり、日本に居る時よりも、うれしい・辛いの頻度がここ(途上国)では、多いということが確実に言える。協力隊の参加理由のなかにこういった途上国での「うれしさや辛さ」を感じたいと思っている人がいるが、的を得ている。「うれしさや辛さ」なんて、些細なことだと思うが、日本では最近あまり感じなくなったことも事実のような気がする。

 なぜ、途上国では協力隊員が「うれしさや辛さ」をたくさん感じるのか?というのを考えてみた。まず、途上国には、自分の生活や活動にとって困難なことがたくさんあるからである。2つ目はボランティア(自分が給料を稼ぎに来たのではない)という利害関係のない立場によってもたらされる、他人を思いやる思考が協力隊員のなかにあるからだと思う。最後に途上国の人は質素で素直なため、自分もそれらに同調するからである。



 ■ 協力隊のやりがいについて

 協力隊志望理由でダントツのNo.1は、「協力隊はやりがいを感じるから」だと私は思う。やりがいとは「心の張り合い」である。志望理由を公表する時(もちろんウソではないが)、「ボランティア」や「途上国のため」といったことを出すが、本音の部分では、やりがいを求めるという自己実現的な動機付けの方が大きいののではないかと個人的に思う。では、日本にはやりがいがないのか?と言われたら、うまい回答に困るのだが。

 日本になくて途上国にあるものといったら、まずは困難さである。物がない、お金がない、技術がないのないないづくしの環境において仕事をするのは容易くない。次に、言語・宗教・食事・職場環境などといった文化・習慣の違いがある。また、当然なのだが、途上国には「ここは日本ではない」という意識がある。「はじける!」という言葉があるが、この言葉は抑圧された条件下にいたからこそ「はじける」のであって、途上国にはこのはじけるための環境がある。

 日本社会では儒教の影響からか、「失敗」を皆が恐れる。「人に対して失礼なこと」にも単一人種ゆえに大変敏感な社会である。最近ではそんな人に対しての感覚はどこへやら?だが。つまり失敗というリスクを日常生活や社会生活から回避させるためには、詳細な規則を作ることなどが挙げられる。こういったことは、失敗というリスクを恐れるがために、考え方の柔軟性に欠ける。「やりがいを求めて」の一つには、このリスクを恐れて作られた規則への反抗がある。協力隊が派遣されている、国の中でもリスクという不確実性を日本の様に恐れる国があるかもしれない。しかし、不確実性の回避が低い文化、つまり考え方がラフであり、柔軟性にとみリスクを恐れない文化のイギリスやアメリカの影響下にあった国々が協力隊派遣国にはたくさんある。

 途上国の職場は日本の職場と違い、個室に分かれていることが多い。協力隊員も個室のオフィスを持たされている人が多い。集団のまとまりよりも個を大切にした考え方だ。また、上司の指示がとても大雑把である。そして、途上国の組織とは、経営というものが上手ではない。組織の結束力が非常に弱く、公私の区別がほとんどないのだ。日本の管理社会を経験した人なら、腑抜けしてしまう。しかし、自分が管理されていないことをプラスに取り、裁量を十分に発揮しようと試みる人も協力隊のなかには多い。

 協力隊員は配属先において、やはりお客さん的扱いをされることが多い。指示もしてくれなかったり、評価もしてくれないといったことがある。だから、もちろんノルマや目標は自分で決めなくてはならない。日本のように指示待ちでは、なにもできないのがこちらの状況である。指示されることが嫌いな人には天職でもある。また、途上国の職場では強いトップダウン権力伝達方式というものがある。この弊害は権力の誤用でも分かるように、とにかくトップの人は常に権力を誇示しないといけないのだ。協力隊員もこの渦中に屈することもあるのだが、「外国人である」ことが比較的それらの権力を回避させてもくれる。日本の会社ほど、歯車の一部だとの考えを持たなくて済む。

 やりがいには「爽快さ」とういものも含まれているように思う。爽快さを感じるには、途上国にある困難さや日本との違いを乗越えないとならなないわけで、そこに立ち向う勇気と自信がないとやりがいどころの話ではない。だから、やりがいを求める人達というのは前向きで自分に自信を持った性質を備えているといえる。この辺が、協力隊員が帰国後、性格の面で自信過剰と言われるゆえんではないかと思う。



 ■ 実は勉強になることの方が多い

 協力隊活動をするに当たり、目的となる大部分は自分達が途上国の人達に何かを残そうとすることである。しかし、最終的に振返ってみると、自分の方が途上国から多くを学んだといった感想をする人がほとんどなのだ。なんだか、ウソのようで本当の話である。

 確かに、日本に居たのでは一生学べなかったであろう事柄を途上国では学ばしてくれる。今のところ具体的にどのようなことかというと、「発展」や「人柄」「根強い価値観」などだ。まずはなぜ途上国が発展しないのか?から入る。いろいろ考えているとどうしても日本が比較の対象になってきて、日本のすごさを感じる。しかし、発展するに当たって様々な弊害も思いつく。日本でこうのようなことは、考えたことがない。

 次に「人柄」と「根強い価値観」だが、人間の「欲」と「見栄」がひっかかる。ここでも、日本人が比較の対象とされ、途上国の人よりも日本人の方が「欲」と「見栄」があるとなる。途上国の人は、だから人柄が温かくおおらかだのようだ。また、彼らは家族、親戚、友達・・・自分の関与できる範囲内であったら、非常にその輪の絆を大切にする。同じ人間なのに違いは何かと考えた。次に、日本はイギリスからの産業革命をまるで既製服でも着るかのように取り入れてしまったのに対し、途上国はお手本が容易く手に入るのに取り入れない。取り入れられないのかも。日本人には価値観を容易く動かせる何かがある気がする。とにかく、日本の物質社会は発展の弊害であるようだ。

 しかし、多くのことを途上国で学んでも(考えても)それを日本に持って帰ったところで、役に立つかといったら、ほとんどが役に立たない。むしろ、長物を持って帰ってしまったと思うことになるだろう。どうしたものだろう。日本に帰ってから、途上国と日本の将来埋まることがないであろうギャップの説明をしたところで、何になるのだ。そう考えると、途上国にいる今はいろいろなことを思いっきり考えておかないとなと「もったいない」。



 ■ 協力隊の成果とは

 相手国との文化交流と協力隊員(若者)育成の部分が大きいと感じる。どんなことの育成かというと、視野が広くなった分の国際感覚や異文化適応性、自主性、柔軟性、応用力の向上などだと思う。

 また、技術協力については思ったよりも小さいな成果であると、赴任前の期待とのギャップをみんなが感じているであろう。理由の一つは、受け手の環境の不備がある。設備や人の基礎知識、ヤル気などこれらが原因でこちらの出鼻をくじかれることがよくある。次に、技術を人から人へ伝えるというのは大変時間が掛かるということである。前提条件ともいえるのはお互いの信頼関係である。待ち合わせ一つとっても、時間と場所が両者一致し、その待ち合わせの約束が果たされないと、出会えもしない。「待ち合わせ」を例に取ったが、これでも笑い事ではない。待ち合わせすら、すんなりできないことが多く実在するのである。技術云々もいいところだ。

 相手国に与えることのみを協力隊の成果とするならば、「チリも積もれば山となる」の言葉がよく合う。日本の感覚だとそんなはずないと言えるのだが、ここは途上国なので思い通りにいかないのが常である。

 思い通りに成果を残そうとするのは、協力隊員の理想でもあるが、それができない現実を踏まえると、その次には自己満足的な活動が起こるようだ。難題にはもう手を触れないで、自分の得意なことだけをやろうというふうになる。しかし、不思議なことに自己満足を求めた結果が、成果につながったということがよくある。先輩隊員もこの事を帰国間際、新隊員に強調していた。

 協力隊の成果を量ることは難しいと思う。量り方の問題と「ちり」を量るという難しさがある。また、ボランティアである協力隊員は、雇い主(JICA)がら成果成果といわれたら、せっかくのボランティア精神に水を射してしまう。ここら辺のさじ具合説明は、かなり難しい。



 ■ 協力隊員ってどんな人か?

 協力隊員は派遣前に約2ヶ月間の派遣前訓練を同時期に世界各国へ出国する人達と行う。私の場合は、約130人の同期達と約70日間を訓練所で過ごした。ジンバブエに赴任してからは、約35名の協力隊員がいるので、活動場所は異なるが彼らと同じ国で同じ時を過ごしている。私の見てきたり、共に過ごしてきた協力隊員は現在派遣中の約2,400人と比べたら非常に限られている。また、世代もまさに今の年代の人達しか見ていないので、すべての人がこの限りではもちろんない。

 まず第一に「健康的な人」だ。開発途上の国々は病院などの医療施設があまり整ってなく、地域によっては最悪という状態もある。こういった状況において、健康状態のいかんでは生命に危機が及ぶこともある。日本とは医療状況そのもが異なる事によって引き起こる障害を防ぐため、協力隊選考試験の健康診断では審査が非常に厳しい。

 日本の訓練所で感じた、私の同期達の雰囲気や個性を書こう。まず、一人一人の志気が非常に高かった。個性では、他人を気にしない(我が道を行くタイプ)。自己顕示欲が高い(目立ちたがり屋?)。そして、地に足が着いている感じの自信感がある。明るい(笑顔がいい)。負けず嫌いで頑張り屋さん。自立心が高い(疎外感や孤独感に強いが、自立しすぎて一匹狼タイプ?)など。もちろんすべての人がではない。また特に、印象的だったのは、考え方も行動も「積極的(前向き)」な人がたくさん見られたことだ。

 しかし、不思議なことに私がジンバブエに赴任してからは、ここジンバブエにいる協力隊員について上に書いたようなことを強く感じたことはあまりない。理由を考えてみると、訓練所で見た協力隊員は日本人集団(日本という場所)のなかの日本人だったからであった。訓練所にいた協力隊員を一般的な同世代の人達と比較していた。任国のジンバブエでは比較の対象がいないから、特にこれといったものを感じないみたいだ。自分の見方も場所や環境が変わると、かなり変わるものだと感心している。

 確実に言えるのは、「健康」で「自発的に協力隊に参加した」ということ。イヤイヤ協力隊に参加している人は今まで見たことがない。

 また、途上国に生活してみると、マイペースな性格になるようだ。協力隊員はボランティアなので利害関係がないことが大きく関係しているともいえる。「途上国の郷」には「マイペース」でいることの条件があり、みんな従っている。途上国ではマイペースで素直に生活している住民達に非常に感心することがよくある。しかし、彼らに対して「のんびり過ぎる」と苛立つ自分がいると自分の中の日本人を感じる。日本の会社では自分の性格を社会人モードにする必要があるので、ここにいる間はせっかくの本質的自分と向き合うのもいいかもしれない。



 ■ 協力隊員の男女差

 最近の協力隊員男女比率は約2:3で女性協力隊員の方が多い。なぜだろう?現在の結婚しない女性が増えたこと、および晩婚化の現象と何か因果関係があるのだろうか?また、「協力隊になるのが夢だった」と語る女性をよく見かける。これを見ると、女性の方が協力隊に対する思い入れが男性よりも強い気がする。協力隊の志望理由も女性隊員はやりがいを強く感じて参加というよりも、人道的な考え方に基づいた動機が男性より多いように思う。親や周囲からの反対をもろに食らうのも女性隊員である。

 私も日本の協力隊訓練所とジンバブエで何人かの女性協力隊員を見ているが、いわゆる普通の女性よりは力強く感じる。考え方がとても前向きだ。

 摩訶不思議なことに、女性隊員は任国に赴任すると太り男性隊員は痩せる。なぜだろう?もちろんすべての人ではないが、確実にそんな傾向がある。

 また、男女とも任国に赴任すると、人目をあまり気にしなくなる。日本人の大きな視覚的特徴として、同種(同じ日本人)のもの同士から若干の違いを見つけられる能力はかなり高いと思う。しかし任国に行くと、自分とは異なる様々な人種がいるため、今度は自分との違いということにまったくといって無頓着になるようだ。人種に対する偏見が日本人はあまりないのを、私はジンバブエでよく感じる。

 私の配属先で、他の任地の女性隊員が男性の同僚や上司と話していた姿を見た。彼はなんと丁寧に物腰柔らかく接していることか、自分が損した気分に少しなった。日本人の女性は世界のどこに行ってももてる。



 ■ 協力隊参加のリスク 

 私自身、一番恐れていることが、「事故」と「感染症などの病気」である。事故は特に交通事故が怖い。途上国は交通ルールがあってないようなものだし、歩行者を容赦なく引かんとばかりに突っ込んでくる我が物顔の車、いつ事故が起こってもおかしくない状況を赴任後誰しも感じる。自分が歩行者、また乗車員としてでも、ひとたび事故が起こると大事故に繋がるのは確実だ。自分が何らかの交通事故に遭った時の(場所によるが)病院までの搬送過程や時間の長さも信じられないくらい悪い。

 途上国発展の妨げの一つに熱帯地域故の感染症蔓延が挙げられる。わざわざ、協力隊員はそういった感染症汚染地域に行くわけであるが、気を付けていても何らかの(特にマラリア)感染症に感染する可能性は高い。ジンバブエにもマラリア汚染地域が標高の低いところに存在していて、毎年1,2人の感染者がでている。ガーナでは協力隊員のおよそ2人に1人の確率でマラリアに感染(ワースト1位国)している。

 外傷の他にも、精神的な苦痛やそれに伴う健康障害を起こすことがある。日本とは違った文化や習慣、言語、経済状況、活動の満足度、配属先職場での人間関係、他の日本人(協力隊員など)との人間関係などが要因でストレス(苦痛)を感じ、ひどくなると身体に影響が現れてくる。人によってストレスを受ける要因も大小も違うが、日本では感じることの出来ない種類のストレスを途上国では感じられる。また、日本でも人間関係がストレスを増大させている要因であることは確かによくあるが、途上国に来ても日本人同士の輪の中では日本と同種のストレスを感じることがあり、日本とは遠く離れた国でも日本人が集まれば、日本の縮図社会が存在することに気付くので、ご注意を。

 また、日本の社会一般の人達からの見た協力隊は、「空白の2年間」のようにマイナスの捉えられ方をされていると私などは想像している。実際に聞いた話では「協力隊出身者はチームワークが出来ない性質(一匹狼的性質)を持っていて不都合だ」や「プライドが高いため、業務に支障がでる」などがある。マイナス評価のコメントはいくらでもあるようだ。退職参加や新卒の協力隊員は日本帰国後、就職活動をしなければならない。その時に、「あーリスクを犯して協力隊に参加したからなー」としょうがなく考えるのだろうか?協力隊参加は今の日本社会において、「ハイリスク」なのは間違いない。ただ、「ハイリスク」つまり結果に対する不確実性が高い方が、得られる利益または損出のどちらの可能性も高いんだと、器を広く持っていてくれる人が利益の方に目を向けてくれたら嬉しい。

 途上国や日本であろうが、人が生活や社会活動するに当たって何らかのリスクがあることは同じである。日本的考え方だと、「リスクがある」=「何かあったら困る」「不都合だ」になってしまい、リスクから目をそらす傾向があるかもしれない。途上国を舞台にする協力隊は、様々なリスクについて現実味のある話合いを通して理解に努めるのが大切だ。

※ ジンバブエの状況を元に主観的に書きましたので、リスクの多さが少なく感じられるかもしれません。国によって発生するリスクの度合いは様々です。



 ■ こういうところはさすがJICA

 まず、日本にある協力隊訓練所。ここでの訓練期間は私の人生の「教育」の中で最も密度が濃い時間だった。いろいろな講座の講師達の「質」が高かった。語学(英語)では私にとって初めての小人数クラス(6人)であった。訓練スケジュールや設備など勉強する(せざるを得ない)「環境」が整っていた。感染症対策や心身の健康管理、危機管理などは、赴任国で重要かつ即役立つ講義内容でもあったことから、集中して講義を聞くことができた。ほとんどの人が今まで知らなかった知識をたくさんたくさん学ぶ事ができたのではないか。訓練も終盤、赴任が現実味を帯びてくると共に周りの仲間達の士気もますます高まっていった。そこには良い相乗効果があった。個人的には、訓練期間が長すぎること、不便な途上国へ赴任する私達にとって、全ての面で至れり尽くせりの状況は逆にいかがなものかと感じもしたが、さすが国(JICA)の事業なんだなーと感心することのほうがはるかに大きかった。

 次に協力隊の健康管理システム、危機管理などの安全対策システムの強固さを挙げる。まず、日本には各分野のJICA顧問医が協力隊員派遣国に対し後方支援をしている。任国ではどうか、ジンバブエの場合でいうと、インド人の顧問医が私達の健康診断や予防接種、各種診断などの面倒をみてくれる。また、健康管理員といって医療に精通した「日本人スタッフ」が当国協力隊員の心身の健康管理を専属で面倒をみてくれている。健康管理員の協力隊員に対する健康指導の効用はもちろんのこと、その存在自体(日本人なので)がもたらす「安心感」は途上国だからこそ非常に大きい。その他、赴任時協力隊員一人一人に持たされる、携行医療品やヨーロッパなどへ重病患者を緊急輸送するシステムなど、ぬかりない医療体制を確立している。

 安全対策については協力隊員自身の管理に委ねられる部分が大きいが、JICAからの危機管理や安全対策についての講義は、日本でも現地でもさんざん受講したように思う。「途上国におけるすべての協力隊員の連絡体制確保」から、協力隊員全員に携帯電話が貸与され(使用料は個人持ち)、各自宅には無線機が貸与、常備されている。携帯電話や無線機の電波が届かないような場所に住んでいる協力隊員も少なくないが、そういった隊員には衛星携帯電話が貸与される。これら通信機器の配備によって、首都から遠方にある隊員の傷害や疾病、治安悪化、安否確認など即時に対応することができる体制が執られている。

 JICAの協力隊事業を簡単にいうと、ボランティアを採用し2年間途上国に送り支援する事業である。現在は協力隊員(ボランティア)の募集、選考、赴任前訓練、赴任、活動支援、そして帰任後の進路アドバイスなど一通りのマニュアルが完成されているとは思うが、これだけ手が混んだシステムを作り上げるには、たくさんの経験と議論があったに違いない。例えば、目に見える製品の製造が事業の目的だとしたら、目指した先に対する成果が数値でも視覚的にも確認できるが、協力隊事業となると、目的の部分から明確な一本道を作ろうとすることが難しい。私達は雇用されているボランティアであり、若者育成という見方から見たら、投資されているボランティアともいえる。また、相手国との友好親善と日本文化紹介といった仲立ちの役割も期待されているボランティアである。もちろん、技術的な協力も期待されている。協力隊は目に見えにくい期待や成果をたくさん含んでいる。私は正直、協力隊というものが国内外を通してどのように評価されているか良く知らないが、かなり特異な事業だとは思う。

 また、相手国がどんな分野でどんな技術を必要としているかを調査する作業は、考えてみるとかなり難しい。つまり協力隊の要請探しだ。私達のことを感じ良く受入れてくれる配属先があるのも、JICAの綿密な下調べがあったからに違いない。ボタンの掛け違いのような配属先もごく稀にあるようだが、ほとんどが政府関係などのしっかりした組織なので安心だ。



 ■ 協力隊に対するいろいろな意見について

 協力隊は活動現場が途上国であり、ボランティアというプログラムの上でも日本の社会一般的な考え方から逸脱する要素をかなり備えている。また、組織に属すると視野が限られるということがあるが、協力隊についてもJICAという組織に属している点では同じである。協力隊員が途上国で2年間の任期を終え、日本に帰国した時には、浦島太郎みたいになっているのだろうか?この下に協力隊に関して、協力隊員以外の人達からの意見(あるウェブサイト掲示板より)を挙げる。皮肉や批判が多いようにも感じるが、自分で思ったことをその意見の下に書く。

>協力隊は大義名分のある現実逃避だよね。
 ここでいう「現実」は日本社会のことを言っているのだろう。正確にいうと現実一時逃避かな。日本社会から一時(2年間)逃避して、外から日本を今までと違った視点(見方)で見られることも大切だと思う。ものの見方は本人しだいだし、それが生かされるかどうかは別として。
 協力隊員は途上国において、社会的役割(私は学校の講師)が用意されている。それで、協力隊員は相手国の社会の一員として働く。給料はもらっていないが、JICAが生活費を出してくれる。みんな大義なんて大それたものはたいして感じていない。長い2年間、生活費を気にせず、給料のためではない自分の活動を行う環境に自分が置かれてみると、「何かで貢献しよう」や「配属先の人に喜ばれることをやろう」、「自分のためになることをやろう」などと考えるのはごく自然なことだ。こういったことが協力隊の途上国における、日常であり現実でもある。

>旅行に行くんじゃないんだ。仕事に行くんだ。誰も誉めてくれないかもしれない。殺されるかもしれない。帰ってきても、居場所がないかもしれない。もう、行く前の自分じゃなくなってるかもしれない。
 赴任前はおおよそ私が感じていたことと外れてはいない。赴任国に対する不安と期待はみんなそれぞれ持っていた。現職参加の人を除けば、将来の確かな約束は協力隊にない。しかし、日本は平和で職を選ばなければ、生きていくとこに不自由しないので、帰国後のことは楽観的である。そうでないと参加できない。日本の常識は途上国で通用しないことを赴任後まもなく知る。「行く前の自分」に固執していたら、活動も生活も大変困難を極める。そのため、皆少しずつだが心身共に現地に順応していく。行く前の自分とは明らかに違ってくる。途上国に限らずどこにいても、昨日の自分と今日の自分は違うと思う。

>協力隊の説明会に行ったけれど、一種の宗教っぽかったな。しかし裏を返すと妙な宗教に流れてしまうより、協力隊は「受け皿」としての機能をしているのかもしれない。本来の目的とは違うんでしょうが、もしかして存在価値はその辺にあるのかも。
 宗教と協力隊はまったく関係がない。今の日本で利害関係抜きに、人々が妙に団結すると「一種宗教」っぽく見られるのは否めないかもしれない。政治は利害関係があるのでそうは見られない。協力隊員は基本的に途上国の任地で一人ポツリと活動を行うので、これには該当しない。しかし、協力隊員が集まる場所(訓練所など)では、団結している感があったのは確かである。
 ジンバブエでは大統領選挙選の選挙運動期間、選挙中は大学が閉鎖される。これは、一部の大学生達が団結して政治運動を行うことを未然に防ぐための処置だそうだ。別の見方をすると、大学はこういった学生運動をする人達の「受け皿」であると言えないでもない。日本の大学もエネルギーをもてあまし、何をするかわかったものではない若者の「受け皿」であるといった話を聞いたことがある。協力隊がもし存在していなかったら、何をしでかすか(妙な宗教に流れるか)わからない若者が何をした(する)のか私は想像できないが、何らかの社会的「受け皿」になっていることは確かだ。また、協力隊は「受け皿」として存在価値よりも(日本の大学と違い)はるかにたくさんの意義があると思う。

>協力隊員は○○隊員のように、名字の後ろに「隊員」と付けて呼び合っているらしい。
 公の席などではJICAスタッフの方から、○○隊員と呼ばれる。公式な文章でも○○隊員と記載される。協力隊員同士ではもちろん○○隊員のようには呼び合っていない。ほとんど気にならない程度の使用頻度だが、「○○隊員」とするのは今風ではない気がする。組織の一員であることを暗示する目的なのだろうか?

>協力隊に志願するタイプの人間は、たいてい日本社会で何らかの個人的問題を抱えていて、そこから逃れるために志願を考える。という構図があるよね。だから帰ってきてもその部分ってのは克服されずに棚上げされてたままだから、また日本の社会で他人と折合いが付かないわけだ。
 途上国に赴任してみて感じたことは、途上国にも日常というものがある。また、協力隊員は社会の一員として働くわけで、職場である配属先での人間関係は技術うんぬんの前に日本社会同様、最も大切なものである。だから、JICAの面接官は人物面接でこういった個人の人格を一番に考慮する必要があるし、そうしていると思う。人間関係を崩壊させるような人物が選考を通過してしまうのなら、面接官の技量不足である。社会における他人との折合いは、日本でも途上国でも共通するものがあり、個人の人格によるところが大きい。

>まず日本をナントカしろ
 確かに。日本も積もり積もった問題はたくさんある。しかし、途上国に来てみると、日本の問題を100歩譲ったところでまだ平和で食べていくには困らないと思う。途上国の問題は日本のそれとは性質が異なるものが多くあるが、現状で途上国と日本の格差はとてつもなくでかいと、とりあえず肌で感じ知ることができた。これは、島国の日本人として大きな収穫ではないか。その上で、日本の問題もナントカなって欲しいとは強く思っている。

>グローバルな人間気取って、仕事をサボることばっかり憶えて帰ってくる人は多い。
 協力隊経験を気取るかどうかは個人の性格によるが、途上国の日本企業内ではなく、途上国の配属先職場で現地の人達と共に働いている協力隊員は仕事に対する感覚が、2年間の内に日本のそれと確実にずれてくる。無意識に日本社会に復帰したのでは、かなり「浮く」存在になることは想像できる。このことは、日本帰国後大切なことなので、協力隊員の人は認識しておく必要があるようだ。

>実際、力のある人なら組織に頼らず個人でボランティアできるはずだもんね。(なぜ、組織に頼るのか?)
 途上国に貢献するような仕事をするに当たって、現地で必要としていること(ニーズ)をまず知ることが大切である。次に、こちらの能力をできるだけ効果的に発揮できて、たくさんの成果を出せるような場所を探す必要がある。組織だと分業制なので、調査する人と現場で仕事をする人が同じではなくても全体として効率が良ければそれでいいことになる。また、組織だと相手先機関に与える信用力がある。個人のボランティアだと、実働までの下準備や働く場所での信頼関係の確保に時間が掛かる。でも私も自信を持って、ボランティアの個々人がなぜ組織を頼るのか?納得のいく答えが見つからない。

>会社や人生においても、いろいろな意味で大切な年齢の時期(20代〜30代後半)である協力隊、2年間には相当な覚悟が必要なのでは?
 同感です。学生時代の2年間ならまだしも、日本社会で一番の働き盛りでもある年代の2年間だ。年功序列、終身雇用の会社制度が崩れつつある日本だが、いまだ一つの企業に身を委ねておく安心感は消えていない。現職で参加している人はあまり関係ないが。
 協力隊で2年間を途上国で暮らす。人によって異なるが、協力隊に応募する時や試験に合格した時から、日本を出国する日までに何らかの覚悟が必要だ。まさに不安と期待が入り混じった感情とはこのことだと思う。
 ・ 人生の2年間、帰国したら今より2才年を取っている。
 ・ 未知の国、途上国での生活と仕事。
 ・ その国の言語を使ったコミュニケーション。
 ・ 病気、感染症、怪我などのトラブルや食生活などの健康面。
 ・ 異文化、不便さ、人間関係などへの新しい出会い。
 ・ 帰国後の進路・就職先(退職参加者のみ)



 ■ 協力隊に参加して良かったか?

 良かったと思う。まだ任期が終了したわけではないが、貴重な体験と考えさせられる2年間であることは確かだ。2年間という期間について長いと私自身は思うが、1年では短いかなとも思っているので、収束している期間なのかも知れない。

 ではどう良かったか?

 私の協力隊参加前はボランティア活動というものには縁遠かった。正直、協力隊受験時もボランティアということに焦点を当てて、協力隊に参加したのではない。しかし、自分から進んで協力隊に参加し、途上国のある配属先の一員として、報酬を貰わない2年間を送れたことはボランティアをしていたといってもいいのではないか。つまり、「2年間ボランティアを経験した」ということが、なんとなく将来の何かにつながる気がする。

 また、日本にいては一生考えることのないことを、考えることができた。日本では途上国と同じ環境はどこにもないし、いくら日本でバーチャルの世界が体験できるコンピューターができても、協力隊が感じられるようなことはできない。協力隊の2年間という重みと、現場を実際に目で見て自分の頭で感じていることが、価値あることだと思う。

 私も日本に帰国してからは、日本モードのスイッチがONになるのだろう。ジンバブエにいて考えたようなことも一気に忘れそうなので、今のうちにいろいろ欲をかいておこう。



 ■ 協力隊にもう一度参加したいか?

 途上国での2年間が終了し、帰国していった協力隊員が「協力隊に参加して良かった」(二者択一の質問で)とほぼ全員言うそうだ。しかし、「もう一度協力隊に参加したいか?」の質問には息が詰まるだろう。

 そんな時は、もう一度自分の参加動機を思い返してみるといい。一体なぜ、自分があれだけのリスクを覚悟して、協力隊に参加しようとしたのか?本音の部分が自分で見えてくるかもしれない。途上国に住んでみたかったという動機であれば、それが達成されたことになり、2回目はもういやということになる。なぜ、自分はここにいるのか?なんで協力隊なのか?の問いは、途上国に赴任してからもその答えが新たに浮かんでくるものだ。例えば、その国が気に入ってずっと住みたくなることや、日本の職場環境と比べて、協力隊のように利害のない仕事が天職だと思ったりだ。こういった人は、もう一度協力隊に参加しようという気になるかもしれない。

 協力隊にもう一度参加したいか?の質問はまず自分の協力隊に応募してから今までの期間、自分の原動力ともいえる動機を探るいい機会になる。また、もう2度目の参加は遠慮するという人が大多数であるが、「なぜ、2度目の協力隊参加はもう結構なのか?」良く考えることで、自分に身に付いたことや参加前とは異なったものの見方、考え方をおさらいすることができる気がする。






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