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■ THE 協力隊 第二弾 (THE JOCV Part-II) | ||||||
■ はじめに | ||||||
協力隊としてジンバブエに赴任してから、すでに1年5ヶ月が過ぎようとしている。赴任後丸一年経った瞬間に自分の頭が、日本モードに切り替わったのが印象深い。続き..................................... |
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■ 目 次 | ||||||
■ 協力隊について、第二段! | ||||||
・ おいしいとこ取りだよ | ・ ボランティアの単語は廃止しよう | |||||
・ 協力隊の任期、2年間について | ・ 代わりに、開発協力研修 | |||||
・ 任期をまっとうした満足感 | ・ パソコンとインターネットと協力隊 | |||||
・ 悲観的な考え方に陥ったー | ・ 今どきの協力隊員 | |||||
・ 日本では想像できないことが起こる | ・ 協力隊にもう一度参加したいか? | |||||
・ 協力隊員に必要なこと(追加) | ・ 協力隊とバックパッカー | |||||
・ JICAに対する考え方 | ・ 好きなことをやって下さい! | |||||
・ 協力隊員報告書(5回/2年間) | ・ おまけ(メモ) | |||||
■ はじめに | 2008.2.29 | |||||
協力隊としてジンバブエに赴任してから、すでに1年5ヶ月が過ぎようとしている。赴任後丸一年経った瞬間に自分の頭が、日本モードに切り替わったのが印象深い。最初の一年間は日本のことをまったくといっていいほど考えていなかったようだ。現地の生活や文化に適応するためには、それで良かったのかもしれない。 まだ私の任期は後6ヶ月以上残されている。配属先の学校では、まだまだやっておきたいことがいくつかあり、計画中である。計画したことのいくつかは実行に移っているが、最終的に計画倒れもあるだろう。実は最近、現状にマンネリしてきた。私の場合、マンネリすると協力隊に一番大切と思われる、意欲が減退していく。「あー協力隊活動、面倒臭い」とか、わけもわからずに「日本に帰りたーい」などが頭に浮かぶ。まーしかし、マンネリしたからこそ、頭の中に浮かんでくることもあるのだと、冷静に受止めよう。 以前というかついこの前、協力隊についてを書いたが、だいぶ昔に書いたような気が自分ではする。最近、(マンネリを感じたせいなのか)頭がフレッシュになったので協力隊について、第二段を暇潰しに書くことを思いついた。いずれ私が日本に帰国してまもなく、「日本社会適応モード」のスイッチがONに切り替るのを楽しみに、たぶん「今だけの気持ち」がここで書けたらいいと思う。また、あまり深く考えようとすると文章が長くなり、支離滅裂になるので、短い文章で表現することを心がけたい。 |
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■ 協力隊について、第二段! | 2008.2.29 | |||||
■ おいしいとこ取りだよ | ||||||
簡潔にここで言いたいこととは、「途上国に来たので相対的に自分がお金持ちになり、素朴で温かく、おおらかな現地の人々に触れることができ、日本で感じていたようなストレスや自分の方向性の欠落感を感じずに済む」。これらのことを相対的(日本にいる人に比べ)に自分ではおいしいといっている。 私は学生時代にアジアの国々を個人旅行(安旅・バックパッカーともいう)したことがある。その時も、自分はなんておいしいとこ取りなんだと思っていたのを、今の自分と重ねて思い出した。また同時に、お金という物差しが自分の価値基準に深く関与していることにも気が付いた。 今の自分は日本人であり、身分はJICA所属の協力隊員。普段は学校が仕事場で、土木の講師をしている。ジンバブエ人の同僚や学生などに対して、「私はお金を全然持っていないよ」とは言っているが、実は彼らから見たらびっくりするくらい持っている。ちなみに、JICAから支給される私の生活費は、月にUS420ドル(+日本の口座にJICAから積立金が)であるのに対し、同僚講師の月給はUS40ドル前後(最近は以下)である。私の実際に使う生活費は、月にUS40ドルではとてもやっていけない。JICAも協力隊は「民衆と共に生活を・・・」と言っているが、私達の生活費を民衆並に落としてくれなくて助かった。 国内旅行だって、2年間のうちにジンバブエの主たるすべての観光スポットを回るだろうし、それが可能なだけのお金は持っている。他人の国に行くとつい欲が出るのか、たくさん観光しないと損な気がするのは私だけか?また、任国外旅行制度を使えば、外国旅行ものべ20日間以内で周辺諸国を楽しめる。 協力隊員の健康や安全については、JICAがかなり面倒をみてくれる。定期的な健康診断、各種感染症に対する予防、緊急輸送(救急車)の会員にだってなっている。携帯電話(電波のない地域は衛生携帯)はJICAから全員に貸与され、緊急事態には役に立つ。途上国で協力隊員は、救急車の使用や病気の治療など、自分の財布と相談しなくていい。お金を持っていないジンバブエ人は救急車なんて使えないし、病院に行ってもお金がないために門前払いされてしまうのだ。 自分の命とそこら辺のジンバブエ人の命との値段にかなりの差があることを感じることがたまにある。また、具体例として、外食1回分の値段がレストランのウエイターの月給半分以上であることだって珍しくないが、これは紛れもない現実である。途上国にいる自分に対して、ちょっと変わった見方をしてみると、カネパワーに覆われた変態のようでもある。 また、協力隊員として途上国に来たら、自分はその国の人になりきれると思っていた。しかし、気が付いた時には、やっぱり日本人のままだった。結局、どっぷりと私がジンバブエに浸かるとは、この程度が限界であるという線を少し感じている。 |
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■ 協力隊の任期、2年間について | ||||||
協力隊員は任国に着いたら、まず現地の様子を(なにもせず)じっくりと観察して、現場に適応しながら問題点を探る。慣れるまでには、6ヶ月くらい掛かるといわれている。次に自分はどんなことが彼らと共に出来るのかを考え計画し実行していく。様々な試行錯誤をしていくうちにあっという間に2年間が経ってしまうそうだ。そんなこんなで、2年間もあれば協力隊活動の何らかの成果が(少しは)出てくるそうだ。 私は最初の頃、2年間はそういった経験と根拠に基づいた長さであると納得していた。しかし、最近になって「2年間、長いなー」と協力隊員自身が感じることにある種の意味があるように思ってきた。これは、良い作用にも悪い作用にも働く。2年間もあるから、日本のことを一度忘れて、焦らずに現地の流れに一度乗ってみよう、は現場を知ったり、まさに途上国の生活リズム体験という意味で非常に大切なことなので良い作用である。 期間つまり、時間の長さに対する人の感じ方は人それぞれである。一方、小学校の夏休みの宿題のように、夏休み終了3日前になって焦りだし(残りの)宿題に取り掛かかりだしたという経験を持つ人は多いだろう。何が言いたいかというと、協力隊員が2年間という期間が長いなー(ゆとりがありすぎ)と思うことで、初期の集中力や意欲(勢い)が切れ、協力隊活動が面倒くさくなってきたなーと思うことも多々あるのである。まー通過点とでも思えば、一概に悪い作用とは言えないが、もし通過できない人は、ただ堕落の日々を途上国で過ごしてしまう恐れありではないか。 正直、私は協力隊活動(仕事)の内容に満足感の重点を置いていない。シンプルに、日本では出来ないこと、今しか出来ないことに焦点を当てて、それが出来ている時に満足感を味わっている。2年間をどのように使おうが協力隊員個人の勝手ではあるが、協力隊員のなかには「今しか出来ないこと」という考え方を持たない人がいることに、残念に思う。 |
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■ 任期をまっとうした満足感 | ||||||
以前、ある帰国間近の協力隊員が「今、任期を全う出来た事に満足感を感じる。」と言っていた。それを私は聞いて、自分にも2年間という期間を全うする満足感に期待をしていることに気が付いた。 日本の協力隊(ボランティア)は2年間の任期を全うする人の割合が、他の国のこれと同じような事業の人の割合よりも高いそうだ。もちろん、不慮の事故等でやむおえず任期を短縮した人を除いての話しだ。きっと日本人には何かが高いからだろう。それは、責任感か?使命感か?充実感か?それともただ、日本に帰りたくないからか? 協力隊が自主性を大切にするボランティアだったら、途上国に来るのも自由つまり自分の意思だし、逆にいうと、任期を全うしないで途中で帰るのも自由だと思う。任期を全うした満足感・・・なんか引っかかる。ひねくれは私だけか? 私自身の思考はこうなっているようだ。任期を全うした満足感を感じたら、次は日本モードのスイッチONが待っているということになるようだ。だから、任期が1年間でも3年間でもその期間を全うすることに、満足していたら次に自分が進むであろう世界(たぶん日本社会)とのギャップを感じているのであって、任期中の活動内容や出来事と決別をしようとしていることになる気がする。ちょっと言い過ぎたか。 また、私が学生時代にした海外の安旅(バックパッカー)の話になるが、ふらふらと海外を回ってきて帰国する折には、その期間に対する満足感よりも、各地で起こった出来事や思い出といったことに満足感を覚えていた。協力隊の2年間の任期を全うしよう!そんな思いはネガティブスィンキングだ。そんなことどうでも良い。とりあえず、今が任期中だし、今を大切にしよう。協力隊が嫌になったら、勝手に日本に帰えろっと。 |
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■ 悲観的な考え方に陥ったー | ||||||
極端な言い方だけれど、私達(協力隊員)は砂漠に種を蒔いているのか? いや、協力隊事業は援助だけが目的ではない。協力隊員自身の成長(国際感覚など)も目的に含まれているところに注目すれば、気が休まるが・・・・・・自分に気休め。 私はかなり楽天的な性格だが、悲観的な考え方についに最近襲われてしまった。実際、ジンバブエの話でいうと、国民の生活状態はインフラの管理不足(水など)や食料不足、インフレなどによって悪化の一途である。また、事実、ジンバブエ国内では、私の目の届かないところでマラリア、エイズなどの感染症でかなり多くの命が失われている。現在、ジンバブエは確かに極端な衰退状態であるかもしれないが、他のアフリカ諸国も生活状態のボトムアップがぜんぜん成されず、安定した成長が目に見えてこないではないか。 一人の協力隊員、その国に派遣されている全協力隊員の力、JICAの力、ましてや国連がいくらその国を良い方向に変えようとしても、不可侵な部分というのがそれぞれの国に存在しているようだ。禁句かもしれないが、ジンバブエの場合、第一は政治かな。 協力隊員は任期が2年間という長い期間で、現地社会と共に生活しているから、一度は(人によってはずっと)悲観的な考え方に襲われているのではないか。私の例でいうと、「今いる組織の団結力の欠如」や「公共という考え方の欠如」、「教育より今の生活の方が大切という考え方(仕方ないともいえるが)」などなど。これらは不可侵な問題ではないようだが、「根本的」といいたくなるほどの欠陥をマジマジと感じてしまった。 確かに、悲観的な考え方に陥って、状況をもう一度違う角度から見て自分が見えていなかった状況を認識するのもいいと思う。「悲観は悲観で良い勉強になりました」。これでも良いが、協力隊はある意味「勢いの大切な職業」なので、悲観はかなりマイナスであると思う。日本に帰ったら、すっきり途上国の発展について考えたことなど忘れるのだから、途上国にいる間だけは、「勢い」で前進するのがいい。さー勢いで行くぞ・・・・・・ |
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■ 日本では想像できないことがたくさんある | ||||||
「百聞は一見にしかず」 日本でいくら途上国のことを想像しても限界がある。また、途上国に赴任してからも、ここで起こっていることに理解が及ばないことだってある。それは自分の想像力の狭さを感じる時でもある。想像力は、何もないところからは生まれない。自分の経験や思考を元にいわば独創的に生み出されるものだ。 日本でも自分の想像力が及ばない場面がたくさんあるが、世界にはもっともっとある。 確かに、途上国に赴き見聞を広めたからといって、日本社会での立ち回りに有利になるとはいえないだろう。しかし、自分の想像力は間違いなく広がる。 協力隊は国がお金を出してくれて、途上国に来ることができる。自分の想像力を広めたい人は是非参加を! |
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■ 協力隊員に必要なこと(追加) | ||||||
まず、キーポイントが2つ。協力隊員は任国の配属先から給料をもらっていないので、「オイコラ!給料分働け!」とは上司から言われない。言い方を代えると、「タダ働き」であること。次にJICAは協力隊員の主体性(ボランティアであるので)を大切にするとの理由で、協力隊活動に関しては一切ノータッチ、ノールックである事実(本部からの技術的な助言制度はある)。JICAと協力隊活動の接点といえば、何ヶ月かおきに協力隊員がJICAに提出する報告書(計5回/2年間)のみといってよい。 ここですでにお気付きの人もいると思う。「人間だもの」の誰かの格言を使いたくなる。つまり、初心(熱意とか集中力とか)があれば(あっても)協力隊活動ができていたのにある時点から、「自分に甘えが生じてくる」。 上の2つのキーポイントはこの甘えを引き出す要因となっていると確かに言えるようだ。またこの他に、個人的な現場の意見として、自分の力ではどうしようもならないことが存在すること、自分の力の限界を感じること、自分に甘えが生じたもの同士(日本人同士)の意気投合(切磋琢磨の逆)などがある。何が言いたいかというと、「自分に甘えが生じる」ような環境が実にたくさんあるのだ。 協力隊活動はお金を与えるものではない。コツコツと2年間という長期にわたって、何らかの影響(技術だったり、態度だったり、などなど)を残そうとするものだから、継続力ということが大切でもあると思う。 そこで、「忍耐力」も大切だなと思った。「継続は力なり」。協力隊事業はじわじわと長期にわたって、成果の影が途上国に落ちたらいいとするもののようだ。 |
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■ JICAに対する考え方 | ||||||
協力隊に合格して、日本の訓練所で約2ヶ月間の訓練を受け、任国に赴任し、生活し、協力隊活動を経験してみてJICAに対して感じていること。これはまったく人それぞれで、人によって様々な期待があり、現実があり、感じ方、考え方があるようだ。日本の協力隊訓練所での生活は、私の想像を超えて楽しかったし充実していた。任国における安全対策もさすが国の機関だといえる。私達の目の届かない、事務手続きだって大量にかつ的確に処理されているに違いない。 一方、JICAに対する要望や不満もいくつかある。これらは、偶然起こっていることもあるかもしれないし、必然的に(以前から同じように)起こっていることもあるだろう。しかし、「不満を言っていたら生産的ではない」。何とか納得のいくさやにJICAのポジションを収めたい。そこで、「JICAと協力隊の関係」をどう短く表現(形容)したら納得がいくか考えてみた。 JICAは私(協力隊)の「雇い主」、「管理者」、「企画者」、「パートナー」、「教育者」、「搾取者?」など、どれが適当であるか? 結構ほとんどの協力隊員が最初の頃、私達はJICAに雇われて管理されていると思っている。表現に間違いがないが、この考え方はJICAに対して不満を生み出す元のようだ。 そこで、JICAは協力隊に対してこんなスタンスであると勝手に結論付けてみた。JICAは協力隊という企画を私達に提供(丸投げ?)している組織。そして、こう言う。「協力隊の特徴を生かしながら見聞を広めて下さい」。身の安全や諸手続きは万全を尽くします。この程度がOK。 JICAは協力隊員を管理していると変に思わせぶるから協力隊員から変な不満が生まれてくるのでは?無理だと思うが、JICAはスタンスをはっきりしたらいいと思う。「協力隊員は2年間苦しんで、成長して下さいね」とか「協力隊員の自主性を大切にしたいので、協力隊の仕事には一切ノータッチとしますね」など。曖昧なことを言葉のコミュニケーションとして言及しない組織体質は、今風ではない気がする。 最近、私は協力隊の良さの1つに、「日本の管理社会」から解き放たれることだと思った。だから、JICAにはもっともっと協力隊員に対して、ノータッチ、ノールックなどの無関心を貫いて欲しいと思う。宜しくである。だって、JICAは日本社会の(役所的)組織なんだもん。 |
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■ 協力隊員報告書(5回/2年間) | ||||||
正式名称は「ボランティア報告書」。ボランティア(協力隊員)が、ボランティア?でボランティア報告書を2年間の任期中5回書いている。この報告書は、任意かそれとも義務なのだろうか?もしくは、暗黙の了解っていうやつでみんなが書いているのか? この協力隊員が書いた報告書は事業関係者が情報共有できて、協力隊員自身が自己の活動を管理できて、国民に情報を開示する意味でも必要であるそうだ。協力隊ハンドブックの「報告書の目的」のところにそのように書いてあった。 報告書には、記載内容の項目が初めに決まっていて、それに沿って書けば良いのである。だいたい、1回の報告書に項目が5つくらいある。私が答えるのに困っている、どの報告書にも共通した面白い質問↓がある。 任国の人々との交流 (1) 配属先等任地の人々の日本や日本人に対する意識(前報告書時とくらべて変化があれば、具体的に記入) (2) 任国の人々との交流(今後予定があれば合わせて記入) 個人的には、どうでもいいような質問に感じるのだが。「交流」の何を書いたらいいのだろうか?最終報告書には「任国の人々との交流(赴任時からの動向を記入)」と書いてあるが、なんて書こう???日本帰国が迫り、現在付き合っているジンバブエ人の彼女との別れ話決着秘話でも書こうかな。(←冗談) 以前、日本の協力隊訓練所スタッフの方が、「協力隊員報告書には自分の感情をたくさん入れるようにして下さい」と言っていた。その時は、なぜそのようにアドバイスしてくれたか分からなかったが、今なんとなくその意味が分かった。とてもいいアドバイスだと思った。例えば、「仕事場の人々のヤル気のなさにガッカリした」とか「約束をいつも破られて、疲れきった」、「お金や物の援助をいつも迫られて、気分が滅入る」、「珍しく同僚が仕事のことで自分に質問をしてきて、嬉しくなった」などなど。そうか、自分の感情が書かれている報告書のほうが協力隊らしくて面白い。なるほど!! 以前、私も日本の協力隊訓練所でかなりたくさんの報告書を読んでいた。その時、はっきり覚えているのが、どの報告書もピンとこないことだった。それらは、まったく違う世界で起こっている出来事が書かれているようで、私もこれからそんな世界に行くのだろうかといった妙な感覚に襲われた。 それが協力隊報告書なのだからか、また手紙風報告書にしたとしても元協力隊員や事業関係者以外の人は書かれている内容に対して、ぜんぜんピンとこないのではないか。ある人が、途上国での協力隊は「晴れの日の連続」と言っていたが、もしそれが客観的な事実だったら、温度が上がっている協力隊員自身がその自分に気が付いていないことは非常に面白いことだと思う。 |
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■ ボランティアの単語は廃止しよう | ||||||
私は週に一度、白人のジンバブエ人のところで英語レッスンを受けている。そこで、私がボランティアとは何か?についてをよく話題にするらしく、先生から「あなたは自分がボランティアであるかどうかに、悩んでいるね」と言われる。あー確かにそうだ。 やはり、一番引っかかるのは毎月日本の銀行口座に振り込まれている、国内積立金という名目のお金のようだ。国内積立金は協力隊の任期が終了した後、就職や就学、その他生活が安定するまでに使われるであろう、準備資金なのだ。まー頂けるもの(お金)は、何も拒否する必要がないと考えるのが常ではあるが、ボランティアを思うときに「引っかかってしまう要素」であることは否めない。 19年度2次隊(2007年9月末に各国へ赴任していった協力隊員)から、なんとこの国内積立金が半額になったニュースを聞いて驚いた。私が日本にいない間に、日本のデフレはそんなにも進行したのか?いや、どうせ経費削減策の一環だろう。実際に今後、協力隊を志望しようとした人の中に、(口には出さないと思うが)この積立金が半額に減らされたから協力隊の志望を諦めたといった人が出てきてもおかしくはない。 それにしても、JICAは経費を削減するだけ削減して、一方で協力隊員の派遣数はガンガン伸ばそうとしている。時代の流れだろうし、いいことだと思う。しかし、派遣実績数を見たら※印があって、「調整員、短期調整員を含む」と書いてあった。調整員(協力隊員を現地で支援・調整し要請を発掘する役の人)の資格は30歳以上で様々な年齢の人がいるようだが、60歳を過ぎた団塊調整員も「青年」海外協力隊の派遣実績数に含まれているのである。日本の青年は20歳から39歳まで(協力隊の応募条件より)と思っていたが、60歳を超えても青年と名乗れる日本は素晴らしい。 話がだいぶそれたが、ふと思い立ち、協力隊に付きまとう「ボランティア」という単語をすべて削除し、途上国における「(実践)開発協力研修」という名目に変えたらどうかとひらめいた。 |
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■ 代わりに、開発協力研修 | ||||||
協力隊として途上国に赴くには、各自様々な動機を持っていることを前にも書いた。そこで、どうもすっきりしない言葉が出てくるが、それが「ボランティア」である。率直に言うと、「ボランティアという言葉が意味するもの」が、協力隊に関連するところや様々場面において「利用されている」と思っている。 協力隊の「協力」という言葉は、非常に響きがいい。残しておこう。今やグローバル化が時代の流れだとしたら、互いの国が協調し合う重要性は誰もが否定しないだろう。また、社交的に人と付き合うことを大切に思う場合、国と国との単なる「お付き合い」としての交流も大切ではないか。そこで、お付き合いとして協調し合う手段に「研修」という言葉を使ったら、日本的謙虚さがあって協力隊の場合もっと良いのではないか。 協力隊は全面に各自が技術を持っていることを売りにもしている。しかしそれらの技術は、専門家といえるほどの技術水準ではないのも確かだ。そこの中途半端さを「ボランティア」という言葉で中和させていると考えてみた。協力隊の舞台は途上国なので、開発という言葉はしっくりくる。だから、協力隊は「実践開発研修」という名目で途上国に赴くものにしたらいいのだ。名称も「協力」という単語を付けて、(実践)開発協力研修員にする。協力隊の「隊」は軍隊みたいで今風ではないので、この際、削除できてちょうどいい。 日本は島国で外界の情報に無頓着であり、島国の特徴的性格によって、日本のなかでは何かが煮詰まっているような感じがする。協力隊員が帰国した直後、日本人を恐ろしいと感じる(機械のような効率性に)ことがあるというが、外側から見た日本人はひょっとしたらかなり異常なのかもしれない。「うつ(仕事による)」や「カロウシ」、「自殺」は逃げ場がなくなった人の、終着場所だとしたら、その人達に「逃げ場」を教えてやったらいい。「とじょうこくー」。日本で所持している小金は、途上国に行った瞬間、大金になるのだ。また一方、協力隊なんていう、「途上国」、「ボランティア」、「国際貢献」なんていうキーワードを自分に持ってしまったら、日本との温度差に苦しまなくてはならない。最後に方向性として言ってみたいが、たくさんの日本人が途上国という場所が実際に存在し、そこに赴いて現状(同じ人間の日常)を感じられたら良いと思う。また、途上国が煮詰まってきている日本からの逃げ場(終着場所)の代わりになることだってあり得る。今の日本人には逃げ場をもっとたくさん作ったらいいと思う。 だから協力隊のキーワードは「途上国」、「研修(百聞は一見にしかず)」だけぐらいでいい。 長い文章で支離滅裂になってしまったー。 開発協力研修員制度の募集要項: 派遣地:途上国、派遣期間:2年間、国内積立金:約10万円/月、生活費:支給、渡航費:支給、 この制度は実践開発協力研修が目的なので、3ヶ月おきの「報告書」が大変重んじられる。 |
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■ パソコンとインターネットと協力隊 | ||||||
現在、日本は携帯電話が世間に普及し終わったといえる。そこで、思うのが携帯が普及する前はどんな様子だったのか?例えば、誰かとの待ち合わせで、2人が会うまでに片一方にアクシデントが起こった時、携帯電話がない時代はそのことを片方に伝えることができない。その後、その2人はどうなったのだろう?・・・・・・まぁーだからどうしたと言われれば、それもそうだが、現在の何かについて「当たり前」のことと思うのは、想像力を自分で限定してしまっていることにもなる。 現在、ノート型パソコンも協力隊員(例外の人もいるが)の持ち物でなくてはならないものの一つになった。JICAに提出する報告書もほとんどの人が、パソコンを使い作成する。また、デジカメも必需携行品のようだ。デジカメデータはパソコンがないと今までに撮った写真を管理できない。ほとんどの人が途上国の自宅にインターネット環境はないが、日本でパソコンに一日一度は向かい合ってきた生活スタイルの名残りがあり、途上国でもパソコンに触れることに安心感を持つと思う。逆にパソコンがないと、携帯電話を出かけるときに家に忘れてきた感覚のように、なにか心もとなくなったりするのではないか。実際、協力隊員の間でパソコンを使いゲームや音楽、映画で退屈な時間を過ごしている人がたくさんいる。 インターネットもしかり。ジンバブエでもJICA事務所には隊員専用のパソコンが一台あり、ネットができる。大きな都市だとたいてい、インターネットカフェがあるので休日などを利用してネットができる。E-メールの送受信がインターネット利用の一番の目的だが、日本のニュースや自分の関心ある情報の入手なども行う。日本の自宅では、インターネット常時接続が当たり前になってきているので、そういった環境から離れることに協力隊員は赴任当初、何らかの違和感を持つに違いない。 パソコン、インターネットがない時代の協力隊員の人はどのような仕事や余暇の過ごし方をしていたのだろうか?私は報告書を手書きで書くことを想像するだけで、疲れる。しかし、彼らには途上国の一般的な人々の生活に近い生活をした自負があるだろう。たぶん。 最後に、せっかく途上国に来たのだから、電子機器とは無縁な生活をしたいと思っている人もいるだろう。私も電気水道なしの生活に憧れてて、昨年末にジンバブエの田舎にいけた時は嬉しかった。しかし、大げさな言い方かもしれないが、今は日本から持ってきた電子機器に囲まれている。せっかく途上国に来たのに・・・・・・気休め程度だがせめて、今の便利さが「当たり前」と思わないように自分に言いきかせて、電子機器に触れていないときの時間をもっと楽しむようにしたい。 |
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■ 今どきの協力隊員 | ||||||
私は年上とか年配の人に「今どきの人は・・・・・・」と言われるのがあまり好きではないようだ。なぜだろう?人はたいてい年上の人の真似をする。子供が親に似るのは親の真似をしているからだし、人の行動って元をたどると誰かの真似に行き着くのではないか。だから、「今どきの人(若者とか)は、・・・」といっている人は、実は自分のことを言っているともいえるのではないか?本人は気が付いていないようだけれど。今どきの人は・・・の話はつまらなくはないが、自分の世代が対象になるとピクッピクッとなる。では、今どきは何か考えてみよう。 「今どきの協力隊員」。OB・OG達は酒を飲みながら、今どきの協力隊は・・・といっているのだろうか。結構、協力隊員は日本に帰国してしまうと、そういった話をしないのかもしれないという、予想もある。 ノートパソコンやデジカメ、電子辞書などの電子機器に囲まれている現在の協力隊員の環境についていえば、明らかにそれらがなかった時代との差は大きいだろう。その他、女性の協力隊員が以前に比べかなりの比率(全体の約2/3)を占めるようになってきたので、彼女達を見学したら「今風」がどんなのか、見えてきそうだ。 その他・・・分からない。やっぱり諸先輩方の意見を借りよう。訓練所の元協力隊員のスタッフの人が「今の協力隊員は学歴が高くなってきている」と言っていた。学歴が高い?=頭デッカチか?一概には言えないが、おバカな人が少なくなってきたのか? 適した言い方をすれば、柔軟性の大小なのかな。私も思ったことがあるが、JICAが協力隊員個人個人の活動に対して何らかの評価をしたら、もっと「協力隊事業の効果」が上がるのではと思ったことがある。協力隊はきっと、個々が持っている柔軟性を最大限に試すことをJICAは期待しているのに、意識的に束縛されることを要求してもらおうとは、こういう考え方が今どきなのか。 |
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■ 協力隊にもう一度参加したいか? | ||||||
大多数の人が、協力隊は一度で十分と思っている。それは、協力隊2回目参加者の人数の少なさを見たら分かる。もちろん、2回目に参加したいと「思っている」人もたくさんいるかもしれないけれど、思っているだけでは始まらない。 なぜ2回目参加者は少ないのだろう。 協力隊は「結婚」のようなものか?そう考えると、話がまとまりやすいぞ。協力隊になる女性はよく、協力隊のことを「昔からの夢だった」というし、男性は「協力隊ってあーこんなもんかー」と思って、はい、それで終わりみたいな。 こんな説明でどうだろう?だれかうまく説明できる人がいるだろうか。 |
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■ 協力隊とバックパッカー | ||||||
バックパッカーとは、スーツケースではなくバックパック(大きなリックサック)一つで世界を旅する人達のことだ。特徴はツアー旅行と違い、予定や時間に縛られない自由さとお金にものをいわせるのではなく、なるべく費用を安く抑えながら目線を現地の人達に合わせようとするところだ。目的はいろいろあるが、一番は単調な毎日にない、新しいものを見つけに行くことのようだ。 協力隊員で以前バックパッカーだったという人がかなりいることに、私は日本の協力隊訓練所で気付いた。きっと、この2つに共通していることがたくさんあるに違いない。 バックパッカーの目的にある、「単調な毎日にない、新しいもの」を追求していくとどうやら日本国内よりも海外に、先進国よりも途上国に、観光客用の豪華バスやホテル、レストランよりもローカルバスや安宿、庶民の屋台の方にあるらしい。どうやら、この新しいものとは「お金」が集まり難い所のようでもある。 さて、協力隊の目的は何か?一番は「やりがい」ではないか。それではなぜ、協力隊がやりがいのあるものだと協力隊参加者が思ったのか?そう考えると、バックパッカーの目的に似ていなくもない。最終的に意識は自分に向いているようだ。また、協力隊は国の税金で途上国に行けるし、生活費だって出してもらえる。バックパッカーを経験した人ならば、かなり途上国に対する免疫もある。バックパカーを経験した人が協力隊に志願する流れは、必然的ともいえる。 以前、私もバックパカーであった。以前から協力隊になった今も共通して感じていることがある。それは、途上国にいる自分は相対的(途上国の経済レベル)に金銭的な余裕がかなりあるということだ。バックパーカーの時に出会った外国人達はほとんどが先進国から来ていた。また、バックパカーの時に疑問だったのが、アメリカ人バックパッカーにまったく会わなかったということだ。あの新しいもの好きのアメリカ人がなぜ、「単調な毎日にない、新しいもの」を途上国に追求しないのか?日本人や特に欧州の人達のバックパッカーは「お金」の集まり難い所に新しいものがあると気が付いている。これはひょっとしたらアメリカ人にはない考え方なのかもしれない。彼らは、この新しいものをお金で買おうとしているのかもしれない。伝統や文化はお金では買えません(一応買えないということで)。だから、ヨーロッパの人達や日本人はお金で買えないものの在りかに敏感なのかも。 また、もう一つ共通していることに日本という国から進んで(一時的にせよ)脱出したい願望があるようだ。それは、日本の何かに嫌気が差している証拠でもあるだろう。「面白くない」という言葉で表せられるか?外れてはない。アナログがデジタルに切れ変わったのは、だいぶ前のことだが今、その何でもかんでものデジタル化に人間の本能が退屈感を感じているようだ。自分もいずれは、すべてがバーコード(QRコードとか)といったデジタル記号で表されてしまうのでは?そんな未来的な話を信じるのはばかげているだろうか。効率を追求した世の中の行き着く先は、すべてがデジタル情報の世界になる気がする。 現在のデジタル化技術は生物の不思議といわれていた部分も解明されつつあるくらい相当高いようだ。例えていうと、ゴッホやピカソが描いた名画も最新のデジタル化技術を使うと、本物と見分けが付かないくらいそっくりにコピーできるらしい。しかもそのデータというのは、指先程のチップに収納できてしまう。私は何億円もする本物の名画を、なぜそんなに価値が高いのかと思いながらこの目で見てみたいと思っている。しかし、まったく同じに作られたコピーなんて、見たくない。まったく見分けが付かないほど同じに作られたものでもだ。この話のように、データを別に偽者の代表のように言っているのではない。ただ、何でもデータ化してすべてを解明できたと言い切ってしまう、ものの考え方に異常性を感じる。効率性を重視する社会は、なんでもデータ化を今後もなんのためらいもなく進めていくだろう。人間一人のすべての情報が、電子データで表される未来もあるかもしれない。効率性って怖い言葉だと思う。 |
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■ 好きなことをやって下さい! | ||||||
帰国間近の先輩隊員が言った印象的な言葉だ。 自分は日本人だからなのか、与えられた要望や期待に対しては応えようとする。責任感が強いようだ。しかし、何も要求されなかったり期待もされなかったら今度は拍子抜けしてしまう。協力隊において、そういった状況におかれることは少なくないようだ。日本人は与えられたことに応えるのは慣れているが、自ら考えて行動することには本当に慣れていないようである。 「好きなことをやって下さい!」この言葉を聞いたとき、私は好きなことばかりやっていたら罪悪感に襲われないかと思っていたが、実際、今になって言葉の意味が理解できた。私も新しく協力隊員として赴任した人達に向かっては、同じことを言うだろう。 だから、協力隊員として2年間活動し帰国する時には、任務を果たしたとか、JICAに評価されることをしたとかというよりも「自分の好きなこと(やりたいこと)をやった」と言えるようにしたほうが、ベターだ。 また、それができるのが協力隊のいいところである。 |
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■ おまけ(メモ) | ||||||
私の知合い協力隊員の話でこんなものがある。JICA事務所から調整員が配属先を見に来るというので、きっとあれこれどんな活動をしているのか聞かれる(ひょっとしたら突っ込まれる)だろうと思い、前の日から説明することをあれこれ考え整理して当日を迎えたそうだ。しかし、その調整員は彼の住居と生活状況を尋ねただけで、協力隊活動に関する質問はこれっぽっちもなく、前の日から説明の準備をしていた自分の期待とのギャップにズッコケ、ガッカリしたそうだ。この話は偶然起きているのではない。どこの国に行ってもこれと同じことが起こっているのだ。つまり、これはJICAと協力隊員との関係の縮図でもある。 協力隊をボランティアにした理由はなんだろう?アメリカのピースコーにヒントを得て考え付いたのだろうか?私が強引に考えてみると、世の中がボランティアという「理想的な人間像」を求めていたからか?だって、ボランティアといったら無償で人や社会に役立つことを自発的に行うことであるから、「理想的な人間像」となるよな。また、強引に結論付けると、日本の文化に「ボランティア」なんていう言葉を持込んではダメだよ。結構その言葉に対する日本の支払い金額は高くついているんじゃないか。 中国の途上国に対する援助の仕方が良いか悪いかは別として、見ていて面白い。また、政府の援助とは関係ないが、ものすごい数の民間人がアフリカに来ている。移住精神とでもいうのか、なんとも思いっきりがいい人が多いのだろう。おかげで、アフリカのほぼすべての国で、日本人は「中国人」に外見上見られている。まーそれでも、日本製自動車が道路を席捲しているからいっか。 「ボランティアもバックパッカーも金持ちの道楽だよ」。日本で自分はお金持ちではないが、思い切って言ってみた。 |
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