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Zimbabwe.NET 青年海外協力隊体験記
from アフリカ ジンバブエ
 ■ Digest (ダイジェスト)
 私の任期は、2006年10月3日から2008年10月1日までの2年間です。ダイジェストでは、日記からジンバブエの思い出として、主な出来事を書きます。
                                       ダイジェスト
 ■ 2008年の目次
2008/03/17 最高額紙幣1千万ジンバブエドルの価値が30円を切った!
2008/03/15 ジンバブエの協力隊員が一気に減少!今後も減少の一途
2008/03/14 企業の黒人支配化法案に大統領が署名した
2008/03/12 日本よりも進んでいること?Women can do it!
2008/03/07 大統領選挙の海外からの選挙監視団リストが発表された
2008/02/21 ムガベ大統領84歳の誕生日&最高額紙幣の価値が100円をきる
2008/02/20 最近の悪いニュース特集!
2008/02/02 ジンバブエのラジオから、日本のバルーンおじさんの珍ニュースが
2008/01/25 学校の講師不足(必要数の1/3)とジンバブエのカラクリ
2008/01/25 今年の農作物の収穫は期待していたのに
2008/01/24 銀行前の長蛇の列が解消された、がしかし・・・
2008/01/20 ジンバブエ全土が2日間真っ暗に!国全体が停電?!
2008/01/18 またまた、3種類の高額紙幣が追加発給された
2008/01/07 最近、ジンバブエ人の友達から国外移住の相談を受けた


 ■ 2007年の目次
2007/12/20 現行の通貨に3種類の高額紙幣が追加発給された
2007/12/12 価格統制後、初めてスーパーに食品が戻ってきた
2007/12/03 新通貨登場(デノミネーション)の噂にやられた
2007/11/21 学年末の国家試験が無事に終了
2007/11/10ジンバブエNo1ミュージシャン、オリバー・ムトゥクジのライブ
2007/10/05 ジャカランダ満開!これですべてを忘れよう
2007/10/03 赴任1年目経過!マラソンでいうと折り返し地点だ
2007/09/30 日本車いっぱいのジンバブエ!だけど軽自動車はなぜか見かけない
2007/09/22 珍事件ニュース:キリンを住民が食べようと思い・・・・・・
2007/09/18 英語圏だけど英会話レッスンを受けている
2007/09/08 政府が公定レートの変更を発表!変更幅はなんと120倍
2007/08/08 観光資源にとても恵まれているジンバブエ!!
2007/08/05 ジンバブエ経済崩壊 「価格半減令」インフレ率10万%予測
2007/08/01 HPのアクセスが急増して、サーバーの回線がパンクした
2007/07/31 本日でお金(ベアラーチェック)の使用期限が切れた
2007/07/19 国の問題は「国の挑戦」これって、言葉の綾?
2007/07/05 政府が発表した価格統制でスーパーなど市場から品物が消えた
2007/06/27 農業隊員の任地訪問でジンバブエの農業の大切さを知った
2007/06/20 「Small House(スモール ハウス)」と「HIV」と「ジンバブエ」
2007/06/12 赴任後9ヶ月経ち、冷静にジンバブエの状況を見つめ直してみる
2007/05/29 講師不足の緊急事態
2007/05/22 学生寮に住む学生からのショックな一言。真剣に落胆した
2007/05/11 仲の良かった講師がポリテクを去って行った。講師不足
2007/05/06 世界遺産グレートジンバブエ遺跡観光
2007/04/27 ロバート・ムガベ大統領をZITFで目撃した感想
2007/04/25 ジンバブエでVCT(カウンセリング付き簡易HIV抗体検査)を受ける
2007/04/03 ジンバブエ赴任6ヶ月経過の感想
2007/03/06 仰天ニュース、早朝にバスと電車が衝突した。バスの乗車員は、
2007/02/21 ムガベ大統領83歳の誕生日。1980年の独立以来27年間大統領
2007/02/18 警察とMDCのデモがハイフィールドで衝突。1名が射殺される
2007/02/13 ハラレポリテクに警察が入り厳戒態勢。学生数名が逮捕される
2007/02/03 大統領の車列と初めてすれ違った。壮絶だった
2007/01/25 ジャンケンを学生に教えようとしたが途中断念。その理由は・・・・・・
2007/01/22 学生達の個性的な自己紹介はウケた。彼等の日本について
2007/01/18 緊張した初授業!
2007/01/05 HIV母子感染防止プロジェクト。出産時、子供は33%の確率でHIV感染


 ■ 2006年の目次
2006/12/23 日本の地震を心配してみる
2006/12/15 ジンバブエの先生とは?ジンバブエ的授業体験
2006/12/05 初の英会話個人レッスン。しかも格安で
2006/11/30 帰国する隊員から学んだこと。帰国報告会にて!
2006/11/27 ジンバブエの日曜日。町はまるでゴーストタウン
2006/11/02 初仕事は試験監督だった。国家試験なのに時間通り開始しないのはなぜ?
2006/10/26 ホームステイ体験で「文化の違い」をかなり感じた。メイドさんの対応に困る
2006/10/15 初食あたり! 体がしびれるーうー
2006/10/10 一週間経過。いろんな感想が浮かんでくる
2006/10/03 ジンバブエ初日の感想。アフリカのイメージは覆された!!
2006/10/02 いよいよアフリカのジンバブエに出発!思い出の機内
2006/09/22 訓練期間中の記憶の「まとめ」。抜粋の殴り書き
2006/09/13 協力隊で派遣されるには約2ヶ月の訓練(二本松訓練所での)がある
2006/07/04 ブログにしようか?HP(ホームページ)にしようか?


 ■ 2008年のダイジェスト
 ■ 最高額紙幣1千万ジンバブエドルの価値が30円を切った! (2008/03/17)

 現在の最高額紙幣1千万ジンバブエドルの価値が日本円の30円を切った。最高額紙幣の1千万ジンバブエドルは1月18日の発給日時点で価値が約300円であったので、2ヶ月でお金の価値が1/10になったことになる。

 また、ニュースで現金不足の文字が昨年末のように、よく登場するようになってきた。銀行にはATMから現金を引出す人の列ができ始めているのを、私も最近見かける。選挙前で政府が比較的すんなり、軍や警察といった公務員達の昇給要求を呑んだようだった。今年に入ってから、物価の上昇が去年よりさらに加速している。また、札束を持って買い物に行かなければならない時代(ちょっとの期間だけれど)がまもなくくる。




 ■ ジンバブエの協力隊員が一気に減少!今後も減少の一途 (2008/03/15)

 2月29日 2人の任国変更者(行き先はウガンダ)が出国した。
 3月7日  17-3の5人が出国予定
 3月14日 任国変更者(行き先未決定、一時日本待機)4人が出国予定

 任国変更者とはジンバブエの経済悪化により、生活や協力隊活動に支障がきたす人に対して、任国変更の選択肢をJICAが作り、何人かがそれを希望したことだ。

 3月15日以降、残りのジンバブエ協力隊員は19人になる。現在、ジンバブエは協力隊員の後任要請を見合わせているため、人数は減る一方だ。まったく協力隊員がいなくなる日がくるかも。




 ■ 企業の黒人支配化法案に大統領が署名した (2008/03/14)

 ジンバブエのムガベ大統領はこのほど、国内全企業の株式の過半数を地元住民に所有させる法案に署名した。同国内で活動する外資系の銀行や鉱業、通信企業などもすべて、株式の51%以上を住民に譲渡することが義務付けられる。同法案は昨年9月に議会で可決されていた。地元住民は、「(同国が独立した)80年4月以前に人種差別を受けた者またはその子孫」と規定されている。

 最近の大統領は、ヘリコプターを使い地方へ選挙の宣伝演説に行っている。しかも、毎回日帰りのようだ。地上の道路を車で通ってくれたら、瞬く間に道路が整備されるんだけれどなー。




 ■ 日本よりも進んでいること?Women can do it! (2008/03/12)

 ジンバブエの女性が政府の要職に就く割合は、日本のそれよりも高い。女性の社会進出は、国によって様々な社会・文化などの背景があるので一概に数値として比較するのはおかしいと思うが、ジンバブエの勝利!日本よりも進んでいる!これが言いたかっただけ・・・・・・

 Women can do it!!! ジンバブエのZTV(1チャンネルしかないテレビ)からよく流れてくるフレーズだ。さらに、説明の中でジンバブエの全人口に占める女性の比率は52%だけれど、24%しか政府の要職に就いていない。と説明が続く。あまりにも頻繁に流れるのでフレーズを覚えてしまった。

列国議会同盟IPUの「世界の女性議員比率」によると189カ国中
世界各国議会の女性議員比率(今年1月1日時点)
1位 ルワンダ    48.8%
2位 スウェーデン 47.0%
3位 フィンランド  41.5%
4位 アルゼンチン 40.0%
5位 オランダ    39.3%

6位 デンマーク  38.0%
7位 コスタリカ   36.8%
8位 スペイン    36.6%
9位 ノルウェー  36.1%
10位 キューバ   36.1%

以下先進諸国の下位順位
17位 ドイツ     31.6%
60位 英国     19.5%
64位 フランス   18.2%
68位 イタリア    17.3%
71位 アメリカ    16.8%
81位 韓国     14.4%
84位 ロシア    14.0%
105位 日本     9.4%

アジアは平均で16.9%と低いようだ。

 日本もジンバブエのようにテレビCMかなにかで、現状を流したらいいのだ。現状説明は日本語で行い、耳に残るキャッチフレーズは、英語で「Women can do it!!」って。どんな反響がくるだろうか?しかし、ジンバブエのテレビ局は1チャンネルしかないので、そのチャンネルをずっと見ていると、放送の送り手のメッセージがかなり頭に残るというか、それしか信じないようになるとかいうか。とにかく、Women can do it!!のCMは女性にとって心強いメッセージであることは強く感じる。




 ■ 大統領選挙の海外からの選挙監視団リストが発表された (2008/03/07)

海外からの選挙監視団は全46ヶ国+SADCである。
選挙監視団として呼ばれた国:
ロシア(欧米諸国で唯一)
アフリカ南部のすべての国々(先般、大統領選挙で不正が有った無かったで混乱しているケニアも参加)
スーダン、イラン、ベネズエラ、エチオピア、アンゴラ(世界で最低ランクの人権○○を行っている国々も参加だそうだ)
インド、マレーシア、インドネシア、中国、イラン(アジアからは5ヶ国)
ジャマイカ、ニカラグア、ブラジル(南米より)

※ SADC:Southern African Development Community

呼ばれなかった国(拒否された国)
EU(ヨーロッパ連合)のすべての国々
アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、日本

 ジンバブエで日本はヨーロッパ諸国の一員として見られているようだ。中国は今や一番の友人関係。現ムガベ大統領は昨年、選挙監視団についてこう言ったそうだ。Our friends will observe us.(我々の友達が選挙を監視してくれるだろう。)




 ■ ムガベ大統領84歳の誕生日&最高額紙幣の価値が100円をきる (2008/02/21)

 2月21日はムガベ大統領84歳の誕生日だ。今日もテレビに登場して、元気な姿を見せてくれた。アフリカ最高齢のリーダーとして、尊敬されるような「引き」を演じて欲しい。それとも終身大統領なのか?彼は3月29日の大統領選挙に立候補している。

 最近、インフレが急進している。個人的にインフレも景気みたいに、明るい兆しとか・暗い兆しというように世の中の雰囲気を敏感に感じ取っているようだ。

 現在の最高額紙幣1千万(Z$10,000,000)ジンバブエドルの価値が100円をきるまでに下落した。1月18日の発給時には約300円程度だったので、1ヶ月足らずで、価値が1/3になった。




 ■ 最近の悪いニュース特集! (2008/02/20)

・ジンバブエの平均寿命37歳(男性)、34歳(女性)とUNが発表。世界で一番低い国。

・12月末時点のインフレ率66,212.3%に達成(政府統計局発表)。1年間に物価が約660倍に上昇。

・1月末時点のインフレ率100,580.2%に達成(政府統計局発表)。1年間に物価が約1000倍に上昇。

・2007年度のHIV感染率15.6%が発表。2005年度の18.1%から減少。

・世界の独裁者ランキング(アメリカのパレード誌)
1位(昨年2位) 金正日総書記(北朝鮮)
2位(昨年1位) バシール大統領(スーダン)
3位(昨年3位) ミャンマー軍事政権タン・シュエ議長(ミャンマー)
4位(昨年5位) アブドラ皇太子(サウジアラビア)
5位(昨年4位) 胡錦涛国家主席(中国)
6位(昨年9位) ムガベ大統領(ジンバブエ)
7位(昨年ランク外) ハメネイ師(イラン)
8位(昨年7位) ムシャラフ大統領(パキスタン)
9位(昨年ランク外) カリモフ大統領(ウズベキスタン)
10位(昨年ランク外) アフェウェルキ大統領(エリトリア)

 確実に数字がおかしいものがある。インフレ率だ。かなり少なく見積もられている。これでは、政府が出す数字の信憑性を疑ってしまうではないか。そうなると、HIV感染率も疑って見た方がいいのかもしれない。

 その他、外貨不足や機材不足で相継ぐ停電。年末年始をまたにかけて降った大雨にもかかわらず、断水が定期的に発生している。首都ハラレの水が安全な水ではなくなったとニュースで報じられた。ジンバブエエアーラインのフライトキャンセル続出。海外逃避するジンバブエ人達。頭脳流出。選挙関連のニュースなど。




 ■ ジンバブエのラジオから、日本のバルーンおじさんの珍ニュースが (2008/02/02)

 ラジオでジャパンの言葉が!耳を澄まして聞いてみたら、(いつかもいたような)バルーンおじさんの事だった。なんでもバルーンで上空のジェット気流に乗って、太平洋横断を決行したみたいだ。そして、現在行方不明中なのだとか。ジンバブエにも日本の???のニュースが届いた。

 今どきGPS(グローバル・ポジション・システム)や衛星携帯電話を持たずに彼は出発したのだろうか?上空は衛生携帯が圏外なのか??今どき、途上国の田舎にいる協力隊員でさえ、衛生携帯電話(JICAから貸与)を携えているというのに・・・・・・




 ■ 学校の講師不足(必要数の1/3)とジンバブエのカラクリ (2008/01/25)

 現在、私の学校の土木工学科講師は、必要数の1/3しかいない。今年はいよいよヤバイぞ。去年も講師は不足していて、必要数の2/3しかいなかった。去年は仕方ないので、国家試験科目以外は授業を行わずに、国家試験科目のみを集中的に授業してなんとか学生達の一番の要望である資格取得をカバーすることがでてきいた。ところが、今年はその国家試験科目すら授業が行われていない状態なのだ。私を含め、現講師達が担当科目数を増やしてもカバー不可能なほど、現在の講師は少ないのだ。なんとも壊滅的状態だ。

 土木工学科は学校の中で講師不足が一番深刻だ。土木・建築の技術者は周辺諸国に行ったら、ジンバブエに比べかなりの給料を貰える。特に南アフリカは2010年サッカーワールドカップに向けて建設ラッシュだから、真面目で高学歴なジンバブエ人技術者は引っ張りだこなのだ。

 それにしても、現在在籍している講師達はどのようなモチベーションで仕事を行っているのか?また、どうやってあのような低い給料で生活しているのか?この疑問を調べてみた。

 まず、給料についてだが、ほとんどの講師というのは、給料なんか期待していないことが分かった。親が政府の要職に就いているとか、海外の親戚からの送金が十分にあるとか、生まれたばかりの子供を育て中とか、実は講師は副職なのだとか、講師の給料ですべての生活費をまかなおうとは最初から思っていないようだ。逆に講師の給料しか収入がないような人は、すでに学校を去っている。また、モチベーションだが「給料が少ないから、いい加減でいいや」という人ももちろんいるが、講師がこれだけ少なくなると逆に使命感を感じている講師も何人かいるようだ。「自分がやらなければ、やる人がいない」というように。モチベーションについては人それぞれなので一概に言えないようだ。

 ジンバブエのカラクリの一つとして、海外で仕事をしている親戚からの送金がある。ある報告によると、ジンバブエ全人口の1/4が海外で生活しているという。だから、海外に住むジンバブエ人から、このジンバブエ国内に入ってくる送金の額はかなりでかいようだ。失業率80%以上でどうやって、人々が暮らしているのか?インフレの影響で給料の価値があんなに下がってしまって、どうやって生活できるのか?その答えには、海外からの送金が疑問の多くを解決してくれるようだ。




 ■ 今年の農作物の収穫は期待していたのに (2008/01/25)

 今年の農作物の収穫は、予想を下回るガッカリしたものになるそうだ。昨年が大干ばつの影響を受け不作だったので、今年こそはと意気込んでいた矢先の報告である。報告は農業省の大臣が行った。彼は肥料不足を理由(いい訳)にしている。加えて、11、12月に例年をはるかに上回る大雨の影響のためとも言っている。

 昨年10月には、ムガベ大統領が自信満々に「来年は農業政策の成功により大豊作になる」と言っていた。確かに、種や肥料、農作機用の燃料を黒人農家に配布(または安く販売)するといった、農業重点政策を国が掲げて、大豊作を期待したところまでは良かった。しかし、レポートによると、種は必要量の6割くらいで、肥料は4割以下、燃料は与党の息が掛ったところ・・・・・・しか配布できなかったのである。

 国が掲げた重点政策の能力がこの程度といったらそれまでだが、農家自身にも政府ばかりには頼っていられないとの意気込みがあったようだ。だから、潜在的な農作物収穫量としては十分に期待しえるものであったのは確実のようだった。

 しかし、経済がこれだけガタガタだと、農業という投資した分を未来に回収するというサイクルには苦しいものがある。政府から肥料や燃料を破格の値段で譲ってもらっても、闇市場で転売した農家が少なくなかったという。

 ムガベ大統領は白人から接収した土地(元々は黒人の土地という見方によると)を黒人に再分配しているので、民主的な政治家であると賞賛する人の意見もある。また、白人達が黒人を搾取する構造を変えようという、意欲は素晴らしい。しかし、黒人の支配層が黒人市民を搾取する構造に変わるだけだという意見もあるようだ。




 ■ 銀行前の長蛇の列が解消された、がしかし・・・ (2008/01/24)

 年末から1月18日の新紙幣発給までの間、国内に現金不足が生じ、いたるところで混乱が発生した。現金を求め銀行前に長蛇の列を作る様子はテレビを通して、ジンバブエのインフレによる現金不足を世界中に知らしめたようだった。年末のクリスマス休暇では、ある程度経済的にゆとりがある家庭でも現金が手に入らないために、田舎への帰省を断念せざるを得なかったといった話を私はたくさん聞かされた。

 1月18日、新紙幣の発給や引き落とし限度額の増額効果で、巷の現金不足は解消されつつあり、銀行前の長蛇の列は解消されていった。(地方では依然として長蛇の列らしいが)

 が、しかし・・・現金不足が解消したと喜んでいるもの束の間、今度はインフレが凄まじい勢い進むのだ。インフレの動向は、国内の現金流通量や外国通貨需要などに大きく相関している。ジンバブエドルをジャブジャブ発行して、外貨を欲しがる人(政府も)がたくさんいる構造を作り出しているシステムを変えない限り、銀行前の長蛇の列とインフレは延々と解決されない。




 ■ ジンバブエ全土が2日間真っ暗に!国全体が停電?! (2008/01/20)

 1月19日(土曜)の夕方から翌20日(日曜)の午後3時頃まで、ジンバブエ全土が停電した。かろうじて、ビンドゥーラ周辺地域だけは、モザンビークから電力を供給されていたので停電を免れた。ジンバブエの周辺諸国である、南アフリカやボツワナも同時に国内の一部が停電した。

 私の住んでいるところは、首都ハラレで、そのなかでも市内中心部というエリアに属しているため、去年から頻発しているジンバブエ名物の停電とは関係のない唯一のエリアであった。ジンバブエでもハラレの市内中心部だけは、国の重要な機関が置かれているためか停電は今までほとんどしたことがなかった。

 いつもないところで、停電が起こると困るものだ。停電が始まりまもなく水も止まった。ジンバブエの調理器は電気なので、私は食事に困ったが、パンの残りがあったので空腹はしのげた。学生寮の学生達は、学食だけが食事のたのみなので、かなり空腹だったに違いない。彼らは現金をほとんど持っていないため、パンすら買えないのである。講師寮に住む、家族達は学校の敷地から薪を拾い集め、ブツブツ言いながら食事を作っていた。

 電気のない夜は、心細かった。このまま電気が回復しなかったらどうしようと途方に暮れた。停電を毎回経験している、地方の協力隊員の気持ちが分かった。「夜は明るい」という常識がくっ付いて離れない私にとって、ロウソクの光のみでは到底満足できない。停電は精神的に気が滅入ることが一番大きいようだ。

 停電の原因をZESA(ジンバブエの電力公社)が説明していた。ザンビアからくる配線の接続障害が原因だそうだ。いまやジンバブエは、総電力消費の半分以上を周辺諸国から輸入している。外貨が使われ続ける電力の輸入はインフレにとってもかなり良くない。




 ■ またまた、3種類の高額紙幣が追加発給された (2008/01/18)

 今から約1ヶ月前2007年12月20日、中央銀行のゴノ総裁は新たにZ$250,000、Z$500,000、Z$750,000の3種類の紙幣(ベアラー チェック・無記名小切手)を発給した。

 そして本日、また新たにZ$1,000,000、Z$5,000,000、Z$10,000,000の3種類の紙幣(ベアラー チェック・無記名小切手)を発給した。これで現在流通している、紙幣の種類はZ$1からZ$10,000,000の19種類になった。全部挙げると、0.01、0.05、0.1、0.5、1、5、10、20、50、100、500、1,000、5,000、10,000、50,000、100,000、200,000、250,000、750,000、1,000,000、5,000,000、10,000,000ジンバブエドルだ。分かりやすく、日本の感覚で説明すると、1銭円札から1千万円札までの24種類の紙幣がジンバブエには存在している。

 しかし、現在インフレの影響で、5,000ジンバブエドル以下の紙幣は紙屑同然になっている。現在の実勢為替レートはUS$1=Z$3,300,000なので最高紙幣のZ$10,000,000は日本円で300円程度だ。しかし、直ぐにこの価値はインフレで下落する。

 24種類の紙幣とは実にすごい。ピン札をすべて集めていたら、24枚セットにプレミアがつき世界の貨幣コレクターに高値で売れるのではないか?特にZ$250,000、Z$500,000、Z$750,00は市場にあまり流通していないので、希少価値が高いように思う。

↓ジンバブエ中央銀行が今回発表した、声明文のうち現金不足の原因を書いている
Reserve Bank of Zimbabwe statement on the cash situation and stabilisation measures

2.3 Other causes of the cash shortages are:
(a) Widespread informalisation of the economy.
(b) Hyperinflationary pressures
(c) Periodic rise in demands-school fees/elections.
(d) Parallel market activities for forex, fuel, basic commodities and corruption/smuggling of minerals, fertilizers, etc.
(e) Sub-economic national policies in the area of subsidies especially with regard to forex, fuel, grain and fertilizer purchases that are creating room for price-arbitrages which benefit only a few with access to such commodities.
(f) Long judicial back-logs, weak prosecution and lenient sentences to offenders.
(g) Sanctions and their impact on money printing facilities.
(h) Low denominations relative to demand for cash and inflationary pressures.
(i) Size of our budget.




 ■ 最近、ジンバブエ人の友達から国外移住の相談を受けた (2008/01/07)

 彼は都市・地方開発庁の役人だ。勤続15年になる。家族は妻と3人の子供の5人家族だ。機械科に属し、ジンバブエの公共建設物の建設計画に携わっている。彼はJICAの研修員制度で日本にも何ヶ月か滞在した経験があり、日本や日本人のことについて詳しい。そんな縁で、私は彼に知り合ってから、かなり親しい付合いが続いている。彼は考え方が論理的でジンバブエの良いところや悪いところを話してくれたり、僕の活動についてもアドバイスをいくつかしてくれたりもした。彼はジンバブエが好きだ。きっと、良い時代のジンバブエを経験し、省庁の役人として、ジンバブエに貢献してきた自負があるように見えた。

 今、彼はボツワナ政府からボツワナの政府機関で働かないか?とオファーを受けているというのだ。また、イギリスの民間会社からも転職の打診をされているそうだ。

 彼はジンバブエでの給料の5倍以上は手に入る、ボツワナでの就職を現実的なこととして考え、悩んでいた。それで彼は3人の子供と妻を置いて、とりあえずボツワナで働いてみようと言っていた。しかし、ジンバブエで働いてきた15年間の思い入れがかなり引っかかるとも言っていた。彼はジンバブエ大学を卒業しているのだが、同期の友達などはほぼすべて、海外に転職してしまったという。残されたのは、自分だけだよと言っていた。ジンバブエのブレインドレイン(頭脳流出)の深刻さをとても感じた。

 もちろんボツワナでの生活に慣れたら、妻と子供をボツワナに引越しさせるのかと聞いたのだが、教育レベルではジンバブエの高校・大学の方が依然として高いのでそこでも葛藤があるそうだ。

 ジンバブエは以前、非常に高い教育レベルであった。南アフリカよりも、ボツワナよりも、モザンビーク、ナミビアなんて目じゃないほどだ。現在、高い教育を受けたジンバブエ人のほとんどが、これらの国で働いている。しかし、運が悪いと大学を卒業しているのに、カフェのウエイター程度の仕事しかできない人もかなりいるそうだ。しかし、それでもジンバブエよりは給料が高いというから仕方がない。

 英語と技術力があれば、世界中どこでもやっていけるんだなーと僕は少し思った。日本もあと数年したら、海外に出稼ぎに、なんてことが頻発するのかも。

 ジンバブエは現在、全人口の1/4以上が国外に出てしまっているそうだ。その中には、高学歴で技術を持った人(医者や技術者など)も多く含まれている。また、英語は公用語なので、高学歴になる人ほど高い英語レベルを持っている。一説によると、このような状況下のジンバブエに大暴動が起こらないのは、知識層といわれるこれらの人達が国内にいないからだという。なるほど、うなずける。ジンバブエにいると、政治って市民のためにデンデンというまえに、いかに市民を操ることができるかが政治の本筋のような気がする。

 そのジンバブエ人の友達が私に言ったことでとても印象的な言葉がある。日本で学んだことだそうなのだが、それは「我慢」ということだ。日本で日本人の我慢強さに感動したのだそうだ。そう、彼は友達が続々と海外移住する中で、じっと我慢しているのだと、私に話してくれた。でも、今はそれももう限界なのかと思い、私はジンバブエの政治・経済に対して悲しい。




 ■ 2007年のダイジェスト
 ■ 現行の通貨に3種類の高額紙幣が追加発給された (2007/12/20)

・ジンバブエ中央銀行は19日(水)、現在の通貨に加えて新たに3種類の紙幣(Bearer Cheque:無記名小切手)を20日(木)から発給すると発表した。

ジャカランダ写真 2007.12.20 ヘラルド新聞一面

 中央銀行のゴノ総裁は19日のテレビ会見で、現行の200,000ジンバブエドルは12月31日までの使用に限ると発表した。それ以後、Z$200,000は使用不可となる。新たに登場した紙幣はZ$250,000、Z$500,000、Z$750,000の3種類だ。

 最近のインフレーションによって、最高額紙幣だった200,000ジンバブエドルの価値が15円程度まで下落し、市場全体、特に銀行内の現金不足を引起こしていた。銀行には連日長蛇の列ができ、銀行の前で一夜を明かす市民がいる程、現金の入手が困難であった。また、200,000ジンドル札をブラックマーケットのディーラーが大量に抱え込んでいたことも、市場全体の現金流通が滞っていた原因でもある。今回、200,000ジンドルを年内に使用できなくすることによって、これらのディーラーが抱え込んでいるお金を市場に流通させる狙いがある。200,000ジンドルが使えなくなる代わりに、ほぼ同額の250,000ジンドルが新たに代わりとして流通される。

 また、銀行の個人預金者は預金額の上限が50,000,000ジンドルと決められた。その額を超えた預金額があると、超過分を政府が没収するのだ。すべての銀行の個人口座が政府の監視下に入った。

 インフレが加速する要因は様々あるが、ブラックマーケットでの外貨両替やダイヤモンド、金などの取引が大きな要因となっていることを、中央銀行は言及している。




 ■ 価格統制後、初めてスーパーに食品が戻ってきた (2007/12/12)

 食品がスーパーに現れる!!

 これは大事件のような、いや、たいした事ではないような。慣れって怖い。

 価格統制後、食品が市場に流通し初めた。価格統制の効力は効果を失いつつある。こういった曖昧なところが、ジンバブエっぽい。しかし、輸入品が以前よりだいぶ増え、物価が上がった気がする。価格統制のおかげで、国内食品産業がかなりの打撃を受けたようだ。
 
 あるもの:米、パスタ、卵、肉、なんとパンまで、洗剤、ビール、もちろん野菜

 まだないもの:クッキングオイル、マゾエ、コーラ、石けんなどなど

 とにかく、食品がスーパーに戻ってきて、精神的な安堵感はかなりある。




 ■ 新通貨登場(デノミネーション)の噂にやられた (2007/12/03)

 最近はインフレのせいで高額紙幣(200,000ジンドル札)の価値(現在15円くらい)がどんどん下がった結果、お金の支払い時、かなりの枚数を払わなければならない。つねに、札束を持ち歩かなければならない状態になってしまったのだ。去年、2006年8月1日もこのような状況の解決策として新紙幣が発行され、通貨の0(ゼロ)が3つ削除になるデノミネーションが行われていたのだった。

 今年もそろそろデノミネーションをするかもしれないという噂が流れていた。10月、ジンバブエ中央銀行総裁のゴノ氏が新通貨発行実施を示唆した。11月、彼はまもなく新通貨を発行すると発表した。0(ゼロ)を何個削除するかは発表していないが、今回は0を4つ削除するのがおおかたの予測である。問題はいつから新通貨が登場するかである。また、旧通貨から新通貨への移行期間も24時間以内という発表があった。めちゃくちゃ短い。

 11月のゴノ総裁発表で、「まもなく新通貨発行」の「まもなく」の言葉に人々の関心が集中した。最高額紙幣の価値がすでに15円を切っていたので、いつ新通貨が登場(デノミネーション)してもおかしくないと思た。発行日はいつだ?月初めの12月1日か?それとも月曜日の3日か?噂が飛び交った。

 結局、噂はデマだった!!!○ICA事務所も新通貨発行間近かもと、11月末、協力隊員全員に定期交信で流していたほどだ。確かに情報は早くキャッチした方が結いに決まっている。しかし、この国でその情報が正しいかどうかを吟味する作業は難しい。あるセンスの鋭いジンバブエ人は、今回の件を予測していた。あのアナウンスはゴノ総裁のフェイクだよって。

 ここジンバブエで今回の件に限らず、噂はどこからともなく流れてくる。しかもデマが多い。なぜか考えてみた。まず、基本的に情報が少ない。次に情報の伝達手段が人伝えになるケースが多い。ある事項に対しての情報が少ないと、人々は不安になる。なにかそれに関する情報が欲しいと願う。そんな時、ある人がその事項に対して個人的な見解をコメントしたとしよう。この何の根拠もないコメントが人から人へ、情報が欲しかった人はホッとしながらその噂を次の人に回すのである。時にはその噂に尾ひれを付けながら・・・

 噂(情報)を鵜呑みにすることは大変危険だと感じている。ジンバブエに慣れてくると、ここでの常識みたいなものに慣れてきて噂の真偽を判断できるようになってくる。しかし、今回の新通貨発行の噂には、やられた。ジンバブエにいる日本人のほとんどがやられたーって思っているはずである。私は週末にお金を無理やり使い切ってしまっていたのだった。とほほほ・・・




 ■ 学年末の国家試験が無事に終了 (2007/11/21)

 10月30日から始まった学年末の国家試験が11月21日に無事終了した。僕も試験監督を毎日やっいたのでホッとしたが、試験を受けていた学生達はもっとホッとしたことだろう。学生の中には停電・断水が頻発するハラレ郊外から通学している人もたくさんいて、彼らのことを思うとかわいそうになる。夜はろうそくの明かりで勉強していたに違いない。

 ジンバブエはガチガチの学歴社会なので、卒業単位となる今回のような国家試験が大変重要となってくる。だから、学生達も真剣そのものであった。ところが、試験が時間通りに始まったことはないし、問題用紙の部数不足などは毎日の出来事であった。

 箇条書きに今回の試験の様子を書こう。
  • 試験時間は基本3時間で製図など実技科目は4時間
  • 試験開始は9時からなのだが、9時から始まった日が一日もない。一番遅れた日で、11:30からだった。平均だと9:40分くらいから開始だった
  • 試験開始が遅れる理由:
    • 問題用紙は毎朝、試験管理所(学校とは別の機関)から輸送されるが、9時に間に合わない時がある。ドライバーの遅刻だそうだ
    • 問題用紙は試験開始直前まで、ビニールの袋に入っていて、空けられないようになっているのだが、いざ空けてみると部数が足りずコピーするのに時間が掛かる。最悪はプリンターのトナーが切れて、試験が翌日に持ち越しになったこともある
    • 解答用紙も枚数が足りず、調達するまでの時間が掛かる
    • 試験開始予定時刻の9時頃に学生と試験教室のアレンジをしている始末である
    • 誰一人として、9時ぴったりに試験を開始しようとしない
  • 問題用紙の質問内容も1教科につき必ず1問以上は訂正がある
  • 私は9時ぴったりからの開始を試みたが、9:05分からがやっとだった。あと、5分・・・
  • 時計を持っている人があまりいないので、黒板に開始時刻から30分刻みで時刻を書き、学生に30分おきに経過時間を教える。One hour to go(残り一時間)ってな感じで
  • 解答用紙は白紙のわらばん紙(日本の様に真っ白ではない茶色の紙)が数枚
  • ボールペンで答案を記入する。試験中、ボールペンのインクがなくなるハプニングもあった
  • カンニングについては試験前にかなり厳しく警告するし、学生もカンニングはしていない
  • 試験内容は用語の説明など、記述での回答がほとんどで、最終的にA4の答案用紙4,5枚になる
  • 試験の難易度は基本的な知識を問うものが多く、難しくはないが一夜漬けでは対応しきれない質と量である
  • 国家試験ということもあって、学生もかなり真剣だった。これに合格すると、NC,NDの資格が取得でき、将来の就職試験や就職してからの待遇に大きく影響する




 ■ ジンバブエNo1ミュージシャン、オリバー ムトゥクジのライブ (2007/11/10)

 ジンバブエで任期終了までにしておきたいことの一つとして、ムトゥクジの生ライブに行くことがあった。今回ついにそのチャンスが来て、ライブに行くことができ、念願が叶った。

 僕は彼の大ファイになった。ライブでは彼の「異質」な雰囲気を感じ、久しぶりに人に引き込まれた感覚を味わった。

オリバー ムトゥクジのライブ オリバー ムトゥクジのライブ




 ■ ジャカランダ満開!これですべてを忘れよう (2007/10/05)

 ここ2ヶ月まったくパンを食べていない。お店に売っていないのだ。ごく稀に数量限定で販売しているが、あの長蛇の列には並びたくない。人間、ないとないで諦めがつくようだが、僕はまだその域に達してない。ひたすらないものねだりだ。冷蔵庫のイチゴジャムとバターがかわいそうだ。

 ジンバブエ人に聞くと、現在の状態は独立以来一番厳しい状態だそうだ。とにかく、物がスーパーに売っていない!これは常識では考えられない(ブラックマーケットでは少し高いがほぼ何でも手に入るようだ)。早く、状況が好転して欲しいと願うばかりだ。

 ジンバブエに春が来た。というより、日中は春を通り越して夏の暑さだ。しかし、いくら気温が上がっても湿度が低いため大変過ごし易い。ここハラレは日本の東京よりも気候的な快適さが高い。しかも、春先にはジャカランダという木が紫色の花を咲かし、僕達日本人にはこの遠いアフリカの地でも日本の桜を思い出すことができる。

ジャカランダ写真 写真ギャラリー>ジャカランダ

 僕は満開のジャカランダを見ると、「ブラボー」「きれーい」「グレート」「ビューティフル」とかなり感動しているが、ジンバブエ人はあまりそうでないようである。前からうすうす気が付いていたが、ジンバブエ人は視覚の美的感性が日本人のそれから比べるとかなり少ない。その点、日本人は美しいものを見て心の満足感を得たりできる。その代わり、ジンバブエ人は身体に宿る「ビート」や「リズム」を高めることで満足感を得ることができるようである。いわゆるアフリカンダンスだ。僕達からの感覚だと、「単調」に思えてしまうこの動きもここでは一つの文化なのだ。ジンバブエ人の身体に宿るリズムを司る感性は、日本人にはかなわない。




 ■ 赴任1年目経過!マラソンでいうと折り返し地点だ (2007/10/03)

 今日で赴任からちょうど365日が過ぎた。一年は一年の時間の長さでしかないと思っているので、この一年は・・・・・・というような表現は今のところ出来ない。でも、マラソンでいうとちょうど折り返し地点の目印をターンしたという感じだ。これまでの一年は「帰国」の文字が全くなかったが、ターンした瞬間「帰国」の文字が無意識でも表れてくる!自分の中でカウントダウンが始まった。

 2年間の協力隊活動はマラソンに例えたらいいかもしれない。しかも、そのマラソンは折り返したら同じ道を通ってスタート地点にゴールする。2年間を終えた帰国隊員によると、最初の一年は長く感じるが2年目はあっという間に時が過ぎたという回想をしている。往路よりも復路のほうが短く感じるのは同じ道を通ったからだ。

 自分のなかで実はこういった不便な所(海外)に以前から住んでみたかったのではないか?と
思う気持ちがあったことに最近、気が付いた気がする。そうすると、志願時は意識しなかったが、これも協力隊の志望動機であった事になる。僕は短い期間、台湾に仕事のために住んでいたことがあるが、頭の柔軟性が今とはぜんぜん違う。それは今ここがアフリカ(場所的に)だからだと思うし、途上国だからだとも思うし、仕事ではなく名目上ボランティアとして来ているからでもあると思う、自分が成長したためか?など、とにかくいろいろな価値観に触れられたり、日本ではできない経験や体験ができたことは自分にとって大きな財産だ。

 2年間経って、帰国していった協力隊員が「参加してよかった」(二者択一の質問で)とほぼ全員言うそうだがそれも分かる気がする。しかし、「もう一度協力隊に参加したいか?」の質問には息が詰まるだろう。僕の答えは「もういいや」である。僕が思うに、この質問と質問の答えはすごく大切だと思う。ほとんどの人が、実際に(2回目の協力隊員も稀にいるが)一度だけの協力隊経験でいいと思っているらしい。それでは「なぜ」そう思うのかを考えることが重要だと思う。




 ■ 日本車いっぱいのジンバブエ!だけど軽自動車はなぜか見かけない (2007/09/30)

 ジンバブエに来て驚いたことの1つに、日本車の多さがある。全車両の7割以上は日本車であるといってよい。一番多いメーカーがトヨタで次が日産、マツダ、三菱自動車、ホンダ、イスズの順かな。マツダだけはジンバブエに組立て工場があり、安い事でも有名だ。ほとんどの車が日本車と書いたが、ほとんどが中古車でもある。中にはトヨタのランドクルーザーやプラドといった、日本でもかなり値が張る新車に乗っている人も首都ハラレではよく見かける。

 日常、市民にとって最も身近で親しみのある交通手段は「コンビ」である。コンビとはワゴン車のことで、なんとまたまた驚くことに、あのワゴン車に運転手とコンダクター(料金回収係り)、乗客が18人の計20人が乗っている。もしこれが日本であったら、確実に定員オーバーで運転手が減点・罰金をくらっている。聞くところによるとコンビ(ワゴン車)は、サスペンションを2段重ねして乗員の重量に耐えているそうだ。また、ほとんどのコンビが中古(ボロボロの)のトヨタ・ハイエースである。半分近くのコンビが押しがけでエンジンをかけている光景にももう見慣れた。それにしても、日本車はベリィーストロング(かなり頑丈)に作られていると、コンビに乗る度に非常に感心している。

 しかし、最近気付いたことがある。それはジンバブエには「軽自動車」が全く走っていないことだ。今までに軽自動車を見掛けたのはわずか数台しかない。日本では確か最近、軽自動車の全台数がその他の車両台数を追い抜いたそうだ。理由は明白だ。軽自動車は安い。最近の技術で安全性も高い。デザインも良い。燃費が良い(ガソリンが高騰している昨今はありがたい)。税金も安い。最近、お隣さんもケーを買ったからわたしも→相乗効果。などだ。

 ではなぜジンバブエで「ケー」を見かけないのか?人気がないのか?知合いに聞いてみた。みんな口を揃えて言うのが、「軽自動車は小さい」ということだそうだ。小さい?小さくてもいいではないか?と僕は思う!?しかし、どうやらこれが一番大きな理由のようだ。でも、どうも腑に落ちない。

 ジンバブエで人気の車は、ベンツのような高級車かピックアップトラックといって、荷台に荷物が詰めるようなRV車だ。軽自動車は燃費が良いことや車体価格が安い(安いはずなのだが)ということは、結論からいうとどうでも良いようだ。ジンバブエにおいて、車には自分のステイタスとしての含みがあり、車の大きさがステイタスに比例しているそうだ。また国柄、お金を徴収するヒッチハイク(小遣い稼ぎ)や荷物をたくさん積む用途が常であることも、荷台が付いたRV車を購入する目的になっている。

 しかし、やっぱり理解できないのは、ガソリンがこれだけ高騰し燃料の慢性的な不足状態にある国がなぜ、「燃費効率の良い車」を求めないのかだ。この国には「効率」とか「合理的」という言葉が存在するのだろうか?これらは、日本人の大好きな言葉だ。そういうのこともひょっとしたらジンバブエ文化の一つなのかもしれない。考え方の押付けはいけないなー。




 ■ 珍事件ニュース:キリンを住民が食べようと思い・・・・・・ (200/09/22)

 珍事件ニュース:キリンを住民が食べようと思い、捕獲を試みたが、警察に阻止された。
 
 経済危機による慢性的な食糧不足の真っ只中、ハラレ郊外のある農地で飼われていたキリンが逃げ出し、村の方に迷い込んだ。飢えた住民はキリンを捕獲して食べようとしたが、その前に、警察によって、キリンは捕獲・保護された。その後、野生動物協会にキリンを警察が引き渡した。

 このニュースは、ジンバブエ国内やBBCなどでも珍事件として報道されていた。しかし、

 このニュース本当かなー?????????いや、正直どっちでもいい。でも「キリンを住民が食べようと思い」の一文は目新しく目を引くのは間違いない。しつこいが、こんなニュースの信憑性なんかどうでもいい。しかし、このニュースから「何か違った側面があるかも」と疑って感じられたことは、大切なことだったと思う。この珍事件のニュースだと、キリンを食べようとするほど住民達は飢えている!というメッセージ性が個人的に臭った。

 前から感じていたが、ジンバブエ(途上国はどこでもそうかも)では噂や事実と異なる情報が飛び交うことが少なくない。むしろ多くある。これは、テレビのチャンネルがZTV1チャンネルしかないようにメディアが発達していない(インターネットはほとんどの人がアクセスできない)ためと、何者かが情報を歪曲しているためや、情報が人を介するうちに人の先入観や偏見などでその情報に「尾ひれ」が付いたりするためである。

 ジンバブエにいる日本人の協力隊員という小さな集団の中でも、時々「噂の暴走」がある。これはジンバブエゆえに自分に必要かもしれない情報量が極端に少ない、または入手できないためと、少ない情報ゆえにまた、日本人から聞いたという信用力ゆえにその情報を信じきってしまうためのようだ。もちろん、噂ゆえの「尾ひれ付き情報」などといった現象も起こる。誰からその情報を聞いて、発信源はどこなのか?最初から情報を疑っておかないと自分もその情報に踊らされてしまうので注意したい。ジンバブエでは日本と比べ物にならないくらい情報の判断力が必要であるようだ。

  ■ 余 談 ■

 ※ うわさの流布量=事柄の重要性×状況の曖昧さ÷批判的感受性 だそうだ。




 ■ 英語圏だけど英会話レッスンを受けている (2007/09/18)

 ジンバブエの公用語と共通語は「英語」だ。共通語とは?ジンバブエにはショナ人(75%)、ンデベレ人(20%)、その他(白人など少数)の人種がいて、彼らはそれぞれ自分の言語を持っていが、違う人種同士(ショナとンデベレなど)では(共通する)英語が会話に使われる。だから、ほとんどのジンバブエ人は少なくとも2言語、英語+ショナ語(ンデベレ)を話すことが出来る。ジンバブエでは生まれながらにして、このような(2言語がほぼ自然に身に付く)環境がある。

 でも、ショナ人とンデベレ人ではンデベレ人の方が英語が上手で発音もいい。これはンデベレ人の方が英語の使用頻度が高いためと、ンデベレ語の発音の種類が中国語のように多いためだと思う。これは中国人が話す英語の発音が綺麗に聞こえるのと同じだ。また、僕が普段接しているショナ人の英語の発音は、日本人が喋る英語の音にそっくりだ。まるで教科書をカタカナふりで棒読みしているように聞こえる。たかが「英語」といっても、その人の周りの言語環境・教育や背景にある文化などで最終的に口から出る「英語」は各人種各個人異なり、それぞれの特徴がある。

 僕の英語力は悪くないが良くもないと思っている。日常生活での支障はほとんどないが、やはり自分がほぼ一方的に喋らないといけない自分の講義になると自分の英語力不足を感じる。実際、ほとんどの学生達(当然、同僚講師達も)が僕よりも英語力が高い。

 ちょっと、愚痴になるが僕だって学生の頃(中学校〜)は、かなりの時間を学校の英語の授業に使っていた。先生はジャングリッシュを話す英語の先生方だ。しかし、残念なことに、また、僕の努力が足りなかったためか、英語力の成果は極めて低かった。まー今ではそうなったのも日本という言語環境やいろいろな背景と原因があったのだと理解している。気持ちは前向きに!せっかくの英語圏に来たんだし、物価も安いこの国なので、白人の先生から一対一の個人英会話レッスンを週一回やることを決めて現在やっている。白人(元イギリス人)の英語は聞き取りにくいが発音がきれいで、またそれが彼女の母国語ということもあって僕のモチベーションは高い。

 レッスンを受けていてやはり(また)感じたのが、自分のなかの「英語に対する自信やコンプレックスの度合い」で自分の口から出てくる英語がかなり異なってくることだ。みんなにも経験があると思うが、アジアの人に対して喋る英語とアメリカ人に対して喋る英語では、同じ英語なのに大きな違いを感じたことがあるのではないか?

 僕の英会話レッスンの一番の目的は、この「自分の英語に対する自信を付けるため」である。文法とか語彙も大切だが、この目的意識は今の僕にとって何よりも大切なことだと分析している。僕の英語の先生は、「あなたの英語力はかなり十分」と言ってくれていて、さらに、「いつもたくさん英語を喋るよう心がけて、英語に慣れなさい」と言われている。僕の中でこの「慣れ」とは=「自信」なのだと思う。日本人は儒教の影響で非常に「間違いを恐れる文化」を持っていると聞いたことがある。あー僕もそんな背景を背負っているのかーと思いつつ、上手にもう染み付いてしまったその自分の中の文化と付き合っていきたい。




 ■ 政府が公定レートの変更を発表!変更幅はなんと120倍 (2007/09/08)

 7日(金)政府が公定レート(為替レート)の変更を発表した。US1$=250→30,000ジンバブエドルへ、変更幅は120倍である。US1$=250ジンバブエドルは2006年8月1日に変更になっているので、わずか13ヶ月の間に公定レートが120倍になったということだ。

 この現象を日本で考えたらえらい大変なことになる。今の1ドル115円が120倍になるのだから、1ドル13,800円である。物凄い円安!!本当のお金持ちしか、海外旅行できないことになる。と考えがちだが、為替レートが下がった原因はインフレで通貨自体の価値が減少したことによるので、本当のお金持ちしかの言い方は間違いである。

 実際のジンバブエではインフレによる物価上昇に伴い、高額紙幣(200,000ジンバブエドル)が先月の8月1日に発行された。しかし、約一年前の2006年8月1日以前の2,3ヶ月間は、高額紙幣がインフレに追い着かず、スーパーに買い物に行く際、紙幣をリュックサックいっぱいに詰めて行ったそうだ。2006年8月1日はデノミネーション(通貨の0を3つ削除)を行い、お金が軽くなった。

 最近で一番インフレが激しかったのは6月中旬で、毎日通貨価値が減少した。ひどい時には、午前と午後で通貨価値が変わっていた。週単位のインフレはとっくに通り越し、日にち単位のインフレでもなく、時間単位のインフレであった。インフレは比例的な直線ではなく指数関数的な曲線を描き上昇するようだ。インフレを引起こす原因は様々あるが、その中でも人間の心理がインフレを加速させていた大きな要素(インフレがバブリーになった時)であるということを、僕は体感できたように思う。貴重な経験をした。

 あー僕もスーパーの「品物が値上りする前に」たくさん買い溜めしておかないとな!!




 ■ 観光資源にとても恵まれているジンバブエ!! (2007/08/08)

 暗い話題ばかりで、この国のことを閲覧者が失望視しては困る。宣伝を兼ねてジンバブエの観光資源の豊富さを表現したい。

ビクトリアフォールズ:
世界三大瀑布で世界有数のリゾート地。整った関連観光ツアーやホテル設備など一流。

グレートジンバブエ遺跡:
世界遺産でアフリカ南部を代表する古代王国遺跡。アフリカでピラミッドに次ぐ石造建築物。

マトポ国立公園:
絶滅危惧種の白サイサファリ。10万年前のブッシュマン壁画。摩訶不思議な幻想的風景。

チレンバ・バランスィングロックス:
自然現象とは絶対考えられない、石の偶然・巨大なオブジェ。

チノイ洞窟:
神秘の洞窟。アクアマリンの地下水の泉は自然が作り出した神秘カラーだ。

ジンバブエ人:
アフリカで1,2を競う人柄の良さ。ある人が言うには、温暖な気候が背景にあるとか。

ジンバブエの観光写真 観光写真はこちらから!

 みなさん是非一度、ジンバブエにお越しを!!観光第一ですが、ジンバブエのインフレ抑止のためにも、より多くの外貨を落とすこともお忘れなく ^^;




 ■ ジンバブエ経済崩壊 「価格半減令」インフレ率10万%予測 (2007/08/05)

日本のニュースの国際面より:
 経済危機に陥っているアフリカ南部ジンバブエのインフレ率が今年末までに、年10万%(物価が1万倍になること)を超す水準に達する可能性が出てきた。国際通貨基金(IMF)担当者が31日、ロイター通信に語った。近現代の経済史では戦時中のドイツや戦後の日本で激しいハイパーインフレが発生したことが知られる。ジンバブエのインフレは現在の世界経済で最悪の数値とみられる。
 1980年の独立後から独裁政治(27年間)を続けるムガベ体制が大きく揺らいでいる。ジンバブエでは最近、モノ不足で物価が1週間で4倍になるペースで上昇。中央銀行は1日から現在の最高額紙幣である10万ジンバブエドル札(実質約60円)に加え20万ジンバブエドル札を発行する。未曽有のインフレを抑え込もうとムガベ大統領が「価格半減令」を導入したことから大混乱に陥り、1日から新たに最高額紙幣も発行したが、「焼け石に水」の状態だ。




 ■ HPのアクセスが急増して、サーバーの回線がパンクした (2007/08/01)

 本日のお昼頃、僕のホームページの「ジンバブエのインフレーション」ページがYahooニュースのリンクトップに載った。ニュースの題名は「ジンバブエ、インフレ10万%予測」だ。これにより、夕方くらいから、サーバーが外部からの過度アクセスの為、回線障害を起こし、一時ウェブが開かない状態になってしまった。

 サーバーの管理者から連絡のメールがまもなく届いた。驚いたことに、この「ジンバブエのインフレーション」のページに、121,617ものアクセスがあったとのことだ。メガいや、ギガ?テラ?サイトのヤフー!さすが、日本一のポータルサイト(インターネットを開いた時に、一番最初に訪れるサイトのこと)だけはあると感心しつつ、こういったことろにサイトリンク(僕のHP)が載ると、すごいアクセス数になることを知った。テレビや新聞からインターネットというように、情報の取得手段の変化とひとたび、巨大メディアに情報が載った時の閲覧者の多さを今回実感して、驚いている。

 インターネットは手軽に誰でも情報を流せたり、ネット上にある情報は内容に関わらず瞬時にたやすく入手できてしまう。特に、受け手の人は情報に溺れたり、情報依存症みたいになる弊害があるので気を付ける必要があると思う。




 ■ 本日でお金(ベアラーチェック)の使用期限が切れた (2007/07/31)

 本日(2007年7月31日)で紙幣?正確には、無記名小切手(Beare Cheque)の使用期限が切れる(写真はこの日のダイアリーにある)。しかし、同額の新紙幣の発行は行われていない。明日、8月1日には新たな高額紙幣二十万ジンバブエドルが発行される予定だ。
 そもそも、無記名小切手とは何だろう?紙幣の使用期限が過ぎても使われる?これもインフレ対策なのだろうか?ジンバブエには、以前コインの貨幣があったが、現在は紙幣だけでコインはない。理由は、紙幣の方が安く発行(刷れる)出来るからのようだ。

 現在、紙幣がインフレのおかげで、ますます高額なものが必要となっている。財布は紙幣でふくらむばかりか、財布に入りきらない現象が起きている。今日現在での最高紙幣は十万ジンバブエドルだ。日本円の価値に直すと、約60円だ。さらに現在、一,五,十,二十,五十,百ジンバブエドル紙幣が存在しているのだが(以前はこれらで買い物が出来たのだが)、これらは、小額過ぎるためスーパーなどお金の支払い時には、もう受取ってもらえない。

 去年の今頃(2006年8月1日以前)は、インフレで貨幣の価値が極めて低かったらしい。スーパーに買い物に行く時は、リュックサック一杯に紙幣を詰込んでいかないと買い物が出来なかったと聞く。去年の8月1日には、デノミネーション(通貨の0を3つ削除)を政府が行い、新通貨を発行した。その後はしばらく、お金が財布に入る普通の状態に戻ったそうだ。




 ■ 国の問題は「国の挑戦」これって、言葉の綾? (2007/07/19)

 ある講師とジンバブエのHIV/AIDSの話になった。僕は、これはジンバブエの重大な問題の一つだねと言ったら、彼はエイズ問題は「国の挑戦」なんだと言っていた。ちょっと僕がハッとした会話だった。そういえば、「国の挑戦」という言葉は、テレビを通して聞いていると、演説などで非常に多く登場する言葉だ。主語は、HIV/AIDSやエイズ孤児、インフレーション、食料不足、農業再生などである。演説とは、あのように前向きにするのがジンバブエ流なのであろうか?ある良くない事象について対策を練り、改善させようという時の説明を、「これは僕達の挑戦なんだ!これをして、あれをして、こーして解決させよう!」の一点張りだ。聞き手側は、なぜそうなったのか?原因や背景は何なのか?責任の所在はどこにあるのか?が本当に聞きたいが、話し手側は、「挑戦」の一点張りだ。
 
 これは、大変まずいことだ。みんながみんな責任転換しているぞ。ジンバブエに赴任して、僕が感じていることだが、ジンバブエには日本に似た「なあなあ」「あいまい」文化、さらに「臭い物には蓋をしろ」的な考え方がある気がする。




 ■ 政府が発表した価格統制でスーパーなど市場から品物が消えた (2007/07/05)

 7月4日月曜日、毎週月曜日はJICA事務所からの定期交信日である。今週の伝達事項のなかに「食料を万が一のために10日分買っておいて下さい。」というのがあった。

 その訳は政府が6月26日に発表した価格統制令のためだった。スーパーなど小売店は最初、警察の出方を伺っていたみたいだが、政府が決めた設定価格よりも高く販売している理由で100名以上の逮捕者が出たのがニュースにまもなく載って衝撃と混乱が生じた。小売や卸、製造側は正規価格だと赤字になってしまうため、販売を控えている。そのため、スーパーなどの市場から価格統制された主に主要日用品や主要食品が消えた。

 また、ニュースに驚くことが載っていた。販売側は在庫商品を倉庫に隠した罪でも逮捕されるそうだ。パンの製造元は逮捕を恐れ、泣く泣く少しパンを製造・販売(Z22,000$)したそうだ。多くの小さな小売店は商売ができず、また在庫を隠している罪で逮捕されることを恐れ一時閉店している。

 正規価格(政府が決定した値段)で商品を売ると、赤字だから売る側は在庫があるのに売らない。しかし、そのうちそれらの商品が不正価格で秘密裏に「こっそり」売り出される。これがブラックマーケット(闇市場)の始まりだ。

 7月4日に僕はスーパーに行った。いつもと雰囲気が違うことにすぐ気が付いた。まず客の数がいつもより多かった。レジには長蛇の列が出来ていた。トロリー(買い物車)には山ほどの食料が入っていた。品物がなくなることを予知したまとめ買いだ。その時すでに品切れになっていたのが、パン、ミリミル(トウモロコシの粉)、砂糖、食用油、マゾエ、肉全種類でした。米も自分の目の前で飛ぶように買い物かごの中に入っていった。僕は肉が買えずショックだった。次はいつ肉が買えるのだろうか。




 ■ 農業隊員の任地訪問でジンバブエの農業の大切さを知った (2007/06/27)

 最近立て続けに、帰国間近の農業隊員の任地を訪問した。そのうちの一人「剛さん」は周辺小学校の校長先生13人を呼んで近くの小学校で大々的に「包括的学校菜園改善プロジェクト」のワークショップ(勉強会)を企画・実施していた。彼の活動成果の輪がまさに大きく外側に広がるところを目の当たりにした。受益者の得るものが大いにあった、ワークショップだったので非常に感動した。

 ジンバブエは以前「アフリカの穀倉庫」と呼ばれていたほど、農業生産高が高かった。肥沃で平らな土地が広大にあり、白人達が大規模農園を営んでいたからだ。しかし、2000年のジンバブエ政府による「白人農家が所有する土地の接収・黒人農家への分配」が開始されてから、農業生産高が激減している。ジンバブエでは2/3以上が農業に従事しており、農業生産高の減少は同国の生活水準の低下に直結している。また、白人が有していた農業技術や経営手法が彼らと共に国外へ去ってしまい、土地を分配された黒人農家は灌漑など、干ばつに対応する術や効率的経営に苦戦している。

 農業隊員は以前の白人農家のように黒人を大量に雇い、大資本から大規模農園を経営して農業生産に貢献しようとするものではない。あくまで小さなコミュニティーを相手にコツコツと作物の栽培の仕方や資本がなくても効率的に作物を育てられる有機農法紹介、きのこ栽培法などの新規作物の開発などをやり、作業や授業を通して2年間という限られた期間の中で住民や学生に技術を伝えている。

 農業は一次産業なので農業生産の向上が生活水準の向上に直結するため、効果がすばやく目に見えやすい。経済状態が減衰しているジンバブエで、協力隊員の活動効果が大いにあるのが「農業隊員」だと思った。付加えて書くが、ジンバブエの協力隊活動の大柱で「所得向上に結びつく産業振興のための条件整備」というものがあるが、経済が急激に衰退しているときに産業振興をうたうのはいかがと個人的に思ったりもする。UN(国連)のレポートによると、ジンバブエの総人口約120万人の内、1/3の人が来年始めに深刻な食糧不足に直面するだろうとある。このように、産業振興も大切かもしれないが農業振興にもっと力を入れて人々の食糧不足の一助となるような援助をするのが先決なのではと最近思う。




 ■ 「Small House(スモール ハウス)」と「HIV」と「ジンバブエ」 (2007/06/20)

 最近「スモールハウス」という言葉を頻繁に耳にする。テレビやラジオ、巷でもよく聞く。「スモールハウス」とは、直訳すると「小さな家」だがここジンバブエでは「愛人」のことを指す。「愛人」というものは世界中のどこに行っても存在する。では、なぜこれ程までジンバブエで「スモールハウス」が注目されているか?それはスモールハウスがHIV感染拡大の温床とされているからだ。性的交渉がそこにはある。コンドームで防げるのでは?真剣に愛を表現するにはコンドームは邪魔物らしい。アフリカ諸国、ジンバブエもそうだが文化的・伝統的慣習から男性が複数のパートナーを持つ傾向があり、「スモームハウス」という皮肉な言葉が人気をはくし、市民権を得ている。「スモールハウス」と同意味で日本では「二号さん」(愛人とも言う)と言うらしいが、昨今聞いたこともないし、わざわざジンバブエのように取上げる必要もないだろう。




 ■ 赴任後9ヶ月経ち、冷静にジンバブエの状況を見つめ直してみる (2007/06/12)

 たぶん、日本にいる方は理解できない状況かもしれない。ジンバブエ国民の9割が貯金もまったく無く、その月のなけなしの給料又は親戚からの援助で「ギリギリ」の生活を強いられている。いや「ギリギリ」以下の人もたくさん存在しているのが実情だ。ジンバブエ人も人間だから、学校で将来のための学歴や知識の蓄積よりも、生きていくための食材確保の方が大切なのは明白だ。協力隊員がこの国で活動するに当たって、非常に難しい国だと確実に言える。先輩隊員が言っていたが、「ジンバブエは発展途上国ではなく衰退国」だと。まさにその通りである。

 協力隊員の配属先である各地の組織の運営が資金不足のために危ぶまれてる。僕の勤め先である、ハラレポリテクニックでは生徒の時間割の延授業数の約5割しか授業が行われていない。こういった状況に目くじらを立てずにいられないのは僕だけなのか?いや、現状を従順に受止め、現在の状況で自分の力を十分に発揮できる道を探っていくのが本来の協力隊員の「筋」でしょうか。

 自分の気持ちを分析すると、このありえない程の経済状態の没落を自分自身が経験したことがないため、理解できていないようだ。僕は結構従順な方なのだが、今までの常識的な考え方または範疇をこの状況は、明らかに脱している。認めたくないが、認める。

 最近、以前のなんとなくが確信に変わる事象がいくつかある。アフリカ発展の妨げの要素などだ。僕もそれ程ないが、「国を思う気持ち」がここの人々はすごく欠如している。これは確信した。妨げの要素その1はコラプションだ。コラプションとは、汚職行為、腐敗(違法)行為を言う。

最近の国の問題:
頻発する停電、頻発する断水、ハイパーインフレ(物価上昇)、HIV/AIDS、食料不足、来年始めの選挙




 ■ 講師不足の緊急事態 (2007/05/29)

 月末の給料日が終わり、2人の講師が職場を去った。今月は合計4人が学校を去ったことになる。追い討ちをかけて、女性講師が来月から産休で半年くらい休むそうだ。

 現在、学生の全授業のうち通常的に講義が行われているのは、半分以下という状況だ。講師が来ない又はいない授業の学生達は「外で日向ぼっこ」したり「友達と喋ったり」している。講師ものんき過ぎるが、学生も学生だ。お金を払って勉強しているのだから、半分返せと学校に抗議する権利は十分にある。しかし、ジンバブエ人は日本人に似ていて、角が立つことをやりたがらない。

 講師が辞めていく一番の原因は給料の低さだ。今月末の給料日には過去最低給料を更新したそうだ。約35才、中堅講師の今月の給料はUS15ドル程度だった。しかも交通費や手当て込みでだ。日本の居酒屋でちょっと飲んだらUS15ドル以上いく。かなり、やばい金額だ。

 今日は講師の話題が給料の不満のことだった。皆暗い顔をしている。信じられないかもしれないが、講師の間には明らかに「やってられるかー!」という投げやりの空気が漂っている。事態は壊滅的状況だ。断っておくが、僕は誇張して言っているわけではない。被害者は学生だけではない。講師もだ。冗談(半分本気で)で近い将来、ここ(土木学部)には学部長と日本人ボランティア講師だけが残されるだろうと学部長が言っていた。




 ■ 学生寮に住む学生からのショックな一言。真剣に落胆した (2007/05/22)

 新学期が始まって、学生達と結構会話している。自分の知らないことを知って感心したり、彼等の感性に触れ、驚いたり、少し落ち込んだりもしている。

 ある女子との会話(学生寮の前で):
お腹すいたよー。えっ!?だってお金ないんだもん。学食があるから大丈夫でショ?学食の食事は犬用だよ。人間用としてではないよ。・・・・・・

 かなりショックを受けた会話?!だった。どこのカレッジもそうだと思うが、ポリテクの学食は財政が厳しいため、毎日サザとムリオ(葉野菜)かキャベツだけだ。肉は週に2回出ることになっているが、出ない時の方が多いそうだ。食事のバリエーションは本当に「ない」に等しい。

 僕は首都に住んでいるので、最低限以下の生活(行い)をしている人達をあまり目にしない。街中のストリートキッズは路上で停止した車から、お金をねだるが、あの行為は僕の中で最低限以下だ。正直、仕方ないといえば仕方ないが、車優先社会の路上でぷらぷらしているのは危険が高すぎる。今回の彼女の言葉「学食の食事は犬用だよ。人間用としてではないよ。」を聞いて最低限以下の生活(行い)だと学校の敷地内で初めて感じてしまった。しかも身近にいる学生にだ。




 ■ 仲の良かった講師がポリテクを去って行った。講師不足 (2007/05/11)

 5月7日月曜日から3ヶ月間の2学期が始まった。2学期開始早々、悪いニュースが入った。自分の所属する学科から2人の講師が辞めた。2人共仲が良かっただけに大ショックだ。その2人は他の講師より優秀でヤル気が有った講師であったので非常に残念だ。2人のうち1人はオフィスをシェアしていた。2人共ジンバブエ大学に講師として勤めることがすでに決まっていた。しかし、国外にいかなかったので、「良し」とした。移動の理由は待遇(給料)だそうだ。僕がポリテクに着任してから土木工学科はすでに5人以上が学科を去っている

 ジンバブエで土木・建築関係の学位を有した者は、南アフリカでの需要が非常に高い。2010年のサッカーワールドカップに向けた建築ラッシュのためだ。それにしても講師の入れ替わりが激しい。ハラレポリテクニックは首都に位置しているだけあって、学部長が高等教育省に申請すればしばらくしてから代わりの講師がやってくる。最近は相対的に講師のレベルが落ちているのは否めない。それでも講師の絶対数が足りない。慢性的な講師不足は政府の資金不足という理由で解決しないそうだ。表面的に見える講師の入れ替わりの激しさよりも問題は講師の質やもちろん量の問題の方が大きい。講師不足は学生に空きの講義を作ってしまう。学生の時間割にはTBA(To be announced)の文字が目立つ。意味は講師がいなくて授業が行われないということだ。質は確かに講師の資質によるところが大きいが、モチベーションの低い講師がとても目立つ。彼らは良い給料を求め、転職することで頭がいっぱいのようだ。コンピュータールームでインターネットをやっている講師達を多く見かける。インターネットは新しい知識を得たり、自分の知識の補強に大変役に立つ。コンピュータールームのインターネットも講師のレベル向上に期待されている。しかし、ネットをやっている講師達の画面を除いてみると、海外の大学や建設関係の会社のウェブサイトを見て、一生懸命どうやって申込もうか考えているのであった。彼らのオフィスを尋ねた時に机の上にある履歴書にいつもがっかりする。せめて授業だけは生徒のためを思い集中して欲しい。




 ■ 世界遺産グレートジンバブエ遺跡観光 (2007/05/06)

 さすが世界遺産だけのことはあった。グレートジンバブエ遺跡は11世紀に造られた。日本では鎌倉時代の辺だろうか。ジンバブエと日本のその当時の文明を比較するのはおかしいが、ジンバブエにも結構栄えた過去の世紀があったのだなーと遺跡を見て感心した。ちょっと嬉しくも思う。率直にセメントを使わず、あれだけ整った石を積み上げて構造体にするのは、かなりそれなりの技術があったと思う。ジンバブエ(ショナ語で「石の家」の意味)の国名はまさにこの遺跡から取ったものだ。

 個人的には過去の遺跡は大好きだ。遺跡に感心したり、当時を空想したり、儚さを感じられるからだ。グレジン遺跡も好みが分かれると思う。しかし、残念なことにジンバブエはイギリスから「アルファベット」が持ち運ばれるまで、文字を持たない文明だったので、当時の記録がほとんどないのはそのためである。憶測でしか遺跡の役割や王様の生活の様子などを推定出来ていない。一方、日本の鎌倉時代にはすでに日本語の原型は出来ていたであろう。日本は結構中国から文化を輸入して現在に至っていることを僕達は知らなかったりする。日本は島国だけれど、孤立無援で日本は成り立っているのではない。

 話がそれたが、グレートジンバブエ遺跡に行く価値は十分ある。しかし、しかし、交通手段がほとんど無く状況悪しである。経済状態の減衰も手伝って、グレジンにはほとんど観光客がいなかった。観光客を十分満足させられる、観光資源なだけにもったいない。国はもっと観光業振興に力を入れて欲しいものだ。その前に経済立て直しが先だとも思うが。2010年の南アフリカサッカーワールドカップで多くの観光客がジンバブエを含む南部アフリカを訪れるだろう。せめてその時は、がっぽり観光客を獲得してがっぽり稼いで欲しい。外貨の獲得でインフレ抑止も期待できる。日本人団体観光客をいつの日かグレジンで見られたら僕はハッピーだ。




 ■ ロバート・ムガベ大統領をZITFで目撃した感想 (2007/04/27)

 ブラワヨで行われたZITF(ジンバブエ国際貿易博覧会)は24日から28日までの5日間行われた。最初の2日間がビジネスデーで後の3日が一般公開日であった。27日はオープニングセレモニーが行われ、ジンバブエのほぼ全ての大臣など要人達が大集合していた。ちなみにこの日僕は、ペットボトルを使用した太陽光温水器を中央銀行のゴノ総裁、教育省大臣、科学大臣にブースの前で説明でき、かなり自信が付いた。いい思い出になった。

 この日はムガベ大統領もセレモニーに参加するということで、会場内はいつもと違った緊張感があった。僕達のブースの前を機関銃を持った兵士や護衛の人達が下見しに来たので、間近で見られるチャンスが来たと期待した。

 機関銃をもった兵士や警察などの警護の元、ムガベ大統領が僕達のブースの前を徒歩で通っていった。こっちに関心を持ってくれたらと思ったが、見向きもしなかった。彼は意外と小柄で金縁の特徴ある眼鏡をかけていたのですぐに分かった。背筋はピーンと伸び大股で闊歩していた。周囲の関係者や案内人も彼にぴったりくっついて、何か説明を一生懸命していた。間近で83歳の彼を見た感想は、「まだ元気そうだ」




 ■ ジンバブエでVCT(カウンセリング付き簡易HIV抗体検査)を受ける (2007/04/25)

 ブラワヨで行われたZITF(ジンバブエ国際貿易博覧会)にハラレポリテクの展示者として参加した。僕はペットボトルを使用した太陽光温水器を展示した。

 今回の展示ブースの中にVCT(カウンセリング付き簡易HIV抗体検査)があったので受けた。
 
   VCT(カウンセリング付き簡易HIV検査)体験




 ■ ジンバブエ赴任6ヶ月経過の感想 (2007/04/03)

 アフリカ、ジンバブエというアジア文化の日本とは全く異なった文化の中での生活にだいぶ慣れてきたというのが率直な感想だ。彼等の国民性もだいぶ理解しつつある。

 活動の中心である、学校にはだいぶ慣れたせいか時間の使い方が上手になった。全てが完璧にはいっていないが、人に振り回されなくなった。今までは人を信用?しすぎていた。ジンバブエ人は時間を守らない、約束を破る、嘘をつく・・・・・・そんなことはまさかないと思いたかったし、思い込んでいたが過去の経験からでいうとことごとく、これらの期待を裏切ってくれている。赴任4ヶ月頃くらいまで何度となくジンバブエ人に振り回され無駄な時間を浪費してしまったなぁーと思う。しかし、僕もこの間学習した。ジンバブエ人の「時間のルーズさ加減」「約束を破ることに対する意識があまりないこと」「嘘は自分の都合に合わせて付いている」などなど、ジンバブエ人の行動や意識の法則的な学習が出来た。もちろん、ジンバブエ人の中には時間を守り誠実な人もたくさんいる。ただ、人によって誠実さを見分ける必要がここジンバブエではかなり必要とされると思う。

 彼らジンバブエ人も僕達を信頼できるか図っている気がする。彼等との接し方で気を付けている事は、約束を必ず守ることだ。彼等、基本的に適当なのでいろいろなお願いを僕にしてくる。半分以上は出来ないと思って彼等もお願いしていると思うが。そこで出来ないことは出来ないと言い、出来ることは約束して必ず守っている。僕はプリンター(カラーもできる)を持っているので、写真をカラーでプリントしたり、家の図面を描いてあげるとすごい喜ぶ。

 ジンバブエ人の良い所、悪い所が見えてきた
良い所 : フレンドリー、温和、争いを好まない、挨拶を重んじる、家族を大切にする、のんびりしている、性格が明るい、まじめ(アフリカ諸国のなかでも評判だ)
悪い所 : 責任感がほとんどない、中途半端で詰めがない、時間に対する管理意識が欠如、人が良すぎて長いものに巻かれる、都合が悪くなると平気で嘘を付く、日本人のような団体行動が苦手

 やはり最初の頃は、学校の現状に落胆してばかりだった。
 だって、あるコースの学生の講義数の内、きちんと講義が行われている割合は約半分であった。残りの半分は講師の都合や講師不足のために講義が行われていない現状があった。
 講義が始まる時間は30分〜1時間遅れが標準となっている。このことは講師も学生も了解していて、僕が時間ぴったりに教室に入っても誰もいなく、落胆した経験がある。
 学生は教科書を持っていない(経済的に買えない)ので授業の半分は板書の写しをして教科書作りである。生徒も大変だが、講師も大変である。講義では実践的な話は皆無に等しい。
 ジンバブエ式オフィスは個室が常識で日本の職員室みたいな集合場所がなく、講師の横の繋がりが非常に弱く連携がない。講義をサボる講師がいても誰も気が付かないことがある。
 校長は別として他のヘッド(学部長・学科長)は部下(講師)に対してあまい。トップが部下を管理できていないと思う。
 
 僕は学生達の味方なので、学費を払ってこの状況では?と何とかしてあげたいと思っていた。しかし、収束している状況をたかが僕一人の力で変えるのは難しいんだなー。

 でも最近になって、楽しいことが出来た。
 ヤル気のある講師や向上心があって積極的な学生に会えたことだ。彼らは僕の意見に同情して、何とかしようと考えてくれている。彼らにとても励まされている。やる気の元の希望を見つけるのには、赴任からある程度の時間が必要だった。

 話は変わり、ジンバブエに来て日本よりも感じるのが学校側が「ジェンダーバランス」(男女平等)を気にしていることだ。最近、学生を組織して建設現場見学に行く段取りをしていた。学生の定員は4人だった。その4人を建築コース(男14人、女3人)から選ぶ時、学部長は2:2の同率にするようにと言ってきた。ジェンダーバランスのためだ。最近になって、日本は女性の社会進出が勢いを増して進んできたが、このことに関してはジンバブエのほうが時代を先取りしていたようだと感じた。

 ジンバブエでは人間関係で疲れることがほとんどない。同じ人間なのに不思議だ。個人主義的なところがあるからだろうか?あと、ジンバブエ人は良くも悪くも人間味に溢れている。これは今の日本人は勝てない気がする。




 ■ 仰天ニュース、早朝にバスと電車が衝突した。バスの乗車員は、 (2007/03/06)

 ハラレのブラワヨロードで6日早朝5:15、電車と33人乗りのバスが踏切で衝突し、35人が死亡24人が負傷した。

 原因はバスの中で音楽を爆音で流していたため、運転手が電車の接近に気付ずかなかったことである。電車の乗員は無傷であった。バスの定員は33人だが、その時は約60人が乗車(定員が約2倍オーバー)していた。死亡者や負傷者のほとんどが早朝の市場に向かう物売りなどであった。よく33人乗りに60人も乗れたものだと感心する。しかし、ジンバブエではほぼ全てのバスやワゴンバスが定員オーバーで走っている。乗客は隣の人と密着は当たり前である。

 しかし日本の満員電車もジンバブエの定員オーバーバスに負けていない。密着どころか、隣から圧力を感じるもんな。日本の満員電車はジンバブエ人もびっくりではないか?今回は踏切などの外的環境も事故の原因の一つだが、ドライバーの先を急ぐ焦りが引起こした事故ともいえる。日本でも焦りから引き起こる事故は、後を絶えない。心・気持ちのゆとりが事故を未然に防ぐということを日頃よく考えておく必要がある。

 付加え、ジンバブエの踏切は、遮断機がない。日本のようにチンチンチンという音もしない。ただ、電車が踏み切りに近づくと、大きな汽笛を上げて電車の接近を周囲に知らせるのだ。




 ■ ムガベ大統領83歳の誕生日。1980年の独立以来27年間大統領 (2007/02/21)

 ムガベ大統領、お誕生日おめでとうございます。背筋がピン伸び、顔は黒光り、西欧諸国を面と向かって批判し、自分の正当性を闊達にスピーチする姿をいつもテレビ(ZTV)で拝見しています。1980年の独立以来27年間,、大統領の職務をやられまして大変お疲れ様です。

 大統領の誕生日祝賀会はグエルで盛大に行われた。アフリカで最高齢の国家のリーダーだ。中国(中国大使)は彼の誕生日プレゼントにFirst Auto Works(FAW)社製の豪華バスをプレゼントした。FAW社製のバスはZUPUCO(国営のバス会社)に以前から使われているが、これらも中国からの援助である。中国の援助は視覚を刺激するぜ。




 ■ 警察とMDCのデモがハイフィールドで衝突。1名が射殺される (2007/02/18)

 今月は情勢が荒れまくっている。そして大きな衝突が起こった。

 警察隊とデモを決行しようとしたMDC(Movement Democratic Change)がハイフィールドで衝突した。警察はデモ隊阻止のために催涙ガスや水ホース銃を使用した。負傷者が何人か出てMDCのメンバー120以上が逮捕された。デモに参加した1人が射殺された。デモの目的は最近の経済状態(80%以上の失業率と1600%のインフレなど)などに抗議したものである。高等裁判所はデモの事前申請を法的に認めていたのだが、警察はそれを無視してデモ阻止に踏切った。




 ■ ハラレポリテクに警察が入り厳戒態勢。学生数名が逮捕される (2007/02/13)

 最近ニュースを見ているとそこらじゅうでデモ行進が行われている。2月6日にはブラワヨで学生デモがあって逮捕者が出たばかりだ。でもまさか、自分の学校でこんなことになるとは。

 今日もいつもと変わらない日だったが、お昼過ぎ頃校内に緊張が走った。みんな外に出てざわざわしている。警察が校内に入っていることに気が付いた。校門の所に行ってみた。ゲートが閉められていて警察が誰も出入り出来ないように警戒している。

 翌日ニュースで詳細を知ることになる。どうやらZINASU(Zimbabwe National Students Union)の幹部学生やリーダーがハラレポリにやって来て学生デモを勧誘・組織しようとしたようだ。ハラレポリには学生がたくさんいて市内にも近いことからデモ組織者の的になった。学生少なくとも20人が逮捕されたがポリテクの学生は少なかったようだ。逮捕理由はデモ計画だそうだ。

 学生側の弁護士によると、今回はデモをする目的ではなく、国内の問題意識を多くの学生に知ってもらうためにポリテクで会合をしていただけだと言う。国内では、医師や看護士、教師によるストライキや学生などによるデモが広がりつつある。




 ■ 大統領の車列と初めてすれ違った。壮絶だった (2007/02/03)

 今日は物凄いものを見た。しかしほんの一瞬の出来事だった。大統領の車列と自分が路上ですれ違ったのだ。

 まず最初にパトカーと白バイのサイレン音の異様さに気付いた。サイレン音が重なるとかなり異様に感じるものだ。遠くの方を良く見てみた。その時は、砂ほこりで何がこちらに向かってくるか分からなかった。まもなく白バイが三角形でこちらにサイレンを鳴らしながら向かってきた。先頭の白バイはすごいスピードだ。80km/h以上出ている。しかもその速さで蛇行しながら、対向車線などに入り対向車を威嚇している。周辺の車に停止するよう促しているのだろう。次にパトカー4台くらいがやはりあたりを警戒しながら、物凄いサイレンと共に走り去って行った。その次にまた白バイが2台、幅を取って走って来た。それから、いよいよ本陣が来た。真っ黒のRV車(ランドクルーザータイプ)4台が前後左右、真中のロールスロイス(色は黒)を囲むように走って来た。この車の中に多分ムガベ大統領がいたと思う。もちろんすべての車両は、物凄いスピードだ。その後、またパトカーが4台くらいと、黒塗りの多分要人が乗っているであろう車(ベンツ)が2台。そのパトカーの間にはトラックが走っていて、荷台には軍服を着てライフルを携え武装した軍人が14人くらいあたりに睨みを利かせて乗っていた。うー怖わー!まだあと、関係車両と思われる車が4台くらい通り過ぎた。最後尾はなぜか救急車が走り去った。

 自分がカメラを構えたり、不審な動きをしたら銃で打たれてしまうと思うくらい、その瞬間は緊張感があったと思う。物凄すぎるガードの厚さであった。ただの車列の通過に過ぎないのだが、人生初の見応えだった。最後尾の救急車は「ライフルで打たれた人の救助用」なのか?いまだ不明である。意味深だ。

 大統領の車列が通り過ぎるまで周囲の車は停車していた。というかあの状況で車を走らせることは不可能だ。みんな路肩に車を止めて、車団が通り過ぎるのを待つのみだった。

 大統領ハウスの周りは、写真撮影禁止の看板がある。ロンリープラネット(旅行ガイドブック)には、写真を撮ろうとした欧米人がすでに2人銃で射殺されていると書いてあった。

 今日は日本で体験できないことが出来てちょっと満足だが、最後尾の救急車がなんだったのか?気になって眠れない今日この頃。




 ■ ジャンケンを学生に教えようとしたが途中断念。その理由は・・・・・・ (2007/01/25)

 少しは僕も講義に慣れてきた。息抜きに日本文化紹介で「ジャンケン」を学生達に教えようと試みた。ジャンケンは学生の誰も知らなかった。

 最終的には教えることを断念した。

 まー普通講師が生徒相手にジャンケンを教える時は手を上にかざして教えるのが普通だよな。自分もそうやって、握りこぶし(グー)を頭上に上げてこれがストーン(石)だと説明しようとした。しかしその時、学生からざわめきが起こった。手の平を広げ(パー)正面に向け頭上に上げてこれがペーパー(紙)だと説明しようとしたが、またもやざわめきと溜め息のような歓声が起こった。

 一体なぜ?ただのジャンケンの説明のはずが。なぜならジンバブエでは、このポーズに大きな意味があったのだった。

 握りこぶし(グー)を頭上にかかげるポーズは、ジンバブエの支配政党(与党)である「ZANU-PF団結!」の象徴なのだった。ZANU-PFは、日本語でアフリカ民族同盟愛国戦線と言って、現ムガベ大統領の母体政党だ。また、手の平を正面に向け(パー)頭上にかかげるポーズは、またまた政治的な意味で、「MDC(Movement democracy Change)団結」の象徴だったのだ。MDCとは第一野党で、日本語で民主革命運動(野党)と言いう。

 ただジャンケンの説明をしただけなのに、とんだ修羅場?!になってしまった。生徒からは、「公衆の面前でグーとパーは絶対やらない方がいいよ!」と言われた。別に普通のジャンケンをするときは手を上にはかざさないよ!と言ったが聞き入れてくれず・・・・・・・生徒達は、政治の話(ただのジャンケンの説明のはずが・・・)に相当敏感なようだった。さすがジンバブエだ。

 皆さんもジャンケンの説明をする時には、十分注意して下さいな。

 「ジャンケン」って日本で結構見ることがある。大人になってもジャンケンすることがある。何かを決定するときだ。でもジンバブエには「ジャンケン」的な何かを決定する方法がなかった。学生に聞いてみた。「決定ごとはどんな手段でやるの?」話し合いか投票だそうだ。




 ■ 学生達の個性的な自己紹介はウケた。彼等の日本について (2007/01/22)

 僕も彼ら学生も同じ新人だった。お互い学校のことを良く知らないし、学生同士でさえ会ったばかりなのでお互いのことを良く知らなかった。そこで、授業の最初に形式ばって自己紹介をすることにした。学生にはプレゼンの練習にもなるし良いと思った。

 ウケた学生は、歌いだす学生が3人。ジーザス(キリスト教の教祖イエス・キリストのこと)崇拝を熱く語る学生1人。7ヶ月の赤ちゃんがいるお母さん1人。やたら盛り上がったのは、唯一の独身女性でマドンナ的存在の女性1人。やたら落ち着きがなくウロウロしながら話す学生1人。面白かったのは、大多数の男性生徒にごく少数の女性生徒がいる工学系学科特有(国語は出来ないが数学・物理は得意で論理的思考が好きな人達の集まり)の雰囲気がクラスにあったことだ。この点は日本と同じだ。自己紹介が終わった後、学生同士で多かった質問が「過去にどんな仕事をしたか?」と「今現在どこかの会社に雇われているか?」、「好きな車・将来乗りたい車は何か?」だった。ポリテクの学生は仕事をやっていた人や現在も働きながら勉強している人が結構いる。

 暗い話題(インフレ・経済悪化・エイズ蔓延)が多いジンバブエだが、将来の明るい展望を持っている学生がいてくれてホッとした。学生というのは明るい展望を持つのが当たり前だと思うが、今の疲弊している国の状況下では・・・・・・と思ってしまっていた自分がいたので、これから学生達と楽しい授業が出来そうな気がしてホッとした。

 日本について学生達の知識は、メディアが発達していないジンバブエでは非常に限られていた。一番は「空手」だ。その他、「テクノロジー」「コンピュータライズ」「広島原爆」などだった。コンピュータライズは合っている。なんでもデータ化する傾向が日本にはあるからな。日本人は機械に長けていて、壊れた携帯やラジオ、テレビなどの電子機器を誰でも直せると誤解していた学生がいて驚いた。

 僕は以前、ジンバブエ人は地理が苦手だと聞いていたので、黒板に世界地図を書いて日本の位置やイギリス、中国、インドなどの位置を聞いてみた。結果、彼等の世界地理の成績はえー20点だな。なんで日本が中国大陸の一部なの?旧宗主国のイギリスの位置さえ半分以上の学生が間違えた。だいたいの位置が指せたら大目に見たのだが、全く適当な場所を皆が皆指したのでショックだった。世界地理が苦手という面白い傾向だと思った。




 ■ 緊張した初授業 1 (2007/01/18)

  本当の予定は月曜のComputingが初授業の予定だったが、Structures(構造)担当講師がミーティングのため、急遽自分が講義することになった。講義といっても、やったことは自分の自己紹介と日本の簡単な紹介、Structuresのシラバスの内容を板書をしただけだった。

 生徒は15人でQuantity Surveying(積算コース)のNC(新入生)だった。生徒の態度は彼らにとっても初の授業ということで緊張していたようだ。むしろ、シーンと静まり返っていたので自分の声が良く耳に入ってきた。自分の英語力について、伝わってはいるが、いまいちだったと自分で思った。黒板の板書はスペル間違いがないかすごく心配だった。簡単な単語を間違えたらカッコ悪いしな。自分ではすごく緊張した。相手はたぶん自分より年下なんだけれど、何を考えている人達なのか分からない不気味さがあったのかもしれない。

 どこの国でもそうかもしれないが、クラスの中の数名は物事に対して非常に意欲的(積極的)なんだと、講師の立場になって気が付いた。

 まだ、1人の講師の授業しか授業参観していないが、ジンバブエ式教鞭は講師が生徒に対して一方的に喋ったり板書をするそうだ。しかし、生徒が受身だと、積極性や創造性、応用力が付難いと思うので、僕は生徒が参加した授業が出来たらいいと思う。




 ■ HIV母子感染防止プロジェクト。出産時、子供は33%の確率でHIV感染 (2007/01/05)

 真夏のクリスマスを初めて経験した。ある高級スーパーの前にはこの暑さにもかかわらず、厚着のサンタさんが登場し子供達をあやしていた・・・・・・別にジンバブエのクリスマスは夏なんだから、半袖のサンタさんがいてもいいのにと思ったりもしながら。

 今日は隊員総会でジンバブエ隊員が一同に会した。そこでHIV母子感染プロジェクトの専門家から興味深い話をいろいろ聞かせてもらった。

 HIVに感染している母親が子供を出産したときに、その赤ちゃんにHIVが感染する確率は33%だそうだ。しかし、先進国ではこの数字を1%に落とすことを可能にしたようだ。主に帝王切開と人工ミルク(母乳ではなく)、特別な薬の服用を与えることなどの方法で感染を防ぐそうだ。このプロジェクトでも数字を8%まで下げることに成功した。目標はもっと低い数字のようだが、33が8%とはすごい減少である。

 この他にプロジェクトを進めるにあたって、障害となった事を話して頂いた。印象深かったキーワードは以下である。
 ・ トップダウン権力伝達方式
 ・ インフレーション
 ・ 組織上位者の権力の誤用
 ・ 複雑な人間関係


 すごく勉強になった。




 ■ 2006年のダイジェスト
 ■ 日本の地震を心配してみる (2006/12/23)

 今日は珍しく断水でシャワーを浴びられなかった。トイレを流すことができず、手を洗えなかった。日本では今のところあまり考えられない状況だ。ハラレ郊外に行くと、停電・断水のダブルパンチをくらうことが頻繁にある。僕達日本人はこれらに慣れていないので、かなり不快に感じる。夜に停電した時は夕食を取らず、おとなしく寝てしまう隊員が多いそうだ。

 しかし、実際「人」は電気がなくても水道水(井戸水があると仮定して)がなくても生活できる。ジンバブエ人は電気がなくても薪で食事を作るし、水は前もって溜めて置いたり、井戸水を使ったりしている。その他にも停電・断水の対処法はまだあるようだが、実にたくましい。

 一転、日本で停電・断水が発生したらどうなるか?この状況は大地震が起きたときに起こるだろう。関東や東海地方は巨大地震がいつ起きてもおかしくない時期であることを皆知っているが、なかなか地震が起こらない。僕の任期中に大地震がきたら、家族が一番心配だ。

 停電と断水どちらが困るといわれたら、断水と僕は答える。水の確保はとても大切に思う。地震が起きたら、コンビニとかに人が押し寄せて強奪とか起きるのかなー?地震と文化って相関性があるのかなー?今の日本人は停電・断水なんて考えられないだろうなー。薪でお湯を沸すと、想像以上に早く沸騰するのを最近知った。




 ■ ジンバブエの先生とは?ジンバブエ的授業体験 (2006/12/15)

 カレッジの12月は学期休みのため授業がなく、学校隊員はまる1ヶ月やることがない。そんな時にJICA事務所が学校隊員を対象にプレゼンテーション技術向上のワークショップを開催してくれた。講師はジンバブエ人で教育学の専門家2人だった。日本の二本松訓練センターでも同じようなレッスンを受けたが、ジンバブエでジンバブエ人による講師養成講座なので、何か得るものがきっとあるに違いないと期待していた。

 彼らが僕達に教えてくれる方法を観察した。ジンバブエ的授業とは?僕の感じたままを書きたい。
 ・ 講師はとにかく喋り捲る(偉そうに!)
 ・ 生徒の理解度は気にしない
 ・ まるで、何かのテキストを棒読みしているようだった


 悪いことしか挙がらなかったが、日本の二本松訓練センターの講師陣が優秀すぎたので、ジンバブエ人講師がえらく劣って見えてしまったのだろう。NTCの英語講師陣は、授業は一方向ではなく常に双方向であることを意識しながら授業を行うようにといつもに言っていた。この事は講師である以上とても大切であると僕も認識している。講師(先生)は自分に酔って、自分よがりになる傾向があるので注意が必要だ。

 彼らが教えてくれようとしていたことは、非常にレベルの高いことだった。まさに教育学というか、僕も関心がないわれではないが・・・・・。以下、僕達がもらった授業計画書より
 ・ 授業計画の立て方効果的な授業のしかた、組立て方
 ・ 授業における講師の役割の理解
 ・ 様々な授業の進め方(グループワーク、ディスカッション、ブレインストーミングなどなど)
 ・ 効果的な授業のしかた、組立て方
 ・ 年少者の習熟度合いと習熟の仕組み
 ・ 教え方の特殊技術


 確か2日目の午後くらいに僕達の頭がパンクした。何が教育学だ!理論の羅列ではないか!ということで、僕達がその講師達に提案をした。僕達の今回の講座に対する期待を彼らに伝えた。
 ・ 教え方一般
 ・ 楽しい授業・生徒参加方の授業にするには
 ・ 生徒の気持ち(心)の掴み方(ジョークの言い方)
 ・ 生徒のやる気の引出し方
 ・ ジンバブエの授業の役割、教育の価値観について
 ・ 生徒に対する効果的質問のしかた
 ・ 受身の授業を解消するには


 確かに授業計画書に比べたら「なにこれ?」だ。でも僕達の背丈にはこれくらいが合っている。

 最後に僕達が感じている、「ジンバブエで授業をするにあたっての問題」を質問して、これらが起こる原因と彼らなりの解決方法を聞かせてもらった。
 ・ 生徒が授業に遅刻してきたら(時間の管理の悪さ)
 ・ 生徒が授業に来なかったら
 ・ 生徒の応用力がなかったら
 ・ 教科書のある生徒とない生徒がいる場合
 ・ 外国人の先生を嫌がったら


 問題の原因のなかにはやはり、文化的や国民性的要因があった。彼らは解決方法を知っていた。しかし、生徒達を改善させるのは難しいようであると僕は彼等の説明を通して感じた。人の考え方や習慣を変える事は難しい。




 ■ 初の英会話個人レッスン。しかも格安で (2006/12/05)

 英会話の個人レッスンを始めた。せっかくの英語圏ジンバブエ!生徒に英語力での勝ち目はないが、馬鹿にされないためにも英語力の向上は必須だ。料金は1時間で日本の地下鉄初乗り往復くらいだ。物価の違いの恩恵を存分に受けている。

 先生のアドバイス:
 ・会話の基礎をしっかり身に付ける事
 ・語彙を増やす事
 ・テレビ、ラジオ、家では日本語を使用しないなど、身の回りを英語の環境に変える事
 ・発音、特に「r」「n」を気を付ける事
 ・会話では、聞き手ではなく「話し手」になる事
 ・お酒は飲まない事??(先生はイスラム圏の人だった)
 ・講師は生徒に「Hello」なんて言わない事、「Good morning とか Good afternoon」と言う事

 やはり個人レッスンの良いところは、「会話の基礎がしっかり身に付く事」と「自信を持って英語を話せるようになる事」ではないかと思った。先生と会話をしていると、間違いを直ぐ指摘してくれる。同じ間違いも2,3回すれば僕でも覚えられるし、間違いを指摘してもらい訂正してもらうと、自分の英語に自信が付く。

 その先生は今風ではなかったので、僕の持っている電子辞書が気に食わなかった。僕は英英辞書を買わされ、英英で単語を調べるよう言われた。先生は綺麗な英語を話し、センスもいいので先生を信じて従っている。しかし、毎回レッスンが終わるとぐったりする。




 ■ 帰国する隊員から学んだこと。帰国報告会にて! (2006/11/30)

 ・ 自分の好きなことを好きなだけやろう!(いろいろな枠は気にするな)
 ・ 多少のポケットマネーで効果が大きく変わってくるよ!

 この二つは一番印象的なことだ。日本社会の会社では「自己満足」は通用しないが、海外協力隊は基本的に評価されるプレッシャーが無いに等しいので、「自己満足」が大いに通用するようだ。逆を返せば、誰にも評価(JICAは活動評価を多少やっているらしい)されないさみしさがあるかもしれないが。やはり、「自分の好きなことをやる」これは大切だと思う。配属先は確かに自分を評価しているが結果は後付けなので、気にするに足らぬことである。二番目のポケットマネーから!これは人それぞれのことだと思うが、僕としては大切なことだと思った。開発効果を上げるには、汗水垂らした頑張りも良いが多少のお金を使いさらに効果・効率を上げることが出来たら、自己満足できる。協力隊活動はお金を使用しない、開発活動(技術移転)である。JICAには隊員支援経費が存在しているが、残念ながらジンバブエに限ってはほとんど使用されていない。理由は配属先の自助努力が第一優先のため、承認が付きにくいのである。JICA事務所は支援経費について、事務作業が煩雑なためか?(理由は不明)消極的であるので、いっそ協力隊員は開き直って、自分のポケットから出そう!ってこのくらいでないと税金の無駄使いだと言われかねないのでこれでいいのかも。論点を効果よりも税金に当てるとな。

 報告会でさらに感じたことは、2年間の生活・活動はその人を大きく成長させるんだなーと思った。何でも自分で考えて自ら実行しなければならないという環境、まさに日本では体験できない2年間だからではないか。「言われた事に従順に対応できる人」つまり、受動的な人は、ここ途上国での協力隊活動は向いていない。僕達は確かに誰かに背中を押されてもいないし、線路を引かれてもいない。立ち止まって何かを待っていたら、時間だけが過ぎてしまう。目標設定も大切だが、なにより能動的に毎日を大切にしながら過ごす事が重要であると感じた。


 次に大切だと感じたことは、配属先との人間関係である。どこの世界でもそうだが、人間関係の構築は仕事以前のステップである。それが理解できていないと活動やプライベートなことまでうまくいかないことがあるそうだ。良い人間関係を作るには、相手の物の見方・考え方を理解し批判せず、多くの時間や目標を共有することで構築されることだと思った。しかし、人はどうしても自分の手のひらの大きさで物事を量りがちだ。僕達日本人はジンバブエ人を日本人と比較し、推し量っている。そうすると、責任感がない、時間にルーズ、のんびりし過ぎなどマイナス要素ばかり出てくる。相手に対してマイナスの感情を抱いたまま付合っていたのでは、きっとうまくいかないと思う。

 「2年間は長いようで短かった」みんな口を揃えたように言っていて、恐ろしかった。「長いようで長かった」って言えるようにしないとな。でも過ぎたことは短く感じるんだろうな。




 ■ ジンバブエの日曜日。町はまるでゴーストタウン (2006/11/27)

 ジンバブエ人の大多数がキリスト教徒である。でもまぁー良くここまで布教した人がいるなぁーと感心してしまう。また、異宗教だったキリスト教を以前のジンバブエ人は受入れ、今では大変厚い信仰をしている彼らを見るとなんだか不思議な感じがしてくる。僕も頻繁に「教会に一緒に行こう」と誘われる。

 ここジンバブエで日曜日は「教会にいく日」「休息日」なのである。そのため、お店が一斉に閉まり街中を歩いている人や車がほとんどいなくなる。本当に静まり返りすぎて、平日とのギャップの差に大変驚く。僕にとって、まさに異文化である。「きちっと休息」これは人間として大切なことだと思う。「カロウシ」は日本発祥の言葉だが、ジンバブエではまだ普及してないようだ。




 ■ 初仕事は試験監督だった
    国家試験なのに時間通り開始しないのはなぜ? (2006/11/02)

 記念すべき初仕事だった。それはただぼーと突っ立ている試験監督であった。でもなぜか緊張した。国家試験という大切な試験なのに、毎時間テスト開始が遅れていた。5分とか10分ではなく1時間くらい遅れていた。後で理由を聞いてみると、テスト用紙はその日の朝に違う機関から運ばれてくるそうだが、その輸送が渋滞やらドライバーの遅刻やらで遅延したのだ。テストの問題用紙が学校に到着しても、今度はコピーに手こずっている。用紙がない、トナーが切れたなど、日本では冗談で済まされないことが平然と起こっていた。

 試験監督中は「消しゴム」とか「鉛筆」とか「定規」をあいつから貸してくれなど、生徒から言われて対応した。お金がないのでそれらを買えないんだと理解した。ジンバブエはステイタス(学歴)国家である。試験をパスして国家資格を取得するために、学校に通っているといっても過言ではない。試験中、必死で問題と向合う学生を見て、真剣さが伝わってきた。

 製図などを除いて、回答用紙にはボールペンで回答する。これは日本とは違うことだ。

 また、カンニングは全くといっていいほど行われていなかった。結構他の講師達も厳しい目で学生を見ていた。以前、アフリカのどこそこの学校では学校の威信のために、学生のカンニングを講師達が黙認しているという話を聞いていた。しかし、僕の学校では今のところ、そのようなことは確認できていない。




 ■ ホームステイ体験で文化の違いをかなり感じた。メイドさんの対応に困る (2006/10/26)

 生まれてはじめてのホームステイだ。期間は約2週間。おかげで「どっぷり」と異文化のある人様のお家に浸かる事ができた。そこで非常にたくさんの文化の違いを感た。一番ショックだったのが「メイド」さんの存在だ。私の人生で一番のカルチャーショックではないか。インドでトイレの後、左手と水で「おしり」をきれいにしたことよりも「メイド」さんの方が印象的である。

 「メイド」とは、「家事全般や子供達の世話をするお手伝いさん」である。家族ではない。ホームステイ先にいたメイドさんは18才の女性だった。とてもしっかりしていて料理が上手だった。給料は1ヶ月US10〜15ドルくらいで雇われていることを後で知った。ジンバブエでは、お金持ちの家庭はもちろん、私のホームステイ先のような共働きの家庭(中流くらい)もメイドさんを雇っているそうだ。彼女(メイドさん)が私にしてくれたことは、食事を用意してくれたり、食事前に手を洗う水を持ってきて注いでくれたり、ベットメイキングをしてくれたりと接点はある。しかし、何か、自分が感じた違和感は、彼女(メイドさん)が中途半端な存在だったからである。私とホストファミリーが食事をして楽しんでいる時やリビングで会話している時に、彼女はキッチンで何かをしていて、輪の中には入ってこない。それ(彼女のメイドとしての役割)が仕事だと割切れれば、たいしたことはないのだけれど、自分の生活空間に他人が潜んでいる(輪の中に入ってこない)のが、どうも居心地が悪かった。日本的価値観だと、家事や子供の世話は家族の誰かがするもので、お金を払ってまでそれを補おうとする習慣はあまりないのではないか。最近は日本でもメイドさんやベビーシッターの存在を聞くが。しかし、慣れとはすごいもので今では、彼女(メイドさん)がいることの居心地の悪さは感じない。むしろ私(お客さん)が彼女(メイドさん)に話しかけるのはルール違反かな?と思ってしまっていた間違いがある。そんなことぜんぜんなかった。「メイド」という文化に自分が全く触れていなかったことを実感した貴重な体験だった。

 ホームステイを通して感じたこと、文化の違いなどを下に書く

 黒人の髪の毛は「チリチリ」だ。パンチパーマもびっくりな超天然チリチリパーマである。これは衝撃的な事実だった。子供の頃から髪の毛がカールしている。触っていて気持ち良く、クセになりそうだ。ジンバブエ人男性の9割以上が坊主頭である。女性達は髪のカールを利用して上手に何本もの編みこみを作っている。女性達の髪形は手が込んでいて見栄えがする。とても綺麗でおしゃれだと思う。お金持ちの女性は、天然パーマの髪を熱でストレートにしているが維持が大変そうである。

 家庭で作る「サザ」は美味い!街のレストランで食べるより美味しく感じるのはなぜだろう?ジンバブエに一人で赴任しているので、ホームステイ先で家族の温かみを感じて、サザが美味しく感じるのではないかと思う。家族っていい。ジンバブエに来て家族の結束の強さをとても感じる。僕の周りの日本人達も同じ感想を持っているのをよく聞く。ここで皮肉を書くが、「家族愛」はめちゃくちゃ強いが「愛国心」は日本人に比べたらほとんどない。国の発展に「愛国心」はとても大切だと僕は思う。技術以前の問題である。

 ジンバブエ人は朝が早い。ホームステイ先でも朝の5:30前には起きていた。一般的に彼らは朝シャワーを浴びるのが生活習慣のようだ。朝ごはんはトウモロコシの粉を熱湯で溶いだポリッジ(おかゆ)に砂糖、ピーナッツバターを入れてホームステイ先では毎朝食べていた。ほとんどの職場や学校、組織といわれるような機関は朝の8時始まりである。ほとんどの人が車を所有していないため、移動がコンビ(ワゴン車)か徒歩である。徒歩といっても10km毎朝歩くとかはざらである。

 「God bless our food amen」食事前はテレビを消してキリスト教のお祈りをする。日本でいう「いただきます」のようだ。日本でもそうであるように、食べ物に感謝し粗末にしないことは良いことだと思う。しかし、スーパーなどに行くと食品を平気で客の前で投げている。彼らにとって「投げる=粗末」ではないようだが、その光景は僕にとって不快である。

 親が子供に「我慢」を教育していない。僕は我慢強い「日本人」だから感じるのであろうか?何歩か譲っても子供に対してわがままをやらせ放題(もちろんわがままできる範囲内だが)だ。我慢が「美徳」の文化が日本にはいくらかあると思うが、ジンバブエには「我慢」という言葉が存在しないのでは?というくらい我慢が見られない。僕が1週間分のおやつをホームステイ先の子供に上げ時の話だ。気を利かせ、「夕食前だから夕食を食べてからおやつを食べるようにと言っておいた」しかし、ちょっとだけと子供は食べた。その後、ちょっとがちょっとではなくなり母が子供に注意した。子供が泣いた。母親は最後だとおやつを与える。その母も実はお腹が空いていたみたいで食べる。夕食後、子供がおやつをねだりだした。母親は僕の期待通り「明日に取っておくと言った」。ホッとしたのも束の間、子供が泣く。泣き止む糧におやつを渡す。母も食べたくなったらしく、少し食べる。結局1週間分のおやつが1日で消えてしまった。おやつを上げた身で勝手だが、1週間分楽しんで欲しかったのに・・・・・・。次回は小分けで上げようと僕は進化した。

 地震がない国なので、家の構造がいたって簡素である。簡単に表現するとレンガを積み上げた外壁に屋根を被せただけである。日本の構造体のようにブレス材があまり見られない。横方向の力はほとんど考慮されていない構造である。レンガ造りの家は非常にどっしりとしているので、また木の家とは違った落ち着きがある。

 ホストファザーの勤め先に見学に行ってきた。驚いたことは、オフィッスが全て個室であったことだ。オフィッスに入れない人達は一つの個室を数人でシェアして使っていた。日本の職場空間と大きな違いである。個室形式とオープンスペース形式、どちらも長所と短所を兼ね備えているが文化的背景がオッフィスの形式を物語っているといっても過言ではないと思った。

 挨拶をとても大切にする文化である。見知らぬ人でも「シャマリ」(My friendの意味)と呼んでいる。日本の「和」を重んじる文化に近いものがあるように思うが、形式的な感じも否めない。日本の発展には、この「和」が重要な役割を果たしたが、ここジンバブエでは家族や親族のみの「和」でストップしている。なにはともあれ、ジンバブエ人は温厚で人が良く、フレンドリーである。




 ■ 初食あたり! 体がしびれるーうー (2006/10/15)

 熱、下痢、吐き気、体の痺れ

 原因は「疲れ」のようだ。免疫が極端に低下していたのでやられてしまった。ジンバブエの強い日差しの下、日焼け対策をしないまま長時間テニスをしたのも良くなかった。ジンバブエという異環境に慣れるまでは、体を酷使しない方が良かった。勉強になった気がする。ここは日本のように医療機関が発達していない国なので、病気や事故で病院にお世話になるのが怖い気がする。自分の健康管理には本当に気を付けたい。




 ■ 一週間経過。いろんな感想が浮かんでくる (2006/10/10)

 不思議なものだ。4日くらいでもういろいろなことに慣れた気がする。黒い(詳しくはダークブラウン)顔のジンバブエ人にも慣れてしまった。彼らが僕達日本人を「ジーッ」と見ているのはただたんに、珍しさからくる好奇心であった。逆の立場だったら容易に想像が付くのに、人間は主観的な生き物だ。日本(特に田舎)で黒人がいたらジロジロ私は見ると思う。その逆の現象がただ起きているだけだった。彼らと挨拶を交わすと満面の笑みで答えてくれる。私が恐れていたことの心配は微塵もないと思う(そう願いたい)。

 人(私)の適応力はすごい。アフリカでもやっていけそうだと確信した。どこにいってもその土地の「日常」がある。何を言おうが、人間が住んでいるところ基本的に「食」「睡眠」「便」だそうだ。ジンバブエに来てちょっとした体の問題といえば、「時差ぼけ」がなかなか治らないことである。夕方眠くなり朝早く目が覚めてしまう。こちらの夜8時は日本で夜中の3時だから仕方がない。あと、喉を乾燥のためやられたことである。こちらは現在、乾季で湿度は0%に近い。喉がイガラッポイ。しかし大した問題ではない。

 日曜日は9割以上のお店が閉まっていて、街中は整然とした雰囲気である。日本では見られない光景だが「不便だなー」と思ってしまう私はやはり日本人的考え方なのか?初めて、ジンバブエの主食「サザ」を食べた。餅に似ていると思った。これなら2年間大丈夫だと思った。停電もたびたび起こり、今後の対策(停電したら何しよう?)を考えなくてはと思う。昨日の停電の時は、料理が作れなかったので、仕方なく空腹のまま無理やり寝た。スーパーのレジの近くには「コンドーム」が最低貨幣単位(1Zドル)で売られている。日本では見かけない光景である。ジンバブエ人は挨拶が好きな国民である。途上国はどこでもそうだが、車優先社会である。横断歩道を青だからといって、平然と歩いていると間違いなく右左折車に引かれて死んでしまう。アジアと違って外食するレストランがほとんど見あたらない。

 事務所のオリエンテーションの一環でハイデンシティーエリア(高密度住宅地)というところを見学した。いわゆる、低所得者・失業者・犯罪発生・人口密集・独立前の黒人専用居住区などがこの地区の形容詞だと習った。こう書いてしまうと、悪いイメージしか浮かんでこないが、ここにも人間としての普通の日常があるわけで、あまり色眼鏡で彼達を見たくないのが私の感想だった。しかし、貧富の差を感じずにはいられない。貧富の差がその街やその地区の雰囲気をこれ程まで変えてしまうのかと、驚いている。

 予防接種を事務所で受けた。合計8種類の免疫が体内に入ったことになる。A型肝炎、B型肝炎、狂犬病、破傷風、ポリオ、黄熱、腸チフス、髄膜炎




 ■ ジンバブエ初日の感想。アフリカのイメージは覆された!! (2006/10/03)

 アフリカのイメージはどんなものがあるか?私のアフリカのイメージは「サバンナにお腹のプックラした飢餓の子供が涙を流している」であった。たぶんユニセフか何かのパンフレットの写真が強烈に脳裏に焼きついているようだ。実際、そういう場所は存在するようだが、ジンバブエの首都ハラレは全く予想外の都会だった。山梨県の甲府を遥かに超えている。仙台くらいか?街にはジンバブエ人というより、自分の表現だと黒人が溢れている。着ている物もキチンとしているが、そうでない人もいる。私もそうだが、自分にとって目新しい景色を見ると写真が撮りたくなる。他の隊員は結構撮っていた。私の場合は写真を撮りたいアングルが次から次へと景色と共に去って行った。写真は今日ではなくても撮れると自分に言い聞かせた。いい写真は冷静になってから撮ろうと。

 到着後、隊員宿泊所(隊員ドメトリー)に行った。ここは地方隊員が首都ハラレに上京してきた時に宿泊したり隊員同士が交流したりする目的の施設だ。到着早々、「停電」が僕らを出迎えてくれた。先が思いやられる。しかし、この建物の厳重な安全対策は今まで見たことがない。高くて黒い鉄の入口ゲートに専門の門番(ガードマン)、庭師兼建物の警備をしている人、建物の入口にはいくつかの鍵が必要だ。全ての窓には鉄格子が付いている。敷地の周囲はもちろん2メートル以上あるコンクリートの塀で囲まれていて、外からでは敷地内の様子をうかがい知る事ができない。日本では到底考えられない光景である。まるで塀の中に隔離された感じだった。

 やはり、彼らが怖い。こっちを見ている。目を合わしても外す気配なし。きっと金品を狙っているに違いない。用心用心。

 JICA事務所で挨拶の後、オリエンテーションが開始された。所長の話を聞いた。彼の海外勤務柄か、話の内容が今まで私が聞いてきた”偉い方”の話しとは違うような気がした。「出会いを大切に」とか「Think globally, Act locally」(広い視野で物事を考え、行動は現場に則して)「ヘッドワーク・フットワーク・ハートワーク」どれも意味の範囲が広い。今日は早速、携帯電話を貸与された。文明の利器だ。これで日本の家族とも連絡が容易に取れるし、緊急連絡もすぐできる。しかし、ジンバブエは携帯電話の通信状態が劣悪なため、5回〜10回電話を掛けてやっと繋がるといった具合だ。




 ■ いよいよアフリカのジンバブエに出発!思い出の機内 (2006/10/02)

 あー長かった。日本からジンバブエまで、乗継ぎを含め26時間半だった。しかも日本との時差が−7時間。ジンバブエで日が暮れる頃、日本は深夜だ。

 日本の成田空港では、たくさんの家族が協力隊員の見送りに来ていた。仲間達の話を聞くと、訓練終了後から今日まで、赴任のための物資の買出しや、別れを惜しんで友達と飲んだくれていたり、恋人と過ごしていたり、訓練所で会った人達と再会していたりと限られた自由な日数を思いっきり「日本」していたようだ。でも、みんなの心情は期待と不安が交錯していたに違いない。

 「期待」って、たぶん「遣り甲斐をもってその国で活動できるか?」「自分がお役に立てるか?」が一番大きな「期待」だと思う。でも、日本みたいにコンクリートと空ではなく、赴任国は土俵が土と空のような気がする。日本社会とは明らかに逸脱した2年間を過ごすだろうという覚悟もある。2年後、何も「お役」にも立てずに帰ってくるのかもしれない。また意外にだが、「持ち物」でみんなすごく悩んでいた。これはあっちで売っているかなー?とか持っていって便利、役に立つ物って何かなー?とか直前まで悩んでいた人もいる。時代の流れだろう、パソコンはほぼ全員が「途上国」に持参しているそうだ。

 飛行機は昔から好きだった。学生の頃、成田空港周辺で飛行機の騒音測定バイトを泊込みでやっていたことがある。飛行機の離発着(約365機/日)スケジュール、一本の滑走路で離発着させるタイミング、管制塔とパイロットの通信、旋回や高度の下降上昇のタイミングなどを知ることができて面白かった。飛行機に乗った時も管制塔とパイロットの会話が頭に流れた。Hold short of runway 340. Taxi into position and hold, traffic boeing 747 running road. Cleared to take off runway 340 wind 330 at 9 maximun 13 caution wave turbulence. Contact departure, Good day!!! 「成田空港」はすごいところだ。空港に入ると自分自身が変な感覚に陥る。これから出発する時の感覚。いろいろな感情が織り交じった感覚。開放的でインターナショナルな感覚。とにかく、変な感覚だ。

 初めてアフリカの大地を踏んだ。そこは乗換え地の南アフリカ共和国・ヨハネスブルグ国際空港だった。空港内にいた乗換え客の半分以上が白人だったのにはびっくりした。当たり前だがその時、アフリカにいる「黒人」を初めて見た。今までよりも遠くの国(大陸)に来たのかなあーと思った。正直、私は間近で黒い肌の人を見ると怖い気がする。顔の表情が見えづらいからなのか、それとも住む世界が違う人達で何を考えているのか分からないと自分で思ってしまっているのか定かではない。肌の色が黒く顔の彫りが深いインド人の方がアフリカの黒人達に比べて顔の表情がさらに分かりづらい理由から最初は恐怖を感じた。いずれ、彼らとも仲良くなり親近感が沸けば、「怖い」といった感じはなくなると思う。ようは「慣れ」の問題だと思う。

 ジンバブエのハラレ国際空港に飛行機が着陸する寸前は、漠然と「2年間住む国かー」と感慨にふけった。空から見る大地は、乾季のためか栄養のない土の色をしていた。その中にジャカランダという紫色の花が満開で見応えがあった。




 ■ 訓練期間中の記憶の「まとめ」。抜粋の殴り書き (2006/09/22)

 せっかくなので、印象に残ったことを箇条書きにしておこう

・ 訓練所は迷路みたいで私でも迷った。お金が掛っている構造なのかな?
中国の援助の仕方は、一点豪華主義で目立つ建物や物を援助するそうだ。ちょっとずるい。
・ アフリカ諸国の発展の妨げの一つが人々の「愛国心の欠如」だそうだ。汚職がすごいらしい。
・ なにやら「西欧人達が決めた国境線の為」という要因もあるらしい。その点、日本は島国だ。
・ 協力隊員の赴任中死亡者数約60人にはびっくりした。派遣に反対している家族も多数いる。
エイズ感染率30%以上の国(南部アフリカ諸国)が存在する。理解できない。
・ 訓練所でエイズ検査を受けられた。結果の紙はまるで警察だ。エイズを身近に感じられた。
・ 日本百名山の安達太良山に登った。さすが、百名山を名乗るだけのことはあった。
・ 東宮御所で皇太子様と接見した。協力隊員の特権の一つではないか。貴重な体験だ。
・ できちゃった婚→「授かった婚」と言いましょうだって!!
・ 日本の計画出産の割合は約40%。(フランスは約70%)両国とも中絶は全体の約20%。
・ 最近、私の赴任国で通貨の0が3つ消えた。インフレで紙幣が追いつかず、デノミを行った。
異文化擬似体験プログラムのBafaBafa(バファバファ)は日本で流行るのかも?!
・ 茶道体験。部屋に飾る花は自分の足で取って来る事。良い花は儚い花(一日もち・短命)。
・ 現代の病気「うつ」。日本の自殺者は約4万人/年いて、自殺予備軍は10万人以上いる。
・ ホームレスなど社会からそれた人の背景や助言を考える授業。蓋をしていた話題だった。
・ Cry Freedom(南アの人種差別映画)テーマは「劣等感」だと思った。見て良かった。
・ 猪苗代湖の野口英世の生家に行った。「目的・正直・忍耐」の目的は大切だと思った。
・ 日本人は「考えるという教育」ではなく「指示を従順に受入れる教育」をされている。
・ 訓練所にいる英語の講師陣は、駅前留学の○○○などの講師と比較し雲泥の差だと思う。
・ なんであんなにたくさん打つんだろう?感染症予防接種
・ 生徒40人に対して先生1人、生徒6人に対して先生一人(訓練所)では教育の効果歴然
・ おなじ「におい」のする他の仲間達。


  以 上
                                        



 ■ 協力隊で派遣されるには約2ヶ月の訓練(二本松訓練所での)がある (2006/09/13)

 訓練目的は心身ともに協力隊の適正に近づける為のものであった。訓練中は「候補生」と呼ばれる。退所式後、「協力隊員」に呼び名が変わる。

 「身」について:言い方が悪いが、「ホワグラ」収容所だった。美味しくバランスの取れた食事を3食たっぷりと取り、特に女性は訓練終了後にはプックラなっている。短期間に6種類、計10本もの予防注射を打ち、自分が地球上の人間として疫学的に劣っているのかと思ってしまった。注射がないと途上国で私達は生きて生けないのか??まぁー予防だし・・・で気持ちは決着。日曜日以外は毎朝6時前に起床し、ラジオ体操とランニング(1.5km〜)がある。私は朝方人間ではない。ラジオ体操は目をつむって、眠りながらやらしてもらった。しかし、たまに目を開けて周りを見渡してみると、自己流ラジオ体操をやっている人が多い。協調性がないのか?見ていて面白かった。夜は点呼後11時に消灯である。睡眠時間は最高でも7時間、平均だと6時間しか取れない。きつかった。

 この訓練期間は私の人生の「教育」の中で最も密度が濃い時間だったと思う。まず「質」が高かった。勉強する環境(スケジュール・設備・講師陣など)が整っていた。効率的で面白い講義内容であり、今まで知らなかった知識をたくさんたくさん学ぶ事ができた。さらに、自立心があり、志高く、自発的(積極的)参加の仲間達がたくさんいた。彼らに刺激されて自分も頑張らねばと思った。そこには良い相乗効果があった。日記を読み返してみると自分のためになった思い出がたくさんある。




 ■ ブログにしようか?HP(ホームページ)にしようか? (2006/07/04)

 近年、インターネットの普及は凄まじい。数年前のカタログ通信販売に取って代り今やインターネット通販が主流を占めるようなった。電話やFAXに変わりE-Mail、合コンに変わり「出会い系サイト」?大学のサークル活動に変わりMIXI??自分の現状報告にブログなど、インターネットは手軽で安く便利、どちらかというと自分一人のペースで会話を進めることができる。しかし、パソコンを長時間見つめる弊害や機械(コンピューター)と一日の数時間を共に過ごすことの、人間としてのライフスタイルはいかがなものかと「ふと」思ったりもする。

 なにはともあれ、自分は若くいろいろな事を表現するのにネットは好都合だし、ネットは人との連絡の手段にもなる。インターネットは世界中の情報を得ることができる。図書館に行って本を開き調べる手間が省けた。インターネットやコンピューターをビジネスにして大変儲けている人がたくさんいる。自分がネットに興味を持出したのは、ネットバンキングを始めた時だ。おかげで銀行に足を運ぶ手間が省けた。それ以来、しみじみとネットって何でもできるんだと思うようになった。

 話がそれたが、自分もインターネットの恩恵にあずかり、ジンバブエでの協力隊活動報告やジンバブエの実情報告をネットを通してやろうと考えた。誰が自分のページを見てるか分からない変な感じはあるが、少なくとも上に書いた自分が愛着を持つであろうジンバブエという国の宣伝(レポート)にはなる。しかし、作るからには中途半端は嫌だ。いわゆる三日坊主というやつだ。自分の理想ではたくさんの人が自分のサイトに関心を示し、体験談や感想を通してジンバブエの実情を知ってもらえれば良いと思う。

 たくさんの人とは?一日5人くらい?いや、それでは家の家族と友達しか見てないことになる。ジンバブエに興味がある人、協力隊の人、インフレやHIV/AIDSに興味がある人、アフリカに興味がある人などなど少なくとも彼らが見て良かったと言ってもらいたい。↑勝手に自分にプレッシャーを掛けさせてもらった。

 ブログをしている人が今すごく多い。自分も試してみたが、三日坊主だった。もうユーザーログインするためのパスワードを忘れてしまった。自分は海外の旅行先でノートに日記を付けたことはあるが、日本では基本的に日記を付ける習慣がない。ブログは別名「日記風ホームページ」だ。ブログは無料だ。更新も実に簡単だ。手軽さは女性ユーザーや初心者にも広く受け入れられている。しかし、自分は日記と付くと=出来ないの公式だ。ブログはサーバーなどがきれいに装飾したページの白紙部分に記事を書込んだり写真を載せるだけで良い。プロがデザインした、背景やレイアウトなので非常に見栄えがする。しかし、自分は考えた挙句、HPを取った。理由はHPの方がまさに「全て白紙」からのスタートなので、やりがいと温かみがあるだからだ。自分にとって、パソコンのスクリーンを通して何かを感じるとき、このなにか温かい感じは大切である。もともと、パソコンは「冷たいもの」なので。その他、何でも初めからやってみたい自分にとって、白紙からのスタートは向いている。HTMLの勉強になる。パソコン上でデータ管理ができるため日記を書いておけば、後でまとめて更新できる。また、友達がインターネット通信販売ビジネスを行っているがその影響もすごくある。

 HPを製作する人を「ウェブデザイナー」という。HPを作るうえで大切なことは、「たくさんの人に見てもらう」ということだ。そのためにはHPの内容が言うまでもなく大切だ。だがしかし、内容ばかり良くてもHPが目立たないとダメだ。目立つとは、検索したときに上位にくる、他人のHPに自分のHPがリンクされたある、などである。HPの内容は面白ろかったり、新しかったり、温かかったりしないとダメだ。デザインはシンプルで見やすいものがいい。内容(コンテンツ)は重ねて言うが大切だ。ネット商売をしている人に言わせると、内容とは「商品」のことだ。ここは資本主義社会なので商品がよければ、売れて儲かるということである。あと、大切なことは検索した時に上位にランクインされるかである。これにはいくつもの「ワザ」が存在していた。自分も調べたり、人から教わったりと出来る限りの工夫を駆使したい。ネットで商品を販売する会社にとって、検索で1位に表示されるか2位に表示されるかでは、年間の売り上げにひどく差が出てしまうほど、検索上位ヒットは大切なのである。

 私のHPにお越し頂き、ありがとう。インターネットはなかなか一方向的な会話になりがちだが、メールを通して私宛に「ご意見・ご要望」をもらえたら非常に嬉しい。不特定多数の人相手に自分のHPという作品を公開していると、自分のアビリティー(いわゆるセンス)の限界を感じる。しかし、継続は力なりでHPを長く続けたいと思う。小学校の頃、作文や感想文の能力がクラス最下位だったことが私の劣等感でもあった。なのでむしろ開き直って思いついた事は何でも書いてやろうと今は思う。HPは自分にとって新しい分野への挑戦でもある。今後もよろしくである。



    


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